神道いろは・神と仏、礼儀と「畏み」

巫女・神職の着物から、ぷちブームな御朱印、神社参拝・お守り所持の礼儀、神道の基本精神「畏れ・かしこみ」についてまで、素朴な疑問にQ&Aです!
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和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

神さまに仕えるので清浄の白…って意味も加わってますけどね…!男性神職の装束もやっぱり公家装束からきてますが、白の狩衣とか袍は神職だけで…白が清浄を表す神聖な色って感覚はきっと古墳時代くらいからあるんじゃないかなと思います。 @syachio99 @presen_tan

2014-11-19 23:46:53
リンク Wikipedia 神職 神職(しんしょく)とは、神道、神社において神に奉仕し祭儀や社務を行う者のことである。 神主(かんぬし)は本来、神社における神職の長を指していたが、現在では神職と同じ意味で用いられる。神官(しんかん)は祭祀を司る職業のこと(神宮直轄)で、第二次世界大戦前は伊勢神宮の「神宮司庁」の祠職のみが呼ばれた。日本国憲法施行以後、神道は国家管理から離れた為、神官は存在しない。 江戸時代までは物忌(伊勢神宮、鹿島神宮)、忌子(賀茂神社)などの名称で女性の職掌も存在し、他の職官でも女性の神職は存在した。しかし、儒教思想に影
リンク www.iz2.or.jp 浄衣姿・平安時代・和様の創製 日本服飾史 資料・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜 源氏物語、当時の貴族の風俗や生活を知るため、その舞台となった六條院『春の御殿(はるのおとど)』を1/4スケールで展示しています。書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語の世界を体感できる風俗博物館

肩と裾両脇が切れてて袖に括りがあるのが狩衣(かりぎぬ)→烏帽子(えぼし)とセット・やや略装
裾回りにひだがあるのが(元々文官装束の縫腋袍・ほうえきのほう)→とセットで「衣冠」・最正装
…さて、↑写真のうちどれがどれでしょうっo(*・_・*)o

リンク Wikipedia 狩衣 狩衣(かりぎぬ)は、平安時代以降の公家の普段着。もともとは狩の時に着用したのでこの名前がついたが、活動的であることから次第に普段着として定着した。その後、時代を経るに従って公服としての色彩を増し、直垂に継ぐ四位の武家の礼服ともなった。ただし、狩衣姿での参内(御所への出入り)は一切認められなかった。明治時代以降には、神職の常装となった。 狩衣装束の構成は、下着を着て指貫(あるいは差袴)をはき、狩衣を着るだけである。また、立烏帽子をかぶる。 普段着という性質上、狩衣の色目・紋様は全くの自由である。ただし、禁色
リンク www.iz2.or.jp 狩衣姿・平安時代・和様の創製 日本服飾史 資料・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜 源氏物語、当時の貴族の風俗や生活を知るため、その舞台となった六條院『春の御殿(はるのおとど)』を1/4スケールで展示しています。書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語の世界を体感できる風俗博物館
リンク Wikipedia 袍(ほう)とは、日本や中国などで用いられる衣服。日本においては、朝服の上衣のひとつ。武官・幼年用の闕腋袍(けってきのほう。両わきの袖付けの下を縫い合わせない)と、文官用の縫腋袍(ほうえきのほう。袖付け下を縫い合わせる)がある。 中国における「袍」の字の歴史は古いが、時代により定義に変遷がある。古く、周の故実を記したとされる前漢時代の書『礼記』「玉藻篇」には「纊爲繭、縕爲袍、襌爲絅、帛爲褶。」(纊(新しいまわた)を入れた服を繭といい、縕(古いまわた)を入れたのを袍という。また襌(ひとえ)に仕立てた衣服を絅と
リンク Wikipedia 衣冠 衣冠(いかん)は平安時代以降の貴族や官人の宮中での勤務服。 もともと宮中での勤務服は朝服及び、朝服を改造した束帯であった。しかし束帯は石帯で体を締め付けるなどして窮屈であったため、宿直(とのい)には不向きであった。そこで、「宿直装束」として衣冠が生まれた。 基本的な構成は束帯と同じであるが、束帯の下着類を大幅に省いているのが特徴。束帯では袍を締めるのに石帯を使用するが、衣冠では共布のくけ紐で袍を締め、袴もゆったりとした指貫とした。 着用するには、まず下着を着て指貫をはき、単、袍を着る。垂纓の冠をかぶり、扇
リンク www.iz2.or.jp 公卿布袴・平安時代・和様の創製 日本服飾史 資料・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜 源氏物語、当時の貴族の風俗や生活を知るため、その舞台となった六條院『春の御殿(はるのおとど)』を1/4スケールで展示しています。書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語の世界を体感できる風俗博物館
リンク gooブログ 神職の装束 - 濱の与太郎 神職には、特級、一級、二級上、二級、三級、四級という身分区分 があり、正装・礼装・常装の服制を定め、装束からその位を見分ける ことができる。 正装(=衣冠) 特級……黒袍(輪無唐草紋)、白奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋) 一級……黒袍(輪無唐草紋)、紫奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋...

↑神職さんの正装の色は、レベル(神職身分)に応じて黒>赤>紺…
これは平安中期以降の公家さんの位階に応じた正装「位袍」の色分け順位↓と同じなのです!

リンク www.kariginu.jp 色彩と色目
Aadag社長 @syachio99

@yamatokoyomi @presen_tan いささか仮説的な質問なのだけど、もしかして平安時代の女官ってシャーマンドクター的な権能ってあったのかな?

2014-11-19 23:53:40
和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

いえ、そいうわけではないです!神社の祭祀って、延喜式とかで国を挙げた祭祀が確立された平安時代の朝廷の儀礼を手本にしてるので…RT @syachio99 @presen_tan いささか仮説的な質問なのだけど、もしかして平安時代の女官ってシャーマンドクター的な権能ってあったのかな?

2014-11-20 00:03:20
リンク Wikipedia 延喜式 延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。 三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、細かな事柄まで規定されているため、古代史の研究のうえで重視されている。 905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった。『弘仁式』『貞観式』とその後の式を取捨編集し、927年(延長5年)に完成した。その後改訂を重ね、967年(康保4年)より施行された。 全50巻、約3300条からなる。律令官制に従
Aadag社長 @syachio99

@yamatokoyomi @presen_tan むしろ成立の経緯が逆なのか〜 物凄い面白い^^

2014-11-20 00:05:28
和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

はい!神職の装束は公家装束が元だったり、神社建築は御所風の造りが多かったりするのといっしょなのです!神社のご祭神に「正一位稲荷大明神」とか朝廷の官位を贈る風習もあったり…なにかと朝廷になぞらえてるのですよね~ @syachio99 @presen_tan

2014-11-20 00:07:27

↓檜皮葺屋根・素木造・蔀戸(しとみど・吊り上げる障子)に、池と朱塗りの橋など、王朝時代の御所や公家屋敷の寝殿造りさながらです。(下鴨神社)

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