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2013年9月1日
佐藤俊樹 @toshisato6010
講義の準備で、19世紀の統計学と社会学がらみの文献をへろへろ読んでいたのだが。わかったこと。(1)デュルケムの『自殺論』はその前約50年間の道徳統計学の議論をしらないと、なぜここでこう述べているか、わからない箇所が少なくない。
佐藤俊樹 @toshisato6010
(2)ハッキングはその関連性に気付いているが、彼自身はあまり丁寧に読んでないようで、的外れなことを書いている。例えば、『偶然を飼い馴らす』233-4頁でながなが引用されているデュルケムの「奇妙な」文章は、ドロビッシュの自由意思論が内的決定論を唱えたことをふまえたもので、
佐藤俊樹 @toshisato6010
ドロビッシュと同じドイツ学派のクナップも、ドロビッシュの内的決定論がはらむ難点として、ほぼ同じ内容を指摘している。少なくなくともこの分野に関して、別の資料から裏を取らないで、ハッキングの書いていることをうのみにするのは、危険なようである....
佐藤俊樹 @toshisato6010
目の付けどころはいい人だと思うんだけど....いったん「こうだ!」と決め打ちすると後で修正はきかない感じだなあww。
2013年9月12-13日
佐藤俊樹 @toshisato6010
この間呟いたことの続き。 19世紀の道徳統計学の著作を自分で読んで、私はハッキングという人の議論の仕方に疑念を抱くようになった。デュルケムの議論を「奇妙strange」と片付ける奇妙さについてはすでに述べたが、フランス学派の流れを引くデュルケムだけが浅く読まれているのではない。
佐藤俊樹 @toshisato6010
なんというか、誰についても読みが浅いのだ。正確にいうと、特定のイメージが先にあるようで、それを外れると何を書いているのか理解する力が急に弱くなる。だから簡単に戯画化してしまう。まるで「奇妙」なことを考える人々をハッキング自身が「つくりあげている」みたいだ。
佐藤俊樹 @toshisato6010
例えばデュルケムが論敵としたドイツ学派のドロビッシュに関しても妙な記述がある。「すでに1848年に統計的決定論に警告を発していた…ドロービッシュは、自殺者や犯罪者の精神に固有な法則laws peculiar toがあるに違いないと推測した」(原著p.131、訳書191頁)。
佐藤俊樹 @toshisato6010
まず、この文、注26としてドロビッシュの『道徳統計学と人間の意志自由』が参照指示されているが(p.238)、該当部分のページ数の表記がない。題名もまちがい。Die moralische Statistik und die menschliche...
佐藤俊樹 @toshisato6010
まあ、この種のまちがいは私もよくやるので、文句をいえる立場ではないが、文の意味自体も変なのだ。少なくとも、予備知識のない人がこの文を読んで受けそうなイメージと、ドロビッシュ自身が書いている内容はかなりちがうと思う。
佐藤俊樹 @toshisato6010
これは原著S.36-55(訳134~176頁)で論じられていることで、ケトレの「平均人」を批判した議論の一部である。ドロビッシュはそこで、ケトレの「平均人」の要素に、自殺率や犯罪率などの比率の値がきわめて低い指標が使われていることを問題にしている。
佐藤俊樹 @toshisato6010
現在の統計学的知識からいえば、これはドロビッシュの誤解のように見える。数値の信頼性は比率ではなく、標本規模=人数によるからだ。しかし、実はドロビッシュはそれを問題にしているのではない。
佐藤俊樹 @toshisato6010
こうした比率が低い指標に関しては、データが集計された単位全体ではなくて、そのなかの下位集団の特性を示す可能性が大きいことを、ドロビッシュは問題としたのだ。例えば、犯罪ならば貧困層に、自殺であれば特定の年齢層に多く見られる。
佐藤俊樹 @toshisato6010
だとすれば、例えばフランスの犯罪率はフランスの国家社会(=国民)の特性、ではなく、フランスの貧困層の特性を示すものではないか。少なくともその可能性を考慮せずに、統計の集計単位をそのまま一つの社会全体とみなして、統計数値をその社会の特性だとするのは、論理的飛躍である。
佐藤俊樹 @toshisato6010
とドロビッシュは指摘したのである。もちろん、それは、犯罪が多発する下位集団や自殺が多発する下位集団の人々と、それら以外の人々とでは、異なる理由で犯罪や自殺が起こりやすいことを意味する。
佐藤俊樹 @toshisato6010
でも、それは例えば、貧困層での窃盗の多くは経済的困窮が動機だと考えられるが、貧困層以外での窃盗は困窮が主な動機だとは考えにくい、というような事態である。それを、laws peculiar to the minds of suicides and criminalsと表現するのは
佐藤俊樹 @toshisato6010
不適切だと思う。そんな風に書けば、ドロビッシュが「奇妙な」人々を「つくりあげた」人に見えてしまう。ドロビッシュはそんなことはいってない。むしろ、ハッキングがドロビッシュを「奇妙な」主張をした人に見えてしまうように描いているのである。
佐藤俊樹 @toshisato6010
そもそも、統計学的な合規則性Gesetzmaessigkeitというのは、個々人が置かれた社会的条件や教育の成果などの個人単位の諸原因の集積ではないか、というのがドロビッシュの基本的な主張である。
佐藤俊樹 @toshisato6010
つまり、ドロビッシュはGesetzmaessigkeitをregularityの意味で使っていて、lawとは区別している。この使い分けは、ハッキング自身がかなり参考にしているドイツ学派のG・クナップの論文にも明確にでてくる。つまり、ドロビッシュだけの用法ですらない。
佐藤俊樹 @toshisato6010
むしろドイツ学派の重要な論点の一つで、例えば、A・ワグナーのようなフランス学派の社会実在論に対して、あなたたちのいう合規則性Gesetzmaessigkeitは、法則lawではなく、規則性regularityでしょう、と批判した。それを明瞭に打ち出したのがドロビッシュ。
佐藤俊樹 @toshisato6010
実はハッキング自身、lawとregularityという二つの概念があったことは、この文の少し前の段落で、まさにワグナーに言及しながら指摘している。だからこそ、なおさら、ハッキングの叙述は奇妙なのだ。参照指示の不自然さもふくめ、ドロビッシュの著作をちゃんと読んだのか、疑問に思う。
佐藤俊樹 @toshisato6010
ちなみにハッキングの叙述では、この文の前に、lawとregularityが区別する議論があったことが紹介され、さらに、この文の後に、「しかしながらhowever」で接続されて、「~から主要な反論があった、「法則law」は注意すべき言葉だ、と。」という文がつづく。
佐藤俊樹 @toshisato6010
つまり、ドロビッシュの主張と同じ内容が、「しかしながら」で、他の人たちの「反論」として、続いて出てくる。だから、ドロビッシュが「固有な法則laws peculiar toがあるに違いないと推測した」という文は、彼がlawとregularityが区別せずに使っていたか、
佐藤俊樹 @toshisato6010
あるいは区別を知った上で積極的にregularityをlawだと見なしていたのだろう、と解釈せざるをえない。ドロビッシュの主張が正反対に読めてしまうのだ。だから『偶然を飼いならす』の、道徳統計学、特にドイツ学派のところの議論はとても読みにくい。
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コメント

縮限 @contractio 2013年9月21日
9月15日のツイートを追加しました。
縮限 @contractio 2013年10月7日
9月22日のツイートを掲載しました。
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