初期キリスト教における転生観の由来~ユダヤ教における伝統と古代エジプトにおける転生観の変質についての試論

初期キリスト教の文書群の中には、あきらかに「転生」を前提とした記述が多く含まれている。これは何に由来するものなのか? ユダヤ教の伝統的な死生観に、転生という概念は含まれていたのだろうか。であるとするなら、古代エジプトからの伝統を継いでいるのか、またその古代エジプトにおける転生観が変容して伝わっているのか。
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ピュシス @bcphysis

以上……twitterでこんなに長く初めてものを書いた……

2014-09-13 02:10:23
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

@bcphysis おお、面白そうな論というか考察ですね。拝読します。フロイトが『モーセと一神教』で、モーセがエジプトの神官で、アトン信者だとか仮説を出していますが、あの説が正しければ、ユダヤにエジプト的な魂の再帰する信仰が存続していた可能性もあるかと思ったり。

2014-09-13 01:35:13
ピュシス @bcphysis

@komorikentarou すみません、おくればせながら、リプありがとうございました。はい、フロイトの仮説って、結構的を射ている、とかエジプト研究していた先輩から聞いたことあり、へーやっぱそうかー、と思った記憶があります。図式としては分かりやすいですよね

2014-09-13 02:12:09
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

なるほど、エジプトの物質的な転生観が、時と場所を隔てて霊魂による転生観に変化したのではないかという仮説ですか。一考に値する説だと思います。この観点で文献探しても、裏付けになりそうなものが何か見つかりそうな気がします。@bcphysis

2014-09-13 01:45:59
ピュシス @bcphysis

@komorikentarou バンヴェニストがやっていたみたいに、もうちょっとこのあたりを概念変遷史的に研究している方がいらっしゃれば、裏付けられそうですよね。既にありそうな気はします

2014-09-13 02:14:19
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

「ナグ・ハマディ」文書は、転生説が含まれた古文献が結構あるそうですね。私も聖書研究会で「ナグ・ハマディ」文書を持ち出したことがありました。 @bcphysis 「ナグ・ハマディ写本」の中にもかなり見られます

2014-09-13 02:11:34
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

プラトンの「ティマイオス」「クリティアス」に転生観が出てきますが、アリストテレスは否定派ですね。この対立が、ローマ人と、初期キリスト教徒に持ち込まれているという指摘というか考察ははっとさせられるところがありました。ツイッターに諸賢ありと感じ入ります。@bcphysis

2014-09-13 02:23:20
ピュシス @bcphysis

@komorikentarou 初期キリスト教は十把一絡げにできない面白さが詰まっていますよね、ごった煮感があり。プラトンのその2著作はもちろん、とっちらかりすぎるのであえて先ほどの乱文ではネタに挙げませんでしたオルフェウス教、また、グノーシスとか新プラトン主義とか呑んでるあたり

2014-09-13 02:30:28
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

そろそろ就寝するけど、今日は昔の聖書研究会で騒いだことを思い出してたくさんつぶやいた。キリスト教徒(らしい)人たちから一部叩かれたけど、私の言ったのをとっかかりにしてピュシスさんが展開した考察は読めてよかった。文化論的に世界史を読みかえる作業につながる素材があると思う。

2014-09-13 02:35:48
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

(1)昨晩のピュシスさんの考察で、ユダヤ文化に転生思想の痕跡が見いだせる謎について、見通しのようなものが得られたのでちょっと書いてみます。フロイトの仮説に従い、ユダヤ教の起源は、古代エジプトの異端少数派のアトン神の一神教であるとします。@bcphysis

2014-09-13 10:49:39
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

(2)エジプトで遺体を保存してミイラ化したのは、その肉体に魂がまた回帰して復活する信仰があった。アトン派も元々それについて同じ信仰をしていたと思われるが、イクナートン以降アトン信仰への大弾圧があり、アトン信者の保存ミイラは根こそぎ破壊された。

2014-09-13 10:50:01
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

(3)イクナートン以降の弾圧を経てアトン信仰は変質し、遺体がなくても復活して生き返れるという信仰に変わったのではないか(ピュシスさんの指摘に基づく仮説です)。その信仰形態は、全員が転生復活するものでなく、信者だけが肉体をまた得て生き返る、いわば復活転生信仰。

2014-09-13 10:50:20
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

(4)旧約聖書にみられる謎めいた言い回し「民の上に加えられる」(創世記49.29等)は、この復活転生信仰を反映して、再び肉体を得てよみがえる表現であろう。その信仰は変容しながらも、イエスの時代にまでは続いていた。ヨハネ書などの転生観は、その表れだろう。

2014-09-13 10:50:46
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

(5)あるいは「わたしはあなたを先祖たちのもとに集める」(列王紀下22.20)のような表現も該当するかも。ただ、時代が下ってこういうのは限られた預言者にしかあてはまらないとみなされるようになっていったのかも。

2014-09-13 20:01:58
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

(5)あるいは「わたしはあなたを先祖たちのもとに集める」(列王紀下22.20)のような表現も該当するかも。ただ、時代が下ってこういうのは限られた預言者にしかあてはまらないとみなされるようになっていったのかも。

2014-09-13 20:01:58
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

ツイッターで垂れ流してしまったけど、このことは、結構文化史的には、大きな知見じゃなかろうか。論文にまとめてもいいくらいの。

2014-09-13 11:23:45
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

昨晩からの説についてどの程度たしからしいのか考えてみたが、もしこんなことが遍く信じられていたとしたら、先行する学者や研究者からとっくに指摘が出てこないとおかしいというのがある。ただフロイトのアトン信仰とユダヤ教の結びつきは、キリスト教系研究者からとりあげられることが少ないが→

2014-09-13 20:50:58
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

→割合信憑性は高いと考えていて、エジプトから脱出したユダヤ人たちが、エジプト内の異端少数派の神の信仰者だったのはそうだろうし、フロイトが列挙しているようにアトン教との類似は無根拠とは言えない。それと、エジプト出身なのにユダヤ人たちがなぜミイラを作らなかったのかという疑問への説明→

2014-09-13 20:52:11
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

→になる。時代が下って旧約聖書の文献が編まれる頃には、初期アトン信仰の形態はかなり退いたか沈潜したとすれば、ありえない話ではないと思う。預言者の復活が信仰されていたらしいことをも加味すれば。この点については、もう少し文献を調べてみようと思う。

2014-09-13 20:52:47
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

西暦553年に開かれた第2コンスタンティノポリス公会議において輪廻転生の教えは削除することになったそうなので、その前段階の文献にはかなり含まれていたのだろうけど。ナグ・ハマディ文書もちょっと調べてみます。「トマスによる福音書」84は、転生の話にとれそうな気もするが、わからん。

2014-09-14 00:47:55
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

今朝書いた(1)~(5)のうち、(3)までは、フロイト説に依っているがその範囲でまずまずありそうな推測、(4)は飛躍があって論証はされていない。(5)は、推量の域を出ないので正しいとも何とも言えない。

2014-09-14 02:20:37
小森健太朗@相撲ミステリの人 @komorikentarou

少し質問させてください。"復活がさほど驚かれなかった"というのは、根拠としてはどういうのがありますか? それと、ユダヤ教内の転生思想についてふれている文献、歴史書でご存じのものを教えていただけないでしょうか。死海文書かナグ・ハマディ文書絡みのは幾つか知ってます@bcphysis

2014-09-13 20:22:56
ピュシス @bcphysis

必死に編纂して「正典」を選り分けたにしては、ヨハネ福音書とマタイ福音書とですら、「復活」に関する叙述の整合性がいい加減すぎやしないでしょうか(外典まで含めれば尚更) @komorikentarou "復活がさほど驚かれなかった"というのは、根拠としてはどういうのがありますか?

2014-09-13 20:58:00
ピュシス @bcphysis

一方で、顕現において語られることは流石に一貫していますよね(教義に関することだから当たり前ではありますが) つまり、「復活したことそれ自体」は教義上、重要ではない。「人を感動させ改心させたのはそこではない」んですよね @komorikentarou

2014-09-13 21:00:39
ピュシス @bcphysis

なので、すみません、日本語で「驚いていない」というと語弊があるかもしれません。「見た」人はびっくり箱的な驚きはあったのでしょう。でも、それが宗教的な意味での驚異ということにはなっていない、と見ています @komorikentarou

2014-09-13 21:05:03