大日本帝国海軍の国内向けプロパガンダ

奥山真司さんの問いかけに反応したつぶやき。明治から大正時代の日本海軍が用いたプロパガンダや広報政策のコンテンツは、米国海軍のアルフレッド・セイヤー・マハンから学んだ平時における民間との関係を重視する「広義の海軍戦略」であった。
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Okuyama, Masashi ┃奥山真司 @masatheman

陸軍と海軍のセクショナリズムはむしろ日露戦争後の軍拡をめぐる陸軍・海軍の予算獲得を通じて表面化し、時とともにその矛盾対立を深めていったものと考えるのが妥当であろう・・・陸軍器の技術水準の決定的な立ち後れは第一次大戦を契機とする。(大江志乃夫)

2010-12-22 19:49:26
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

@masatheman 「陸軍器の技術水準の決定的な立ち後れ」→山田盛太郎『日本資本主義分析』の一節を思い出す。「陸軍・海軍の予算獲得」において海軍がどうしてあんなに強かったのかを、プロパガンダの観点から記述せよ、は、まだ誰も説明出来ていない課題。

2010-12-22 20:38:16
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

@masatheman マハンのシーパワー論が海軍戦略論としてだけでなく、海軍の民間社会へのプロパガンダ活動、ないし、広報政策のコンテンツとして受容され、咀嚼されて用いられたことに関わる、が、わたくしの回答の方向性の予想。

2010-12-22 20:41:18
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

@masatheman あと、陸軍と海軍の間で世界観をめぐる相剋はどうだったのか。と、考えている。

2010-12-22 20:49:29
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社会史から軍事を取り上げるひとの軍事観がむしろ古いバージョンであるとのこと。Studies in the Social and Cultural History of Modern Warfareというシリーズに、Jan Rugerのつぎのタイトルがある。

2010-12-23 12:51:20
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The Great Naval Game: Britain and Germany in the Age of Empire, Cambridge Univ. Press, 2007. 一方、日本海軍を取り上げたのがメルボルン大学のJ. Charles Schenckingさん。

2010-12-23 12:54:07
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The Politics of pragmatism and pageantry: selling a national navy at the elite and local level in Japan, 1890-1913というタイトルの論文を、Sandra Wilson編

2010-12-23 12:56:30
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の論文集 NATION AND NATIONALISM IN JAPAN, 2002に寄せている。Making Waves: Politics, Propaganda, and the Emergence of the Imperial Japanese Navy,

2010-12-23 12:58:40
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1868-1922という本にしたのが、2005年。このお二人とも、海軍を、戦時において敵国の海軍と闘う戦争組織としての海軍として捉える。その上で、民間社会へどのように海軍を受容し、支持するように働きかけるかを追跡する。狭義の海軍

2010-12-23 13:00:49
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一方、戦時・平時を通じて民間の商船・漁船を洋上で保護し、海外に居留する自国民を保護する海軍という捉え方がある。(広義の海軍)。「通称こそ真に強力な海軍の基礎である」「海軍戦略は戦時のみならず平時においても国家のシーパワーを建設し、支援し、そして増強することを目的とする」(マハン

2010-12-23 13:04:36
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1890年のマハン『海上権力史論』の冒頭「緒論」からこの思想を学び、1890年から翌1891年にかけて記者や議員にむけたパンフレットに応用したのが日本海軍であった。その著者が寺島成信。→取り敢えず研究ノート。http://tinyurl.com/3683694

2010-12-23 13:07:20
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海軍戦略は、戦時と同様平時においても必要であるという点において陸軍戦略とは異なっている。」(『マハン海上権力史論』35頁、北村謙一訳、原書房、2008年)。

2010-12-23 13:09:49
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寺島『兵商論』1891年7月、第1章「緒論」より。「人は「兵は凶事であり、軍備は不生産的である」と言う。これは海軍と陸軍の任務の差別を知らない者の発言である。そもそも文明海軍任務のある所を熟知していれば、容易にこのような説の間違いであることを説明できよう。

2010-12-23 13:12:59
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そもそも海軍の任務は、戦時において攻撃また防禦上の主働者であるに止まらず、平時に於ても、商業や漁撈を保護し、商業民や移住民を守るなど、まったく国益の増進をたすけることにあるから、むしろ平和の保証者であって、間接には国家の生産を助長するものである。」(現代語訳)

2010-12-23 13:13:32
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講談社学術文庫『マハン海上権力論集』の冒頭、麻田貞雄さんの「解説」は、日本で『海上権力史論』の翻訳が刊行された年を「1892年」としている。これは正しくは「1896年」。金子堅太郎が『水交社記事』に「緒論」の要旨を投じたのが1893年。日清戦争頃、全訳が連載され、戦後単行本化。

2010-12-23 13:19:33
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水交社の機関誌の目次は、個人サイト「桜と錨の海軍砲術学校」のうち、「史料展示室--明治~大正期の 『水交雑誌』 『水交社記事』」にある。http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/21-suikou.html

2010-12-23 13:24:15
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ジョン・テツロウ・スミダ。奥山真司訳で『進化する地政学』に収録された論考。もとになった1997年の著書 Inventgin Grand Strategy and Teaching Commandは欧米側で、マハンの広義の海軍論の再発見といえよう。

2010-12-23 13:28:22
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

日本だと、平間洋一さんの1977年の論考「「陸奥海王国」の建設と海軍---大湊興業を軸として」が、萌芽的に指摘している。http://tinyurl.com/27r2q6d 受け継いで、その先を描く研究はまだ出ていない。

2010-12-23 13:32:58
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広義の海軍論としてのマハン受容 → 狭義の海軍戦略論としてのみ理解された時代 → 海洋通商路の協同管理の時代になり広義の海軍論の復活。(類似する螺旋的発展として) 大陸移動説 → 否定 → プレートテクトニクスとしての復活。

2010-12-23 13:41:50
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1891年7月14日、横浜港に投錨した清国北洋艦隊旗艦定遠の艦上では、在朝在野の貴紳、新聞記者、各国の公使領事等を招待した懇親会が開かれた。当時外務大臣であった榎本は海軍中将の軍服で姿を現した。(Wikipedia「榎本武揚」)

2010-12-23 16:36:17
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

寺島成信が起草した海軍パンフレット『兵商論』は非売品で、奥付を見ると、明治24年7月16日。定遠艦上の懇親会の2日後。定遠の印象をさめやらぬ、新聞記者や帝国議会議員たちに、海軍拡張を訴えるために配布と推測。この当時計画していた6隻の1万2000噸級の戦艦が揃ったのは日露戦争直前。

2010-12-23 16:39:08
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寺島成信は慶應義塾の卒業生だから「正則」と「変則」という教育課程の用語を援用し、戦艦・巡洋艦などからなる正則海軍と同時に、戦時に仮装巡洋艦として用いる高速商船からなる商船隊、すなわち、変則海軍建設を併行させるべきであると説く。

2010-12-23 16:43:00
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

なお、まったくの推測だが、福沢諭吉に『兵論』(1882年)という著作がある。官民一致して軍備予算を支出し、外洋海軍・外征陸軍を建設すべきとの論旨。それを本歌取りして、寺島は『兵商論』というタイトルを付けたのかも知れない。

2010-12-23 16:45:42
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

寺島成信は、山形県庄内地方、鶴岡藩士の家柄。佐藤鉄太郎の3歳下である。西田川郡中学校(現・県立鶴岡南高校)時代に漢文を習った先生の顕彰碑建設に、昭和に入ってから、2人は名前を連ねている。明治時代に行き来があったかは確認できない。

2010-12-23 16:56:25
SHIBASAKI Rikiei|柴崎力栄 @rshibasaki

中台元(なかだいはじめ、1838-1888)。漢学者、庄内藩士。慶応4年(1868)戊辰戦争に出陣、同年12月藩校致道館助教、維新後の明治6年(1873)上京し、東京の師範学校で一年学び、翌年帰郷、苗秀学校 (朝暘学校の前身)で学び、

2010-12-23 17:06:36