独歩氏の信州街道歩き記録
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漸く鎌原宿=鎌原村は、天明3(1783)年の浅間山噴火による土石流に襲われ壊滅、高台にある観音堂に避難した者だけが助かった。 pic.twitter.com/9GpYfjteP7
2014-11-20 15:46:21@yojigentoire おはようございます。もう大興奮です!!!なぜこの道を歩いてるんですか。今回の独歩さんの旅をまとめた資料が欲しいです。この道はいつか絶対に調べて歩きたいと思ってたんです。いちいち独歩さんの歩く道はツボにハマります。…あ、お疲れさまです。職質(^_^;)
2014-11-21 05:33:18@alpsmieru お早うございます。今日は上信国境の高原地帯を歩きます。上天気なので景色が楽しみです。帰宅したら今回の旅をまとめてみます。添付写真は四阿山(あずまややま)。 pic.twitter.com/HEKYQHOscL
2014-11-21 07:43:15鳥居峠=上信国境の標高1362mの峠。信州街道は、信州側からは上州大笹に通じるので大笹街道と呼ばれた。四阿山(日本百名山の一)の登山口。 pic.twitter.com/8Gi1kob9ak
2014-11-21 09:10:24大笹街道の土手道=峰の原高原は標高が1500m以上もある寒冷地で、粉雪はわずかな風でも舞い上がり、多くの旅人が道を失い遭難した。これを防ぐため、雪が積もらないように高さ1~1.5mの土手道を造り、ここを歩かせるようにした。 pic.twitter.com/ZPSQ5VJsqs
2014-11-21 12:25:09@yojigentoire この写真はまるで東山魁夷の絵を見るようです。実は絵があって景色があるのではなく、この美しい景色があって東山魁夷の絵があるのですね。素晴らしい。
2014-11-21 13:22:19仁礼宿=上・下問屋、新問屋のの三つの問屋があった。仁礼宿からの山道は険しく、冬季の遭難や事故が多かった。 pic.twitter.com/mTVrdtI1v4
2014-11-21 15:18:06福島宿道標=右 松代道 左 仁礼草津道 ここが大笹街道(信州街道)の起点 pic.twitter.com/0IT6HwSxCT
2014-11-21 17:48:53福島宿=福島は戦国期から既に千曲川の渡船場があり交通の要衝だった。慶長16年、松平忠輝によって北国脇街道・松代道が整備され福島は伝馬宿として成立した。 pic.twitter.com/TsnrPe5uHL
2014-11-21 17:53:55@alpsmieru 本当に疲れた。近頃は前日の疲れが翌日に持ち越すようになり、3日連続の40kmを越す歩きは辛いです。帰ってからの整理が楽しみです。
2014-11-21 18:08:04@yojigentoire この街道は山道ばかりで大変そうと思っていましたが、もうゴールなんですね。お疲れさまでした。寂しい街道と思っていたので、宿があることに感動しました。
2014-11-21 19:53:56@torashikiqururu ありがとうございます。信州街道は、適当な宿を見つけるのが大変でした。私の場合、行った先からバスで戻ったり、嬬恋村は公共交通機関がないので、街道から2kmも外れた宿に泊まりました。
2014-11-21 20:02:32漸く飯とビールにありつけた。新幹線に飛び乗ったので乗車前に買う暇がなかった。 pic.twitter.com/skx63B4KEx
2014-11-21 19:17:29