アルカの反復相
"esk lunand"によって感じられている「反復感」というのは、ある程度広域の時空間範囲にその事象が「繰り返し起こっている」ことへのものだろうよ。でも普通は「反復」について考慮する際の時空間範囲は、個体に付随するんだろうね。個体レベルの反復か、場レベルの反復か。
2014-10-24 17:21:23お言葉を借りて、「Tが繰り返しKする」を"集団的反復"、「集合Tの各要素がKする」を"分配的反復"と名付けようか。 少なくともここでは、集団的反復は"個体レベルの反復"、分配的反復は"場レベルの反復"と同義。 反復相はこの二つを形態上区別せずに表現していることになる。#arka
2014-10-24 18:31:46つまり、「inan sein xtamand」は、集団的反復で解釈すれば『観客全員で一斉にスクワットをする』、分配的反復で解釈すれば『観客が次々と立ち上がる』という光景を表現していることになる。
2014-10-24 18:36:56「selan vortand」なら、集団的反復では『人々が一斉に死んで生き返ってを繰り返す』、分配的反復では『人々が次々に死ぬ』ということになる。
2014-10-24 18:39:35一方「inan ves xtamand」では主語に分配性がなく、集団的反復の解釈しかありえないので、必ず『一人の観客がスクワットをしている』という光景に解釈される訳か。
2014-10-24 18:46:30@Faras_Tilasos こっちが分配的・集団的という言葉を使った矢先申し訳ないのですが、個体レベル・場レベルのほうがいいかもしれません。「個」に対して「集団的反復」というのは少し違和感があるし、どちらかと言えば、「個」については「個体レベルと場レベルが一致する」ですし。
2014-10-24 18:48:35そうだよ。だから原理的にはアルカの反復は2種類あって、それを文化によって1つに無意識にアルカ話者は収束させてる、といったほうがいいとおもう。
2014-10-24 18:49:37まあ普通同じ人が何度も生き返ったりはしないし,立つことを反復してるという言い回しでスクワットを指すことは無いわな.小学生とかが先生をからかって,そういう解釈をぶつけることはあるかもしれない「人は一回しか死にませんーwwwwww」とか
2014-10-24 18:50:43「esk lunand」は人によって解釈が違いそうだ。Yoozaさんは雨粒単位で考えていらしたので、分配的反復と捉えておられるのだろう。この場合、集団的反復で考えると「一粒の雨滴が何度も落ちて来ている」という解釈になって、違和感を感じられることだろう。
2014-10-24 18:50:46人間一人において立ちの動作が反復している →スクワットしている、頻繁に座る席を入れ替えている、頻繁に座り直している、頻繁にヒザカックンされるので体勢を立て直し続けている あってる?
2014-10-24 18:51:34人間の集団が立ちの動作を反復している →全員で息を揃えてスクワットしている、その集団の全員が各々に関係無くスクワットしている、全員が息を揃えて頻繁に座り直している(以下略 あってる?
2014-10-24 18:53:30「少年AとBとCとDは次々に帰っていった」。これは「次々に」のおかげで「反復感」は場レベルに縛られる(すなわち集団的解釈に縛られる)。
2014-10-24 18:55:24