「90年代ラノベ」→「オーフェンと草河遊也」→「ラノベのジャンルと絵の変遷史」→「TRPG雑誌史」(イマココ)

「ファンタジーRPG」だった90年代前半のラノベについての話題から、tttパワーにより「草河遊也とその前後の絵師とラノベのジャンル」「ラノベの絵と内容の変遷史を検討する」流れに。時代は80年代、70年代と遡って検討がすすみます。 そしてロードス島戦記からつらなる90年代「ファンタジーRPGラノベ」の検討に不可欠なラノベ雑誌等とTRPG雑誌のレーベル史、雑誌そのものの変遷史へ。われわれはどこへ向かうのか! みなさまでデコったり色々お願いします。
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hiroyuki @hiroyuki_in

電撃の母体のメディアワークスが角川の内紛が原因でできたという出自があるので「富士見角川電撃」という括り方には違和感あるかも。当時角川が出してたそれ系の雑誌の編集者や書き手がごっそり電撃系の新雑誌に移行して、レーベルとしての独自色を一気に強めていって、

2010-12-05 05:13:42
hiroyuki @hiroyuki_in

ラノベもTRPGもすべて電撃レーベルに取り込もうとしてた気も。確かD&Dの翻訳が電撃文庫で出たんだよなあ。この辺の歴史的事実がどれだけ因果的な力を持つのかはわからないけど、電撃レーベルの確立、TRPGブームの終焉、TCGブームの到来がだいたい同じ時期に起こった印象がある。

2010-12-05 05:17:09
@ttt_ceinture

『電撃アドベンチャーズ』がテーブルゲーム雑誌だった時期があるんですよ。RT @hiroyuki_in: //レーベルとしての独自色を一気に強めていって、ラノベもTRPGもすべて電撃レーベルに取り込もうとしてた気も。確かD&Dの翻訳が電撃文庫で出た

2010-12-05 05:18:46
@ttt_ceinture

初期の電アドは黒田幸弘の「ゲーム千夜一夜」が紙面上に何の違和感もなかったし、イギリスボードゲームの紹介なんかもあった。ある時期から紙面リニューアルし、テーブルゲームが減っていく。最終的には終刊し、前後期にMTGの『ぎゃざ』が始まる。

2010-12-05 05:20:15
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 『RPGマガジン』の向こうを張った感じの雑誌でしたっけ?MTG専門誌化すると運命を本家と同じように辿ったわけか・・・。

2010-12-05 05:24:31
@ttt_ceinture

あれ、TRPGと電撃や角川のつながりで言うと、『RPGマガジン』(ホビージャパン、1990-99)も絡むのか。そうなると、TRPGの制作会社やPBM運営会社が版元やアニメ製作会社とどうつながっていたか、なども関係するのか。

2010-12-05 05:25:59
@ttt_ceinture

うーん。RPGマガジンほどのテーブルゲーム率無かったと思う。あと、MTG化したのはMTGブームが起きたからです。RT @hiroyuki_in: 『RPGマガジン』の向こうを張った感じの雑誌でしたっけ?MTG専門誌化すると運命を本家と同じように辿ったわけか・・・。

2010-12-05 05:26:53
hiroyuki @hiroyuki_in

実家には『ウォーロック』も『コンプRPG』も『RPGマガジン』も全揃いではないにしてもある程度は残ってるはずだから今度見てみよう。『コンプRPG』が急に紙面リニューアルしたときの衝撃は今でも割と覚えてるな。

2010-12-05 05:32:03
@ttt_ceinture

私より適役発見。私は全然持ってないや。RT @hiroyuki_in: 実家には『ウォーロック』も『コンプRPG』も『RPGマガジン』も全揃いではないにしてもある程度は残ってるはずだから今度見てみよう。『コンプRPG』が急に紙面リニューアルしたときの衝撃は今でも割と覚えてるな。

2010-12-05 05:33:14
hiroyuki @hiroyuki_in

中高生時代の愛読誌だった『ウォーロック』と『RPGマガジン』、前者はゲームブックブームの終焉と共にウォーハンマー専門誌と化し、後者はTRPGブームの終焉と共にMTG専門誌と化し、静かに消えていった・・・。

2010-12-05 05:37:22
@ttt_ceinture

あ、すんません。電撃アドベンチャーズ(1994-98)→『ぎゃざ』じゃなくて、RPGマガジン(1990-99)→『ぎゃざ』(1999-2006)でしたね。電アドは消えただけだったのか。@hiroyuki_in

2010-12-05 05:41:10
@ttt_ceinture

電アド:"1996年ごろには読者参加型ゲームなどが中心となり(聖獣魔伝ビースト&ブレイドなど)TRPGの記事がほとんどなくなっていた。初期は、まだ日本では認知度が低かった「マジック・ザ・ギャザリング」を紹介するなどしていた。" たしかにこんな感じだったな。最後の方は迷走して潰れた

2010-12-05 05:42:16
@ttt_ceinture

ソードワールドRPGリプレイで思い出したけど、そうか、富士見ファンタジア以外に黄色い背表紙の富士見ドラゴンブックがあったんだ。ソードワールドのルールブックからもここから出てた。ここって電アドと結びついてたのかな。

2010-12-05 05:36:47
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 富士見は看板作品のソードワールドを中心に、不発に終わった周辺作がぽつぽつと出てたという印象ですね。富士見は角川の子会社だったので角川から離反した電撃につながるということはなかったんじゃないかと。

2010-12-05 05:41:47
@ttt_ceinture

あ、そっか。ドラゴンマガジン(1988-)~富士見、他方で、電撃~電アド、なわけですね。こんがらがってた。角川では、スニーカー文庫創刊が88年、雑誌『ザ・スニーカー』創刊が93年か。@hiroyuki_in

2010-12-05 05:45:10
@ttt_ceinture

やはり私だと役者不足だな。歴史的追跡には向いてないようである。

2010-12-05 05:46:11
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture ぼくよりもう少し上の年代で、かつ今でも現役のTRPGゲーマーの方が多分資料的にも頼りになると思いますよ。ぼくはブームの時中高生だったので主に経済的事情からゲームも雑誌も書籍も購入制限がありましたからね。

2010-12-05 05:45:10
@ttt_ceinture

ましてやPBMは資金かかりますしね…。RT @hiroyuki_in ぼくよりもう少し上の年代で、かつ今でも現役のTRPGゲーマーの方が多分資料的にも頼りになると思いますよ。ぼくはブームの時中高生だったので主に経済的事情からゲームも雑誌も書籍も購入制限がありましたからね。

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