『月に向かって打て!』 大杉勝男 小話

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ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

期待の大杉選手は1年目から積極的に起用され、3年目の1967年には27本塁打を放つ期待の若手になりますが、まずい一塁守備と鈍足、なによりその翌年まで三振数100を超えるリーグ最多の三振王という荒すぎるバッティングの評価は決して高くなく、本人も悩んでいました。

2015-05-03 21:30:41
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

そんな大杉選手に転機が訪れます。 1968年9月6日 三振王を独走し、2割前半の打率にまで落ち込んでいた大杉選手は大スランプに陥いっていました。 当時フライヤーズのコーチだった飯島滋弥コーチはあまりにもアッパーすぎるスイングをなんとか矯正しようと考えていました。

2015-05-03 21:31:28
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

その矯正のためには大杉選手に理想的な打球を飛ばす目印を意識付けることが大切だと飯島コーチは考えて そしてその日、夜空には左中間のちょうどいい位置に月が上っていることに気が付きます。いました。 すかさず飯島コーチは打席に向かう大杉選手を呼び止め、こう言います。

2015-05-03 21:32:49
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

『月に向かって打て!』 大杉選手にはその意図がさっぱりわかりませんでしたが、なんとか月に向かって打てるように打球を掬って打ち上げます。 結果的にフライアウトになりますが、その時の感触が大杉選手のバッティングに大きな進化をもたらすことになります。

2015-05-03 21:33:14
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

『月に向かって打つ』 その感触をマスターした大杉選手は翌1969年、それまでの荒い打撃が嘘のように本塁打だけでなく率も残すようになります。 初のオールスター戦に出場し、阪神タイガースのエース江夏豊投手から満塁ホームランを放ち、MVPにも選ばれました。

2015-05-03 21:34:41
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

1970年になると開幕からホームランを量産。 それまで4番だった張本選手が3番に周り、大杉選手は遂にフライヤーズの4番にまで成長します。 このまま初のホームラン王に。 しかし、そこにも立ちはだかる大きな壁がありました。

2015-05-03 21:35:56
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

野村克也 この年より監督兼任となった野村選手はは68年まで8年連続HR王、名実ともに最強の打者として大杉選手の前に立ちはだかります。 また、共に極貧やテスト生という憂き目から這い上がった選手として大杉選手の憧れの存在でもありました。 pic.twitter.com/CJ0a71Jrx4

2015-05-03 21:37:01
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BB9@多様性に富む野球を望む者 @yokostardream

ここでノムさん 次々と大物が立ちはだかる

2015-05-03 21:37:43
ときさめ @tokisame_haru

ノムさんかー…そりゃ大きな壁や

2015-05-03 21:38:35
光輝 @mitsuki_0825

ノムさんはほんとすごい選手だよね 記録ならひまわりくらい(?)

2015-05-03 21:39:26
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

野村選手は様々な憂き目に逢い、人気面でも長嶋選手や王選手に敵わなかった自身のことを『月見草』と表現するのに対し、野村選手を尊敬していた大杉選手は自身のことを『かすみ草』と表現していました。

2015-05-03 21:38:01
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

本塁打が42本に差し掛かった頃、遂に大杉選手は野村選手に本塁打数で追いつかれます。 巨漢で喧嘩っ早い見た目とは裏腹に繊細だった大杉選手に野村選手という大打者のプレッシャーが襲いかかります。 「本塁打王を取って母を喜ばせてあげたかったがもうムリだ…」

2015-05-03 21:38:46
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

そんな時、兄貴分だった張本選手の喝が飛びます。 「そんなことでどうする!本塁打王を取りたいのなら諦めるな!」 弟分としてかわいがってきた大杉選手を初めて殴り飛ばした瞬間でした。 その叱咤激励で再び眼を覚ました大杉選手は最後の気力を振り絞ります。

2015-05-03 21:39:50
鋼@ペペロン @hagane_3

ハリーの喝はこの頃から健在かw

2015-05-03 21:42:08
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

その年の最終戦、大杉選手は2本の本塁打を放ち、遂に本塁打王のタイトルと打点王の2冠を25歳で獲得します。 打率も.339と三冠王に輝いてもおかしくない数字でしたが、そこは残念ながら.383という驚異的な打率を残した張本選手によって阻止されてしまうのでした。

2015-05-03 21:41:03
鋼@ペペロン @hagane_3

喝を入れた弟分の三冠王は阻止していくハリースタイル

2015-05-03 21:43:36
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

翌1971年も2冠王に輝き、名実ともにパ・リーグの強打者として君臨します。 また、当時の選手にしては珍しくファンサービスも熱心に行っていた大杉選手は決して人気球団とは言えなかったフライヤーズにおいて、張本選手と並ぶ人気選手としてパ・リーグを盛り上げるのでした。

2015-05-03 21:41:50
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

余談ですが、当時のフライヤーズには張本選手や大杉選手、白仁天選手ら血気盛んな選手が多数在籍しており、乱闘が日常茶飯事でした… 特に大杉選手は無類の強さを誇っており、相手の外国人選手を殴り飛ばしてKOしたこともあるほどの豪腕でした。

2015-05-03 21:42:41
鋼@ペペロン @hagane_3

ノムさんに、静かにしろ!とか言ったんだっけかwww

2015-05-03 21:45:02
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

ささやき戦術で打者を翻弄していた野村選手にもバッターボックスで罵声を浴びせ乱闘騒ぎになったり(後に和解)、 セ・リーグに移籍した際は乱闘の勢いで長嶋監督をぶん殴り、恐らくプロ野球選手唯一の長嶋茂雄さんを殴り飛ばした選手と言われています。

2015-05-03 21:43:21
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

そんな大杉選手の活躍とは裏腹にフライヤーズは低迷を続け、Bクラス常連に甘んじていました。 1970年には『黒い霧事件』が勃発。 エースの森安敏明投手が永久追放を受け、同時にパ・リーグ全体のファン離れが深刻化。 親会社の東映は映画産業の斜陽もあり、1973年には売却に踏み込みます。

2015-05-03 21:44:36
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro

新しい親会社の不動産業を営む日拓は7色ユニフォームなど斬新なアイデアで集客を取り戻そうと躍起になりますがことごとく不発。 これがそのときのユニフォームですね。 pic.twitter.com/H5RlkCXkTR

2015-05-03 21:46:10
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どせいヨッシー🎮 @dosei53yoshi

これが伝説の7色ユニフォームか… もちろん他球団からしてみればわかりづらいということで廃止になっちゃったんだよね

2015-05-03 21:50:38
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