J・フォン・クリースとマックス・ウェーバー補遺(因果分析の方法論を中心に)
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kuragari20nen
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どちらも同時代では超有名な学者で、vonの有無もあるから、当時は混同されなかっただろうが、Weberは両方の大学に縁が深く、さらにKniesには『統計学』という著作もあるから、今の社会科学者には区別しづらいかも。実は私も長い間、混同してました、ハイ。
2014-08-14 04:36:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
『ロッシャーとクニース』でWeberが批判しているのは、歴史学派のKniesの方だ。で、その第三章「クニースと~(続)」で、批判するWeberの方の枠組みが生理学者で統計学者のv.Kriesにもとづくことが、Weber自身によって言明される、といういささかややこしい関係にある。
2014-08-14 04:37:01![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
さて話を本筋に戻すと。独語圏での研究をうけて、英語圏でWeberの方法論だけでなく、研究全体の読み直しを進めた一人が、Fritz Ringerだ。『読書人の没落』や『知の歴史社会学』の著者の、あのRingerである。
2014-08-14 04:37:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
これに気付いたときは、さすがに頭を抱えた。一つは、こういうことを見逃してきた自分の愚かさに。もう一つは、日本語圏ではこういう形で、Weberの方法論や学説研究と経験的な歴史社会学研究が接続されてこなかったことに。
2014-08-14 04:38:10![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
Ringerの関連する著作は二つある。 Max Weber's Methodology (1997年)と、Max Weber: An Intellectual Biography (2004年)だ。Ringerは2006年に亡くなるので、最後の著作群にあたる。
2014-08-14 04:40:27【参考】Ringer, Fritz, 1997, Max Weber's methodology : the unification of the cultural and social sciences, Harvard University Press.
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1990年代後半から2000年代前半は、日本語圏でも歴史社会学が流行してきた時期だ。私が知らなかっただけなのかな。それならいいけど。いや、それだといいけれど。 Ringer自身はかなり論争的な主張をしていて、実際、かなり論争になっている。
2014-08-14 04:41:05![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
だから定説ってわけでは全然ないが、そういう形で論争されることがとても健康的に思えた。方法は具体的な研究のためにある。経験的分析と接続しなくなった理論や方法の研究は、どんなものでも自閉していく。私はそう考えているので。
2014-08-14 04:41:36![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
もう一つ羨ましいなあと思ったのは、Ringerの方はW.Salmonら、英語圏の科学論の研究との並行性も視野にいれていることだ。経験的分析のための方法の研究や再検討であれば、当然、現時点の科学論の研究成果と無関連ではいられない。
2014-08-14 04:42:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
あたりまえのことだが、そのあたりまえが眩しく思えた。 Ringerの視座は、彼がいた研究教育環境ともたぶん関わっている。Ringerは主にPittsburgh大学で教えていた(1984~2001年)。
2014-08-14 04:43:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ここはCarl Hempelが最後に教えていた大学だ。そして、Ringerの数年前にPittsburgh大学に来て、Hempelの後継者となったのがWesley Salmonである。SalmonはUCLAで、ベルリン学派のH.Reichenbachの下で博士論文を書いた。
2014-08-14 04:45:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
von Kriesとはそこで繋がってくる。v.Kriesはウィーン学団のR. von Misesの確率論にははっきり否定だったが、Reichenbachについては明示的に判断を留保している。『確率計算の~』第2版序文(1927年)。
2014-08-14 04:46:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
v.Kriesの立場からすれば当然で、v.Misesの確率定義は数理的なオモチャにしか思えなかっただろう。その辺は、K.Popperの確率定義や反証主義とも絡んでくるが、実はWeberの方法的検討の、いや正確には、それをめぐって私が書いた書評の、重要な論点の一つでもある。
2014-08-14 04:48:12