s_locarno さんによる「国語教育」と「学校文法」について #gengo

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ロカルノ @s_locarno

この整理の仕方は大筋においては納得できるものでしょう。日本語の文法に詳しくなることによって、「読解力が向上する」ということや「作文がうまく書ける」とならないことは自明なわけだから、国語の文法教育の意義は、実利的な技能の他に求められなければならない。

2010-12-15 23:02:14
ロカルノ @s_locarno

したがって、文法教育によって「対象への愛着」を喚起し、「言語への感覚」を育てるという考え方に文法教育の意義を見出すことは妥当な考えと思う。「愛着」「言語への感覚」という語はややひっかかる点ではあるけど、暗記や技能ではないということを強調するという文脈で捉えていただきたい

2010-12-15 23:04:19
ロカルノ @s_locarno

ただし、橋本の考える「言語への感覚」と国語教育で育成することが求められている「言語感覚」との間には「ずれ」はあるようには感じる。この点については、橋本の「言語感覚」の話が文法教育に限定されているということと後述の学習指導要領は教科全体の目標ということによるかもしれないが

2010-12-15 23:08:42
ロカルノ @s_locarno

橋本は、文法教育によって身につけられることのできる「言語への感覚」を「言語(母語)への親しみ・愛着」であると考え、「母語である言語がこんな姿をしているということを把握する」という感覚の養成に主眼を置くべきであるとしている。

2010-12-15 23:09:06
ロカルノ @s_locarno

しかし一方で、国語科における言語感覚については、『中学校学習指導要領解説国語編』(平成20年)によると、以下のように説明されている。  ・言語感覚とは、言葉の使い方の、正誤・適否・美醜などについての感覚のことである。

2010-12-15 23:09:29
ロカルノ @s_locarno

 ・相手、目的や意図、多様な場面や状況などに応じて、どのような言葉を選んで表現するのがふさわしいものであるかを直感的に判断したり、話や文章を理解する場合に、そこで使われている言葉が醸し出す味わいを感覚的にとらえたりすること

2010-12-15 23:09:35
ロカルノ @s_locarno

これらの指導要領の説明をみて分かるように、橋本の「言語への感覚」という考え方が、日本語の仕組みそのものに対する関心興味に比重が置かれていたことに対して、国語教育における「言語感覚」は、言語に対する興味関心にとどまらず、実際の技能としての側面も含まれている。

2010-12-15 23:11:09
ロカルノ @s_locarno

さらに「言語感覚」は「実の場において体験され、磨かれるものであって、まして、国語科だけで身に付くものではない」という指摘 もあるように、文法教育によって「言語への感覚」を養うことが「言語感覚」の育成に寄与するかどうかは断言できない。

2010-12-15 23:11:42
ロカルノ @s_locarno

だから、文法教育の意義を「言語への感覚」に主眼をおいて良いのかは個人的には懐疑的にならざるを得ない。学習指導要領で述べられているような「言語感覚」の育成の一部しか担えないというのは、文法教育の価値が低すぎるように感じる。

2010-12-15 23:17:04
ロカルノ @s_locarno

まあ、橋本の論文では、様々な文法教育の可能性を挙げ、それぞれの現状について論じた上で、「言語への感覚」を養うことに文法教育が一日の長があるだろうと論じているので、「言語への感覚」が全てだと言っているわけではないので、先のコメントはやや恣意的か。

2010-12-15 23:17:31
ロカルノ @s_locarno

話を元に戻そう。橋本の指摘する「言語への感覚」を養うということは、それほど突拍子も無いことではない。国粋主義的な「母語への愛情」みたいな言説は脇に置くとしても、例えば「マニュアル敬語」などが世間の耳目を集めるように、母語に対する興味関心は普遍性のあるものだろう

2010-12-15 23:21:16
ロカルノ @s_locarno

その意味では学校教育でそのような興味関心を喚起したり、そのようなことを論じるだけの知識を教育することには価値がある。しかし、注意深くその興味を観察してみると言語学者の興味が精緻な分析にあるのに対して、世間の興味は「正誤」にある。

2010-12-15 23:23:39
ロカルノ @s_locarno

例えば「マニュアル敬語」が出てきた時に、学者は「マニュアル敬語」の成立する背景やその現象の法則などを説明することに意欲をわかせるが、一般の興味は「マニュアル敬語」が「いいか悪いか」の答えであり、「悪い」のであれば子どもに使わせたくないというものである

2010-12-15 23:28:21
ロカルノ @s_locarno

ここに学校文法の悲劇はあると思う。学者からは、「言語学の本質ではない」とこき下ろされ、世間からは「役に立たない」「わかりにくい」と断罪される。

2010-12-15 23:31:25
ロカルノ @s_locarno

また、話がずれてきたな…。ともかく学校文法の目的が暗記というのは無理があり、「言語への感覚」などの貢献を論じる必要があるということだ。

2010-12-15 23:36:13
ロカルノ @s_locarno

もう少し実利的な能力を鍛える役割として「メタ言語能力」の育成に文法教育が資する可能性があるという議論は割とよく行われている。先の橋本の「言語への感覚」も広い意味ではメタ言語能力。

2010-12-15 23:38:21
ロカルノ @s_locarno

「メタ言語ってなんだよ」って話になると説明するには手に余るので、今回は「言語の機能を認知する力」くらいで勘弁して下さい。

2010-12-15 23:40:05
ロカルノ @s_locarno

「メタ言語能力」を鍛えることによって、言語をより豊かに操れる可能性があるという議論については、森山卓郎氏の各種論文で指摘されているので、興味ある方はそちらを見ていただければと思う。教師向けの森山ほか2010『国語教育の新常識-これだけは教えたい国語力-』にメタ認知と国語の話がある

2010-12-15 23:47:01
ロカルノ @s_locarno

自分が飽きてきたというか、そろそろ時間がなくなってきたので、まとめになっていないまとめ。①学校文法は変なもんは変。②でも、今更変更はできない。③じゃあ、今の体系でもできることを見つけないと!④メタ言語能力がよさげだよね。という感じかなぁ…。

2010-12-15 23:49:17
ロカルノ @s_locarno

もちろん、文法が「読み書き」に直接役に立つための方法論や根本的に今までと異なる学校文法体系を考えている人もいますが、個人的にはやはりマイノリティにしかならないだろうなと思っています。教育現場は簡単に動けないのです。

2010-12-15 23:51:41
ロカルノ @s_locarno

最後に教師の資質の問題について。dlitさんが指摘しているように「きちんとした言語学・国語学・日本語学のレベルでの文法に詳しい国語教師と言うのはむしろ少数派」で間違いないです。先生らしいことはできるので文法が好きな先生は多いのですが、知識は雀の涙な人は多いです

2010-12-15 23:53:45
ロカルノ @s_locarno

かなり失礼なことを一介の大学院生が言ったけど、実際問題文法の授業は「象は鼻が長い」という日本語学では有名な例文すらしらない教師が「連文節だぞ!」と宣うことで成り立っているのが現状です。しかし、教師が悪いというよりは、そこまで教えることはできないし教える必要もないのです

2010-12-15 23:55:58
ロカルノ @s_locarno

国語教育の目標に「象は鼻が長い」について三上章の考えを理解することがあれば、それができない教師は問題ですが、国語の文法教育はそれが目的ではないのです。ま、じゃあ何が目的かと言われると先に述べたようにグダグダなのですが。

2010-12-15 23:57:56
ロカルノ @s_locarno

だから、文法教育の改善を考えるときには、教師が現実的にできることは何かということも考えざるを得ない。学校文法の問題点はかなりのものがあるのだけど、教師にそれを全て把握しろというのも無理がある。

2010-12-16 00:00:39
Takumi TAGAWA @dlit

@s_locarno 言語研究のしっかりした知識があるともちろん良いんでしょうけど、勉強にかかる時間がとても確保できないですよね…言語研究者ともっと助け合うというか情報交換みたいなことができると良いんだろうなーとかぼんやり思いますが、どう実現するのかは難しいですかねえ。

2010-12-16 00:08:17