@Juris_tan 大陸法は時代毎に何度も改正の繰り返しというイメージでしたので、その時代毎の価値観に背いてはいないのでは…という意見です
2014-07-27 22:14:34@Juris_tan 変化しているのは否めないと思います。ですがその変化の幅が法が断絶しない程度に収まっており、過去の積み重ねを継承しているのは間違いないと思います
2014-07-27 22:19:04@Juris_tan うーん、かなり驚きましたよ。ところで、「私達」とは誰ですか?世論とか選挙結果のようなものを想定すべきなのでしょうか。それとも、(ちょうどホッブズが言ったように)それぞれが利己的に自分の利益を追い求める個々人を想定すべきでしょうか。
2014-07-27 22:19:59@Juris_tan とすれば法は「この法は妥当すべき」との人々の認識に支えられ、その理由は「なぜなら、その法は正当だから」ということになるから、妥当している法は少なくともその社会を構成するメンバーからは正当性と切り離せないことになるのではないでしょうか。
2014-07-27 22:34:12@Juris_tan そうかもしれませんが、そうだとすると法の正当性というものはずいぶん後退してしまいますね…。そもそも論として、法学たんは「妥当な法は正当でもあるべきだ」と思いますか?それとも「法は人々の認識に従って妥当であればよく、超越的な正当性などは不要だ」と考えますか?
2014-07-27 22:44:33@Juris_tan うーん、法の妥当性が人々の認識に帰着するというのがわからないです。例えば泥棒は窃盗罪の条文が妥当でなければいいのに、と思っていますよね?仮に社会の大多数が泥棒だったとしても、国家がそれを不都合だと考えたら、やはり強制力を持って窃盗罪を妥当させないでしょうか。
2014-07-27 23:05:43@Juris_tan とすれば民法や刑法は人々が妥当すべきと考えたものを具現化した物で、このことは債務を免れようとする不埒な債務者や泥棒が何人いるかに関わらないのでしょうか。しかしそれほど不埒な債務者や泥棒がいるとしたら、法の妥当性は本当に人々の認識に支えられているのでしょうか。
2014-07-27 23:19:36@Juris_tan 法学たんの見解では、人々が利己的かつ長期的な観点から「このルールが存在する方が自分にとって得だ」と考えるとき、「人々がその法の妥当性を承認している」ということになるのですか?
2014-07-28 08:22:33@Juris_tan 慣習がそうですね?では、正当でない法が施行され、刑罰などの国家の強制力をおそれて人々がいやいやその法律に従っている場合、その法律は妥当していると言えるでしょうか?
2014-07-28 20:09:43@Juris_tan その社会では人々はその法が妥当すべきでないと考え、しかも、自分の利益(処罰されないこと)のためにその法を守るかもしれません。とすれば、法を妥当させるのは人々の認識だとはいえないし、また、法が妥当するのは人々が利己的判断からそれに従うときだと言えると思います。
2014-07-28 20:20:50@Juris_tan 長い時間ありがとうございました。法学たんとの議論は楽しくてつい時間を忘れてしまいます。どうか健康に気をつけて学問の道を歩まれますように。
2014-07-28 20:33:17