「政治的な正しさ(PC)の論理の不条理さ」と「「弱者」による強権」
- contractio
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「集団カテゴリーの(不)適切な使用法について」http://togetter.com/li/6629 を @contractio さんがまとめてくれていたのか。うーん考えさせられる。
2010-02-26 01:26:26「○○の権利のために!(○○には「女性」でも「LGBT」でも何が入ってもいい)」と何かを主張してる人の発言に、「あー、この人の言ってる○○って、要するに"自分”のことでしかないよね」という匂いを感じると、途端に鼻白む。
2010-02-18 12:08:40と今公式RTしたツイートから発展した議論。いくつか論点が混線してはいるようにも思えるけど、いずれも重要な点だなぁ。後半で問題になっているのは、多数派が少数派を差別する構図はよく言われるが、少数派が多数派を糾弾するのも暴力である(向けられる方は辛かったりする)、ということか。
2010-02-26 01:43:06この論点、すごく分かるんだよなぁ。文学でも、カルスタにせよポスコロにせよ、弱者への抑圧を暴き出し、それを糾弾することが正義という空気があって、それに反対する人はもちろん、無関心な人も、違う論点を取りたい人もガンガン糾弾されたりするんだけど、そこに、もっと激しい暴力を感じたりする。
2010-02-26 01:45:58より心理的に対処しやすいのは、当事者じゃない人による糾弾。そういう人は左翼的な言説を振りかざすのが単に気持ち良さそうなので、「ああこの人は「正義」「PC」という名の暴力正当化装置が欲しいだけなのね」と分かるし、糾弾されてもそれほど心は痛まない。
2010-02-26 01:48:48トゥギャッターでの議論はそうではなく、当事者同士の問題。僕の身近な例に置き換えれば、女性から「男性のそういう発想が私達をいたたまれなくしている」と糾弾される場合。反省しようとも思うし、それをきっかけにより配慮するようにしようとも思うんだけど、完全に相手の言う通りと思う訳でもない。
2010-02-26 01:51:57反論はいくつも思い当たる。「それはそういう意図じゃないのに誤解しているだけだ」とか「それを言ったら女性だって…」とかあれこれ。しかしそれで済まないのも分かる。自分が暴力を受けていると感じる人はたとえ過剰であろうとその理由を求めずにはいられないのも分かるからだ。
2010-02-26 01:54:29そういうときにどうすればいいのか、ということについてマニュアル的な答はないんだろうけど、考えていかないといけないことだなぁと思う。対話で誤解を解いて、正当だと思われる部分だけ受け入れる?いや、そういう理性的な解決で済む場合は意外と少ないんだろうな。
2010-02-26 01:57:37精神的に抑圧を与えて相手を病気にした人が、その病気になった相手からの暴力をどこまで耐えるべきか、という問題と、似ている。(病気というのはもちろん比喩です。フェミニストとか左翼は病気だとか言いたいのではありません。いやそれでも適切な比喩じゃないと言われるんだろうけど。)
2010-02-26 01:59:38貧困によって犯罪者を産んだ社会が、その者による犯罪をどこまで免罪するか、ということも似ている。平和共存を唱えたり「暴力根絶を目指す」とか言うのは簡単なんだけど暴力は現実にあるし、しかもそれは循環する。暴力の循環を止めること自体が新しい暴力であるという側面もある。
2010-02-26 02:03:34構造としては先進国-途上国間の環境問題にも通じるのかな。途上国の木を伐りまくって経済的・土壌的特性を変えておいて、急に「環境保護」を謳いだす。これでトラブルが続いている。東南アジアとか。QT @portedieu 暴力の循環を止めること自体が新しい暴力であるという側面もある。
2010-02-26 02:08:30正直、僕はセクシャルマイノリティには冷淡な人間だと思うんだけど(それを公言することも暴力への荷担だ、とか指弾されてもしょうがないけど)、しかし彼らの議論の真剣さ、問題意識の言語化への熱意は、敬意に値すると思っている。見習いたい。ていうか妬ましいくらい。
2010-02-26 02:18:46しかし、僕のような人間にも、セクシャル(以外でもそうかも)マイノリティになぜ冷淡なのかを正当化しようとする機会は認められても良いと思う。理由は大きく分けて二つ。うーん・・・経験に即して書くべきか一般化して書くべきか。
2010-02-26 02:22:52まぁいいや、両方書こう。一つ目。高校時代、ホモ(と思われる先輩)により身の危険を感じたこと。これは二つの反論を貰うだろう。一つは「全員がそういう人間じゃない!」。うん、もっともだ。もう一つは「女性は常に痴漢とかでそういう危険を感じてるんだから一緒だ」。これも確かにそうだろう。
2010-02-26 02:25:28しかしそれでも僕がある程度マイノリティに冷淡であるべきだと思う理由は、マイノリティ以外の暴力は制度が制裁を加えるようになっている。たとえば痴漢は捕まる。しかし、僕が男に痴漢行為をされたと訴えても駅員さんは痴漢行為を受けた女性ほどはまじめに取り合って貰えないだろう。裁判とかもそう。
2010-02-26 02:28:10したがって、マジョリティからマイノリティへの暴力に対応する為に警戒する以上に、マジョリティはマイノリティからの暴力に自分自身で警戒しなければならない。これが僕がマイノリティにある程度冷淡であろうとする理由だ。(もちろん慎ましいマイノリティに冷淡にする理由は全くないし、そうしない)
2010-02-26 02:30:34たとえばホモによる痴漢が男性から女性への痴漢と同じ厳しさで罰せられるようになれば、また、性的な関心での窃視の防止という、風呂やトイレの区別と同じ原理を同性愛者にも適用できるなら(できないと思うが)、僕は冷淡という個人的な対処を解除できるだろう。
2010-02-26 02:36:24僕の言うような理由が正当だとすれば、平等を訴えたいマイノリティは、権利拡大を訴えるよりもまず、マイノリティによるマジョリティへの被害を制裁する制度を、マジョリティに適用されているのと同等に自分達に適用することや、アファーマティヴアクションを解除することを求めるべきだろうと思う。
2010-02-26 02:39:50二つ目は、さっきから言っている暴力正当化装置としてのマイノリティが怖いからだ。怖いっていうかけっこうそういう暴力は日頃から向けられている。「マイノリティ」という名のラウドマジョリティの力は普通に怖い。彼らは自分達の振るう暴力を全く悪いと思っていないので手加減がない。本当に怖い。
2010-02-26 02:46:28そして「集団カテゴリーの(不)適切な使用法」で議論になっていた通り、たぶんこういう話で何度も言っておかなければならないのは、僕の言っていることは暴力的でないマイノリティに対する抑圧の正当な理由にはならないということだ。これはよく自覚しておかなければならない…。
2010-02-26 02:50:04ポリティカルコレクトネスに乗らないようなことを連投すると、すごい勢いでフォロワー減ったなぁ。おそろしや。しかし僕はこれを特定の偏向性しか許されない空気からの自由の問題だと考えているので、だからと言って改めるつもりはないのだが。
2010-02-26 11:01:49僕は、耳障りのよい「正しさ」よりも、「正しさ」という美徳によってカバーされていない耳障りの悪いもう一つの正しさを言語化したい。言語化は同時に反証可能性を与えることでもあるので、従来の「正しさ」にコミットする人をも利することだと思うんだが。
2010-02-26 11:09:46僕が、いわゆる「マイノリティ」の人の言語化への熱意に敬意を払うのは、認められている「正しさ」にあぐらをかこうとしているのではなく、「正しさ」に未だ掬われていない部分をさらに言語化しようとしているからだ。それは反証可能性をも与えることなので、自分の「正しさ」への誠実な態度だと思う。
2010-02-26 11:16:23