海上自衛隊の飛行機乗りを満期定年した実父が数年ぶりに劇場に見に行く映画としてキムタク実写ヤマトを選んでいます。あさって行く予定ですが、どうしたらいいでしょうか。

私の父の海上自衛隊生活、航空学生からP-2J、P-3C搭乗・指揮、そして統幕本部勤務、P-X開発、定年までの話。ちなみにきっかけはその温厚で実直な父が、定年後もろくに取らなかった休みで実写版大和を見に行こうと言い出したこと。父は無事、映画館から帰ってこれるだろうか!(じょじょ、冗談です~)
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米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

私も幼かったので記憶がおぼろげだが、父は固定翼機、外にヘリと飛行艇があったのだが、飛行艇PS-1では悲しい事故が6機で起き、30名が亡くなっている。当時は遺体も遺骨も回収できないこともあり、骨箱の中がその事故海面にたまたま浮いていた煙草の箱一箱ということもあったという。

2010-12-03 03:01:03
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ヘリコプターの事故もあり、父が関わった捜索では、さすが最近だけあって優秀なサルベージ船、それもオーナーの趣味で旧海軍の巨大戦艦と同じ名の船が出動し、海中の遺体を回収できたが、その回収潜水艇のカメラに、亡くなった彼の愛していた軍艦旗が海中でたなびいているのが映ったという。

2010-12-03 03:06:13
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

父は幸運だった。父が乗ったP2-J(Wikipediaには「ぴーにじぇい」と呼び方が載っているが、父たちは「ぴーつーじぇい」と呼んだ)は軍用機には本当に稀なことに生産配備された全機が無事故で無事退役した。性能も良かったが、父とその同期もひやりとする場を何度も切り抜けた結果である。

2010-12-03 03:11:13
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

父は戦術航空士として操縦士に指示を下す機長だった。ある時、飛行中に燃料が漏れていて、残燃料が目的地に行くか、引き返すかのどちらかしかなく、それを選ぶ必要に迫られた。12名の生命が父の決断にかかることになった。燃料切れは即座に墜落、そして死だからだ。不時着なんて期待できない。

2010-12-03 03:15:26
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

結論は、目的地へ行く、という判断だった。決断すればあとはみな気持ちは一つだ。燃料タンクの残り一滴も無駄にせぬよう、操縦士は機体を振ってその一滴を燃料管に誘導し、エンジンを回し続けた。そしてついに目的地が見えた。無事着陸に成功。しかしこの話は実は最近聞いた話。

2010-12-03 03:19:12
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

私も小さい頃から基地に連れられてP2-Jを見せ、時には整備中の機内に入れてもらった。Wikipediaには居住性がP2-Vより向上なんて書いてあるが、実際は子供の私でも泣きたくなるほどの狭い機内だった。そこで10時間以上パトロール飛行任務を続けるのは、長身の父は大変だったと思う。

2010-12-03 03:23:28
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

居住性と言うがあの背も伸ばしにくい狭さで10時間、その上今みたいにGPSもなく、方位と偏流と時計に、頼りない電波標識だけで日本海から太平洋オホーツク海東シナ海と水平線しか見えない広い海、しかも天候にも勝てない。任務で頼りになるのは自分とクルーの技量とエンジンだけ。想像に余りある。

2010-12-03 03:29:23
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

それでも父はそれを単なる苦労話にはしない。クルーという同じ機に乗るチームの結束から生まれた話も楽しげに話す。たまたま千歳に着陸したとき、せっかくだからと札幌の街に繰り出したらボッタクリ店だったが、なんともなかった。用心棒だって数人、12人の鍛えた身体のクルーに脅しは効かない。

2010-12-03 03:34:40
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

また父は実は美術で県展で受賞したこともあった。たまたまだったのかもしれないが、それでも父の独特の感性は、大空と大海原と雲に何も感じないことはなかっただろうと思う。空は危険だったが、それでも美しく、魅力的だったことは自然に私にも理解できた。父が時折描く風景画にもそれを感じる。

2010-12-03 03:38:20
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

父の同期に写真家になった方がいて、その海上自衛隊の飛行士と飛行機とその風景の写真集を出したことがあり、今でも私はそれを時折眺める。10時間以上、朝昼晩と3食の弁当を積んでの哨戒任務、そんな風景も見られたが、哨戒機の仕事は敵の発見であって、その後の脱出は基本、絶望だった。

2010-12-03 03:43:11
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

そんな哨戒機が、唯一完璧に勝てる相手が潜水艦だった。潜水艦は哨戒機にどうやっても勝てない。潜航中に発見されれば対潜魚雷爆雷の雨、浮上しても哨戒機は自由にロケット弾で攻撃できるが、潜水艦はそれに対抗できる武器はない。Uボートは機銃で対抗しようとしたが無力だったのは歴史の事実。

2010-12-03 03:46:24
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

哨戒機の存在を知った潜水艦ができることは、潜航してただひたすら沈黙し、動かないことだけ。原潜はなおさらそうで、高速で逃げても哨戒機には追いつかれるし、動かなくても原子炉のポンプ音が哨戒機にばっちり捕捉される。原潜は工夫に工夫をしてその音を消すようにするが、負は悪かった。

2010-12-03 03:50:41
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

逆に自衛隊の持つようなディーゼルで充電した電池で動く通常潜水艦は、モーターを切ればとても音が小さくなり、哨戒機にとって負けることはないが簡単には勝てない相手。お互い辛抱我慢勝負となるが、P-2Jは操縦士とは別に戦術航空士がその勝負の判断をする。P-2Jはそこで成功していた。

2010-12-03 03:54:25
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ついでながら原子力潜水艦が頑張ってどんどん深く潜っても哨戒機にはなんの効果もない。水中で響く音は空中よりもよく伝わる。深さにかかわらず。他の船の音に紛れる方法もあるが、一番は塩分濃度の変化。塩分濃度で音は屈折し、工夫すれば対潜艦艇をその屈折域でまくこともできる。

2010-12-03 03:58:20
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

その音を隠す方法を使うのが潜水艦乗りの技量であり、海自はそれに長けた潜水艦長が多く、中には訓練で米空母機動群の中に紛れ込み、米空母の至近距離で潜望鏡を上げ写真を撮るものもいた。事実上の空母撃沈である。その潜水艦長はその時の写真を家宝として持っているという。撃沈、と言葉を添えて.

2010-12-03 04:02:42
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

ところが、その潜水艦長たちでさえも、屈折した音は結局どこかには届いてしまうし、それを受信できる海中マイクをもつ「ソノブイ」を配置し面的に監視する哨戒機にはそのトリックは効かない。やっぱり我慢勝負であり、その我慢しているうちに、想定での味方陣営の戦闘機に追い払ってもらうしかない。

2010-12-03 04:07:15
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

当時の脅威、ソ連の戦闘機に対抗するのはあくまでも空自だが、その戦闘機は高速でも当然哨戒機ほど燃費が良くないため、遠くまではいけない。そこで哨戒機を守るのが米空母の戦闘機に頼るしかない。米空母はあまりにも高価で、自衛隊はそんなモノ買えるわけがなく、助けてもらうしかない。

2010-12-03 04:10:55
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

哨戒機は高空から潜水艦や艦船を捜索し、そして不審を感じたら降下して確認、必要に応じて旋回しながら写真を撮ったり、ロケット弾や魚雷で攻撃刷るのがパターンなので、その訓練なのでしょう。他にも厚木では特に相模川を目標にして、基地への着陸まちの旋回もしているようですね。

2010-12-03 04:14:28
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

確かに海上自衛隊にも防空艦がある。でも当時の防空艦は1つのアンテナ(イルミネーター)で1つのミサイルを誘導するのがやっと。対して相手はミサイルをいっぱい積んだ編隊で一斉攻撃してくる。海自の防空艦はまさに自衛だけで、哨戒機を守ることどころか、自分だって本気の相手には危うかった。

2010-12-03 04:17:38
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

でも海自防空艦のクルーは優秀で、リムパックみたいな国際訓練では優秀すぎて別挌、オブザーバー参加になったこともあった。腕は良かった。艦も新しかった。でも本当にガチで防空するにはイージスシステムでミサイルを乱れ打ちできる最新のイージス艦が必要で、それはなかなか買えるものではなかった。

2010-12-03 04:22:26
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

その弱点はソ連にも分かってしまった。戦闘機で哨戒機を追い払い、自由になった潜水艦と超音速爆撃機バックファイアでミサイルの雨を降らせれば、米空母も自衛艦隊も容易に排除できる。邪魔なのは哨戒機と、それを守る空自と米F-15、そして米空母のF-14。そこで作ったのが今のミグやスホーイ。

2010-12-03 04:26:51
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

もちろんそれを日本も米軍も分かっていたし、お互い探り合っていたから、ソ連も原潜を強化した。より静かに、より速く。哨戒機に見つかってボコられる寸前にダッシュで逃げられればしのげるという計算もあったみたい。見つかりにくくするために工作も精密にやった。ノイズが出ない軸受とかも作った。

2010-12-03 04:29:36
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

もちろんそんなの作らせたくないから、工作機械をソ連とかに売らないよう決めた規制があって、それは今でも北朝鮮イラン相手に使ってる。一時期問題になった東芝工作機械問題もそれに抵触したと言うけど、実はそれ以前にソ連はかなりがんばって静かな原潜を作ることに成功していた。

2010-12-03 04:32:21
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

そうなると聞いた音から海の音を消すコンピュータを使って静かなソ連原潜を炙り出すことを考えた。でも当時のコンピュータはでかくて、決定的なのはP-2Jには積めない。そこでP-3Cの導入となって、そのプログラムの開発にプログラム業務隊が厚木にできた。長い話すまんけど、父はそこに転勤。

2010-12-03 04:36:21
米田淳一:JAM国際鉄道模型コンベンションDM10自由環状線 @YONEDEN

当時のコンピュータはパソコンどころかポケコン。ちょっとサインカーブ書くプログラムBASICで作るとメモリが満杯。しかも保存ディスクなんてのもない。そんな時代に無理に自衛隊でコンピュータ部隊作ったから、そりゃ大変。買ったはいいがメーカーのSEと部隊の間で立つ瀬なしになりかねない。

2010-12-03 04:40:24
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