東大図書館→大連図書館→奉天図書館→奉天図書館の館長になる。柿沼・大連図書館長とともに、満鉄図書館の黄金時代を築くといわれる。 #関西文脈26
2015-05-09 14:21:041942に衛藤は奉天図書館を退職。直後の回顧録では、自分の図書館人生は失敗だっとしている。テキストで紹介されている功績だけみると何故失敗?と思う。 #関西文脈26
2015-05-09 14:24:51テキストを離れて、満鉄と満鉄の図書館について振り返ってみる。満鉄は1906年発足。日本人の来住多し。初代総裁の後藤新平の方針で調査に力入れる。国策会社として政治に影響されやすい。 #関西文脈26
2015-05-09 14:28:01南満州鉄道株式会社は、1906年発足の半官半民会社。鉄路に加え、会社の付属地では行政権を持つ、調査業務を多くおこなうなど、国策会社として政治の影響を受けやすいところだったという。 #関西文脈26
2015-05-09 14:29:011919、衛藤と柿沼介を満鉄図書館へ引き抜き。翌年、満鉄各図書館分類綱目策定。ただし使用はあまり広がらず。 #関西文脈26
2015-05-09 14:32:231920年の全国図書館大会(満鮮大会)、1929年の満鉄図書館業務研究会発足、1931年の満州事変。 #関西文脈26
2015-05-09 14:36:13満洲事変での衛藤の活動。陣中慰問文庫、時局文庫、全満二十四館共通満洲関係和漢書件名目録など。「文献提供を通じて時局へ報いる」 #関西文脈26
2015-05-09 14:39:181936年、内地で2・26事件。衛藤の四男による回顧では、当時衛藤は警察に呼ばれて反乱軍との関係を尋問された。証拠隠滅のためか?手紙を焼いたりしている。それ以後は政治活動に手を出さなくなる。 #関西文脈26
2015-05-09 14:45:29226事件の頃の衛藤についての、衛藤瀋吉(衛藤の四男)の回想。警察からの尋問や、手紙の束を焼いていた姿についての記憶。以後、政治活動から距離を置いた模様。 #関西文脈26
2015-05-09 14:46:04いまのところ、左の佐野、右の衛藤と言うほどの右っぷりは見えないなぁ。まあ、うちもだいぶ右寄りなのでそのせいかもしれない。 #関西文脈26
2015-05-09 14:46:10衛藤は、満州の地元新聞や専門学校などで講師なんかもしてた。ただ、226事件で反乱軍との関係を疑われて尋問をうけたりなんかして、なんかいやになったらしく、前からおかしい思ってたしいうて、政治活動せんようになったと。 #関西文脈26
2015-05-09 14:46:231937年の満鉄附属地の満洲国への移譲の、満鉄図書館への影響。哈爾濱、奉天、大連を除き、満洲国に移譲。 #関西文脈26
2015-05-09 14:48:26