佐藤俊樹 - 19世紀の道徳統計学とイアン・ハッキング

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佐藤俊樹 @toshisato6010

なので、ハッキングを読んで道徳統計学を知ろうとするのはやめた方がよいが、もっと問題なのは、ハッキングの叙述が全体として、道徳統計学を「奇妙な」ことを考えた人々として描いていることだ。別にそういう描き方をするのが悪いわけではない。

2013-09-13 00:04:47
佐藤俊樹 @toshisato6010

けれども、その場合には、そう描く対象に一度徹底的に内在して、整合的に理解してみようとする努力が不可欠だと思う。どうもハッキングという人はそれが苦手で、テクストや対象に内在する論理の展開を粘り強く追うのが下手なようだ。

2013-09-13 00:05:29
佐藤俊樹 @toshisato6010

そのため、テクストや対象から早めに目を離して、自分でつくりあげた図式にのってしまうのではないか。言説分析から一番遠いタイプで、むしろ知識社会学の一つの典型だと思う。自己論理的な反省が弱いところなども、まさにそんな感じ。

2013-09-13 00:07:00

2013年9月15日

佐藤俊樹 @toshisato6010

【承前】道徳統計学や社会学をめぐる読みの浅さも、一つは、ハッキングが「西…は原子論的で、個人主義的で、リベラル」/「東は…全体論的で、集団主義的で、保守的」(p.36、訳53頁)という2項対立図式で、位置づけようとしたからだと思う。

2013-09-15 01:07:36
佐藤俊樹 @toshisato6010

「全ての東の人間が統計的法則を拒否したわけではないし、全ての西の人間が統計的法則があると考えたわけではない。しかし、ドイツ人で統計学的法則を弁護したのはリベラルな少数派であり、フランス人やイギリス人でこの概念に反対したのは、ともに保守主義の陣営に属する」(p.37、訳54頁)。

2013-09-15 01:09:35
佐藤俊樹 @toshisato6010

たしかにケトレは、つまり当初のフランス学派は、個人を質点とみなして、力学的な運動法則と同じような法則があてはまるとした。原子にあたる個人個人の挙動はその法則に支配されている。犯罪も自殺も必ず一定の比率で発生するのもその法則によるものだ、とした。

2013-09-15 01:10:46
佐藤俊樹 @toshisato6010

つまり、西-法則あり-原子論とはいえるが、この法則性は、犯罪も自殺も個人の水準でどうこうできるものではない、だから個人には帰責できないということでもある。すなわち「社会が犯罪を用意する」(=『偶然を飼いならす』14章の題名)。これが個人主義的でリベラルなのだろうか。

2013-09-15 01:13:55
佐藤俊樹 @toshisato6010

一方で、ドイツ学派は、法則にみえるものは個人個人のふるまいの集積だとした。数値の一定性は個人のふるまいに関わる諸要因の恒常性にすぎず、それらが変化して個人個人のふるまいが変われば、犯罪率や自殺率も変化すると考えた。そういう意味で、東-法則性なし、なのだ。

2013-09-15 01:14:27
佐藤俊樹 @toshisato6010

だからこそ、ドイツ学派は教育などで個人の動機Motivに働きかけることで、犯罪率や自殺率を下げようとした。これがハッキングの図式では全体論的-集団主義的-保守的とされているわけだが、少なくともフランス学派と比べれば、こちらの方が個人主義的でリベラルなのではないだろうか。

2013-09-15 01:15:32
佐藤俊樹 @toshisato6010

実はそのずれが最も強く出る一人がドロビッシュなのである。彼は法則性を否定して、方法的個人主義の文体を打ち出した。さらにその際、カントをイギリス経験論のロックを使って再解釈するというやり方をとった。だから、ハッキングの図式からは完全に外れてしまう。

2013-09-15 01:15:55
佐藤俊樹 @toshisato6010

その一方で、ドロビッシュはドイツ学派の中心人物で、以降の道徳統計学の議論はデュルケムもふくめて、彼を参照点にしている。ハッキング自身もその点はしぶしぶ認めている。例えば訳191頁に、G・クナップが「「ドイツ学派」(これにドロービッシュも含める寛容さを示した)」とあるが、

2013-09-15 01:16:24
佐藤俊樹 @toshisato6010

原文はin which he kindly gave pride of place to Drobischだから(p.131)、「そのなかでドロビッシュに最も高い地位をあたえた」だろう。この表現はおそらくハッキングが参照指示しているクナップの1871年の論文から来ていて、

2013-09-15 01:18:26
佐藤俊樹 @toshisato6010

そこではドロビッシュをドイツ学派の"Spitze"と位置づけている。「ドイツ学派、その先鋒にはドロービッシュが1867年のあの内容豊富な小著を掲げて立っている」(訳328頁をそのまま掲載、原文はS.7)。なぜこれにハッキングがkindlyとつけたのかはわからないが。

2013-09-15 01:28:59
佐藤俊樹 @toshisato6010

だからこそ、ドロビッシュをきちんと理解していないと、以降の道徳統計学の展開が、それこそデュルケムもふくめてうまく理解できない。その大事な参照点を、ハッキングの図式では大きくとらえ損なうように思う。

2013-09-15 01:29:55
佐藤俊樹 @toshisato6010

デュルケムを実態以上に「奇妙に」描いてしまうのもそのためではないか。例えば以前ふれた、『偶然を飼いならす』17章の最後に引用される『自殺論』の注記だが、ここでデュルケムが念頭においているのは、たぶんドロビッシュの「内的決定論」だろう。

2013-09-15 01:58:15
佐藤俊樹 @toshisato6010

ドロビッシュは、自殺率を個人のふるまいの集積ととらえ、そのふるまいは個々人の動機群にもとづくとした。その上で、個々人の動機群を形成する諸要因によって自殺率は決まってくるとした。この考え方を自ら「内的決定論」と名付けている(S.70、訳211頁)。

2013-09-15 01:58:46
佐藤俊樹 @toshisato6010

デュルケムはそれを自分の「外的決定論」と対比させしながら、内的だろうと外的だろうと決定論である以上は、個人の自由意志をどう位置づけられるかは結局同じことになるよ、と言っているのである。

2013-09-15 02:00:09
佐藤俊樹 @toshisato6010

デュルケムは確率化された決定論を認めていないので、個人単位ではむしろ「内的決定論」の方がより強い決定論をもちこむことになる、という形で自分の正当性を主張している。この点はデュルケムの方が不当だと思うが、それを割り引いても、少なくとも等価だとはいえる。

2013-09-15 02:00:58
佐藤俊樹 @toshisato6010

だから、注の議論全体としては、自由意志の問題は少なくとも争点にならない、と述べている。ハッキングがいうような「自由意志の問題を解決したresolved」(p.159、233頁)的な主張ではない。むしろ逆。無視ignoreできる、といっているのだ。

2013-09-15 02:01:23
佐藤俊樹 @toshisato6010

この段落でハッキング自身は"We can be done with those old holists and get on with things; we can ignore free will, can we not? No, not Durkheim."と書いているが、

2013-09-15 02:03:43
佐藤俊樹 @toshisato6010

実際にはYes, Durkheim did so.だと思う。デュルケムは少なくともnew holistであり、同時代の議論の展開を彼なりに踏まえている。

2013-09-15 02:04:34
佐藤俊樹 @toshisato6010

だから、東のドイツ学派を論敵にした点ではデュルケムは明らかに西だが、法則性あり-全体論-集団主義になる。ドイツ学派が法則性なし-個人主義とすれば、きれいに対照的な立場だ。賛否はともかく、デュルケムの主張はそれ自体として論理的に一貫しており、「奇妙」なものではない。

2013-09-15 02:06:49
佐藤俊樹 @toshisato6010

(なお、原子論に関しては、ケトレの「社会物理学」に対して、ドイツ学派は「社会倫理学」を打ち出し、デュルケムもそれを引継いでいる。つまり、少なくとも1870年代以降、道徳統計学では原子論といえる考え方はそもそも主張されなくなっている。)

2013-09-15 02:07:27
佐藤俊樹 @toshisato6010

ところが、ハッキングの図式ではドロビッシュをとらえ損なうので、ドロビッシュへの反批判の立場をとるデュルケムの考え方は、いわば二重にとらえ損なう。『偶然を飼いならす』全体を通じてデュルケムに道化役がふられているのは、そういう理由によるものではないだろうか。

2013-09-15 02:08:19