すずきかおりさんが読んだ『私たちの道徳(小学校5・6年)』
@kaori_2012 道徳の副読本として文科省が配布したもの。pdfはこちらmext.go.jp/a_menu/shotou/…で公開されております。まず「この本の使い方」に着目…「読み物を読んで考えましょう。自分の考えを書きこんでみましょう。」とした上で…
2014-07-29 20:57:03@kaori_2012 その活用の「場」として、道徳の時間に限定せず、ありとあらゆる教科、休み時間や放課後までの、学校生活全般にとどまらず、家庭や地域でも「意見を聞いたりしてみましょう。」としています。つまり子供の生活のすべてのシーンでこの副読本を使いましょう…としてます。
2014-07-29 21:02:00@kaori_2012 何だかこの時点で、ちょっと気持ち悪い…苦笑 さらにp6・p7では「自分」について色々書かせようとしているのですが、この項目、妙に前向きでやっぱり私は気持ち悪い…汗
2014-07-29 21:08:50@kaori_2012 そして1章「自分をみがいて」1節「節度、節制を心がけて」へと続きます。内容は「規則正しい生活を身につけましょう」ということなのだけど、この辺は保健で教えてもいいかも。とにかく自分の欲求にまかせて度を超すことを戒めておりました。まぁ、あくまで導入部です。
2014-07-29 21:19:04@kaori_2012 それなりの時間をかけて育鵬社の公民の教科書を読んできた身としては、既視感ありあり。 まぁぽちぽち読んでみようかと思っています。
2014-07-29 21:22:43@kaori_2012 続きをもうちょっと読んでみた…)1章2節「希望と勇気をもってくじけずに」希望と勇気が自己実現をもたらす…的な話。内村航平、豊田佐吉、森光子、向井千秋、アニー・サリバンなどなど怒濤の偉人ラッシュがはじまります。「鼻先のにんじん」みたいなものでしょうか…?
2014-07-31 12:54:09@kaori_2012 p28以降(mext.go.jp/component/a_me…)は自由とは、自律とは、責任とは…と「道徳な話」が続くのですが、この辺りは、問いかけを混ぜつつも断定的な記述が多いのが印象的。児童に考えさせるように見えて実はそうでもないな…と思いました。
2014-07-31 13:01:54@kaori_2012 むしろ数ページをさいて、「自由」にタガをはめてる印象。将来、道徳の教科化が実現した場合、こんなコトをテストで解答しなくてはいけないのか…先生達はマルやペケをつけなければいけないのかと思うと、正直ゾッとします。
2014-07-31 13:05:33@kaori_2012 1章のタイトルは「自分をみがいて」…これみると、やっぱり道徳を教科化するのはヘンだと思うのですよ。
2014-07-31 13:06:56@kaori_2012 今日は2章・3章を読んだ。 2章は「人とつながって」。礼儀・相互理解・感謝など人との関わりを構築するために大切だとされるものを解説。 正直、私は退屈。(失敬!) 見開きで相田みつをとか、もう何が何やら… mext.go.jp/component/a_me…
2014-08-01 15:08:34@kaori_2012 ただ2章の一番の目玉は、やはり「江戸しぐさ」に関する記述を文科省が行っている点です。(p58/59 mext.go.jp/component/a_me…) 江戸しぐさの歴史まで、触れています。
2014-08-01 15:11:21@kaori_2012 江戸しぐさについてご存知の無い方は、とりあえずググっていただければ…と思いますが、いわゆる「トンデモ」であります。 ちなみに竹富町教科書採択問題で話題になった育鵬社版中学公民教科書でもとりあげられています(p9) 道徳の副読本にトンデモ…文科省どうしたっ?
2014-08-01 15:17:01@kaori_2012 また少し読んだ。まず、3章「命をいとおしんで」の中身は… (1)自他の生命を尊重して これはまぁ、よしとして… (2)自然の偉大さを知って コレは環境問題?でもなんだかなぁ… (3)大いなるものを感じて …??
2014-08-19 14:33:32@kaori_2012 1・2章からのながれのあとの3章の「意味」がよく分からなくて、文章読んだり、フォロワさんとやりとりもしました… twitter.com/temmusu_n/stat…
2014-08-19 14:52:47@kaori_2012 ああ、人格神は言い過ぎでした。すみません。同じ1966年の文章にある【天地を通じて一貫する道】という表現があるので、普遍宗教、したがって一神論と縁がある、と連想に基づいて粗雑に表現してしまいました。
2014-08-04 23:22:01@kaori_2012 あとこちらも…twitter.com/kaori_2012/sta…
2014-08-19 14:53:32@torapocodan う〜ん…夏休みの間に「私たちの道徳」を子供に借りて、私の夏休みの宿題にしようと読み始めたのですが…気がぬけませんね…苦笑 目次(mext.go.jp/component/a_me…)をみると3章はういてるのですが、そう考えると4章への流れがより明確になりますね。
2014-08-04 17:17:55@kaori_2012 で、3章については、いじめ問題をとっかかりにしつつ、結局、個人とか人権の上に、これらの上に、「大いなるもの」をすえてみせていると、現時点では理解しております。 つまり「個人とか人権とかより大事なものがあるんだよ〜…」ということ。
2014-08-19 14:59:19@kaori_2012 「そんなおおげさな…」といわれそうだけど、これは4章「みんなとつながって」p118以降(mext.go.jp/a_menu/shotou/…)を読むと、まるっきりの見当外れということはないと思うのですが…どうかな?
2014-08-19 15:03:24.@kaori_2012 すずきさんの堅牢な読解から考えたことを少し。三章は自然の全肯定の意識が強いですね。生育歴概観は特に「生かされている」で幸せであることを自明視し過ぎ、生かされつつも周囲と良好な関係にない子供に想像が及びません。四章で疎外を受ける子の記述が薄いことにも注目。
2014-08-19 23:23:09三章には自然関係の節が二つあり、それぞれ環境保護?と大いなるものとの出会い、感動を扱います。記述の力点は後者にあります。おそらく(鶴真一に徴した)、個人の道徳を扱うそれまでの章と社会における道徳を扱う四章以降の繋ぎです。大いなるものと社会を相似形に見立て、唱導する社会道徳を予告。
2014-08-19 23:29:28【参考】
鶴真一『道徳教育における「畏敬の念」』
https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/19682/1/koumin_16_053.pdf
「大いなるもの」と相似形をなす社会像とは、権利よりも義務を重視し、自由は放恣でないことの証を求められるものでしょう。四章には、いじめかもしれない疎外を表現した創作がありますが、当事者による権利の主張ではないかたちで解決が図られます。この辺りですずきさんの見方に賛意を表明します。
2014-08-19 23:35:36三章の「大いなるもの」の節はまた、日本の自然を通じた国民的一体感や宗教的情操の涵養を目したものでしょう。前者に関しては、自然として例示されているものの多くが日本列島のものであることを根拠にしました。後者については、人道や人権の基礎付けと見なされた時代は過ぎたと思います。以上です。
2014-08-19 23:41:08@temmusu_n 文科省の道徳本、読んでいてかなりかったるいです。戦後社会や社会参加について考えさせられますし、書いている者自身も峻酷な認識に直面させられます。
2014-08-19 23:49:52