結果が分からぬまま一心不乱になっている時ほど、充実している時間はない。保証とは常に幻想であり、それは少し冷静になってみれば分かることだ。
2014-07-26 00:52:53うらむ魂は老いている。恨みの毒が回れば、それが当人の現実となり正義となる。たとえどんなに若かろうと、老人の正義を持つことは出来る。
2014-07-24 14:31:59未来や出会いに対するネガティブなイメージは、これだけ生きていてもふつうに足を引っ張る。気付いたらスパッと払うことがよい。払った直後に、それが自分を暗闇にくくっていたことが分かる。分かるのはいつも必ず実践の後だ。
2014-07-19 17:28:46議論を通じて青年期の名越は気付くのだった。社会に偉い人は多くいるが、自分を魅惑してくれるほど価値あることを語ってくれる人物は、極めて少ない。おそらく幾人かだろう。だから落ち着いて探せばよいのだ、と。
2014-07-17 10:52:40暗い思考が、まるで吹き込まれたかのように頭の中を旋回してしまうのは、人生の最大の損失であるが、それに真っ向立ち向かう人は少ない。昔からの癖なので、もはや従順に飼い馴らされている。しかし何よりこの脱却に専念すべきだ。やったことのすべてが空回りしてしまう。
2014-07-17 09:30:46よく考えてみると、人の体内には、少々恐ろしい色彩をしたものが昼も夜もとうとうと循環しているにもかかわらず、誰もがそんな身近なことさえ口にすることもなく、一方では明日だの生き方だのと思い巡らせている。現実はかなりの幅の死角によって成り立っている。
2014-07-15 00:16:54サッカーはいつも私が、「あたりまえの未来」を予測してしまっていることを思い知らせる。世界はいつもそれ以上の何かなのだ。
2014-07-09 05:43:03相手のためにってのは、たいてい自分の都合である。それにたまさか乗ってくれる人がいたら、せめて感謝しなければならない。
2014-07-08 17:06:21人間はあるがままに世界を見ることは出来ない。それどころか実は世界は色のない世界(色彩論の一派)だという奴もいる。だからシャカムニは「無常」から世界を眺める訓練を勧めたのだろう。無常が身体にほんの少しなじむ(イデオロギーではなく)だけでも、肩凝りがとれて汗が引きやすくなる。
2014-07-02 10:00:22生き残りを賭けた状況の時、明暗を分けるのは行動ではなく、「今我々はどこにいるか」、つまり気付きである。滅びる者(集団)は力が足りないのではない、気付きたくないのだ。
2014-06-25 09:29:31自分の内側との対話が、他者との対話よりも日常的に深くなると、一つの明確な兆候が現れるだろう。自分にも他人にも、不満が少なくなるのだ。
2014-06-24 23:59:51これは消極的とは程遠いんです。自分が変わって行くことが一番骨が折れるし、実は交友的だし、建設的なんです。社会を変えようとするのは、内面の充実という後ろ盾がある上での行動化です。
2014-06-21 13:49:44