備忘

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名越康文 @nakoshiyasufumi

その達成に幾千年かかりそうとも、べつに悲観する必要はない。ゴールが目前の課題とたしかに繋がっているのならば。

2014-07-27 09:17:35
名越康文 @nakoshiyasufumi

人を詮索してしまうのは、自分の生きる目的が定まっていない時だ。

2014-07-26 19:00:13
名越康文 @nakoshiyasufumi

意識と肉体があるうちに、学べるものを学んでおきたいものだ。必ずそれはほんの瞬間であるから。

2014-07-26 16:02:37
名越康文 @nakoshiyasufumi

瞬間の美しさには何の連続性もない。だから記憶に残る。永遠のために今の瞬間に集中するのである。

2014-07-26 12:49:38
名越康文 @nakoshiyasufumi

夏の花がこの酷暑の中で瞬間瞬間に変化し続けることと、我々の生との間に、違いはほぼない。

2014-07-26 08:35:24
名越康文 @nakoshiyasufumi

結果が分からぬまま一心不乱になっている時ほど、充実している時間はない。保証とは常に幻想であり、それは少し冷静になってみれば分かることだ。

2014-07-26 00:52:53
名越康文 @nakoshiyasufumi

うらむ魂は老いている。恨みの毒が回れば、それが当人の現実となり正義となる。たとえどんなに若かろうと、老人の正義を持つことは出来る。

2014-07-24 14:31:59
名越康文 @nakoshiyasufumi

ほとんど省みられることがないが、重要な基本は、朝起きられる身体を作ることである。

2014-07-23 11:34:53
名越康文 @nakoshiyasufumi

心とは自己ではない。ある生命防御装置のようなものだ。しかも、極めて暴走しやすい作りになっている。

2014-07-23 09:07:10
名越康文 @nakoshiyasufumi

ひらめきは断片であるが、それがもたらされるためには習慣が必要だ。

2014-07-21 16:31:21
名越康文 @nakoshiyasufumi

未来や出会いに対するネガティブなイメージは、これだけ生きていてもふつうに足を引っ張る。気付いたらスパッと払うことがよい。払った直後に、それが自分を暗闇にくくっていたことが分かる。分かるのはいつも必ず実践の後だ。

2014-07-19 17:28:46
名越康文 @nakoshiyasufumi

短期的な予測不可能性は、長期的な厳密さと完璧に両立する。抜き書きメモ。

2014-07-19 16:25:08
名越康文 @nakoshiyasufumi

執着とはつまり、自分にとって本質的なミッションを後回しにし、非本質的なことで日常を埋めること、とも換言できる。

2014-07-18 22:09:25
名越康文 @nakoshiyasufumi

議論を通じて青年期の名越は気付くのだった。社会に偉い人は多くいるが、自分を魅惑してくれるほど価値あることを語ってくれる人物は、極めて少ない。おそらく幾人かだろう。だから落ち着いて探せばよいのだ、と。

2014-07-17 10:52:40
名越康文 @nakoshiyasufumi

暗い思考が、まるで吹き込まれたかのように頭の中を旋回してしまうのは、人生の最大の損失であるが、それに真っ向立ち向かう人は少ない。昔からの癖なので、もはや従順に飼い馴らされている。しかし何よりこの脱却に専念すべきだ。やったことのすべてが空回りしてしまう。

2014-07-17 09:30:46
名越康文 @nakoshiyasufumi

よく考えてみると、人の体内には、少々恐ろしい色彩をしたものが昼も夜もとうとうと循環しているにもかかわらず、誰もがそんな身近なことさえ口にすることもなく、一方では明日だの生き方だのと思い巡らせている。現実はかなりの幅の死角によって成り立っている。

2014-07-15 00:16:54
名越康文 @nakoshiyasufumi

サッカーはいつも私が、「あたりまえの未来」を予測してしまっていることを思い知らせる。世界はいつもそれ以上の何かなのだ。

2014-07-09 05:43:03
名越康文 @nakoshiyasufumi

相手のためにってのは、たいてい自分の都合である。それにたまさか乗ってくれる人がいたら、せめて感謝しなければならない。

2014-07-08 17:06:21
名越康文 @nakoshiyasufumi

人間はあるがままに世界を見ることは出来ない。それどころか実は世界は色のない世界(色彩論の一派)だという奴もいる。だからシャカムニは「無常」から世界を眺める訓練を勧めたのだろう。無常が身体にほんの少しなじむ(イデオロギーではなく)だけでも、肩凝りがとれて汗が引きやすくなる。

2014-07-02 10:00:22
名越康文 @nakoshiyasufumi

自分とは痛みのことだが、仏教では自分(心)は空(又は無)で、自己の本質は仏性と申します。前述補足、参考程度に。

2014-06-30 21:40:10
名越康文 @nakoshiyasufumi

現実を直視する苦しさよ。それは自らを直視するに似たれり。

2014-06-27 13:10:51
名越康文 @nakoshiyasufumi

生き残りを賭けた状況の時、明暗を分けるのは行動ではなく、「今我々はどこにいるか」、つまり気付きである。滅びる者(集団)は力が足りないのではない、気付きたくないのだ。

2014-06-25 09:29:31
名越康文 @nakoshiyasufumi

自分の内側との対話が、他者との対話よりも日常的に深くなると、一つの明確な兆候が現れるだろう。自分にも他人にも、不満が少なくなるのだ。

2014-06-24 23:59:51
名越康文 @nakoshiyasufumi

自分の中に、せめて座り心地の良い腰掛けを発見しなければ、人は元気という名の、火のような日常を駆け抜けるしかない。

2014-06-23 12:53:27
名越康文 @nakoshiyasufumi

これは消極的とは程遠いんです。自分が変わって行くことが一番骨が折れるし、実は交友的だし、建設的なんです。社会を変えようとするのは、内面の充実という後ろ盾がある上での行動化です。

2014-06-21 13:49:44