社会学における「量的研究」と「質的研究」の関係をめぐって
- MinoruSawada
- 11672
- 0
- 26
- 8
「二分法の克服」のために、その議論の整理のつもりでも二分法を持ち出すと、結局さいごまで二分法図式を抜け出せなく(みえ)て、悩ましいでゲソね。って副査のD先生の言葉が長らくアタマに残っている。(勿論、ゲソとは言ってない)
2010-12-26 06:47:45yamtomさんはそればっかりですねw。 RT @yamtom: 昼寝からすっきり目覚めて早々に、質的とか量的とかTLにあるのをみて、社会学さんは大変だなあと思いを馳せてみるw
2010-12-26 07:06:43はい、昼寝と社会学さん大変だなあとそればかりのワンパターンですw RT @contractio: yamtomさんはそればっかりですねw。 RT @yamtom: 昼寝からすっきり目覚めて早々に、質的とか量的とかTLにあるのをみて、社会学さんは大変だなあと思いを馳せてみるw
2010-12-26 07:07:06まあ、ワンパターン度を思わず発揮してしまうのも、北米社会学ワールドでの、「質的」さんたちの愚痴をいつも身近に聞く立場にあるからだったりもするのかなあとは思います。@contractio
2010-12-26 07:08:47日頃よく聞く質的社会学さんたちの愚痴。1)仕事がない(最大!)、2)同僚などと話しがあわない、3)博論に一章は統計チャプターいれないと認められづらい傾向、4)「質的」調査でも最近はサンプル数が問われてしまう傾向が強まる、5)テニュア審査の際の評価基準のズレ、などなど。
2010-12-26 07:42:52こういうプレッシャーはものすごいでしょうね。私はグラウンデッドさん方面の書物を読んで間接的に想像するだけですが。 RT @yamtom: 日頃よく聞く質的社会学さんたちの愚痴。1)仕事がない(最大!)、2)同僚などと話しがあわない、3)博論に一章は統計チャプターいれないと *
2010-12-26 07:44:43@contractio 素朴な疑問的にちょっときいてみますが、この量的/質的議論何度か今まであったように思うのだけど、ここにフェミニズムの立場からの「量的」批判みたいな流れがまったくでてこないのはなぜでしょう?
2010-12-26 07:37:50@contractio 日本におけるフェミニズム社会学が「方法論」やそれへの批判的な議論が弱いのではないかという疑問はけっこうしばらくの間もっています。私は分野違いでもあり、日本の社会学状況をものすごくフォローしているわけでもなく、日本で学会もでたことないのでずれてるかもですが。
2010-12-26 07:39:52私が出さなかったのは知らないからです。どんな議論があったのでしょうか。 RT @yamtom: * 、この量的/質的議論何度か今まであったように思うのだけど、ここにフェミニズムの立場からの「量的」批判みたいな流れがまったくでてこないのはなぜでしょう?
2010-12-26 07:42:45私も人類学にうつってからこのへんの議論は直接的にはあまり関係なくなったので、最近の流れまでフォローしているわけではないのですが、社会学、心理学分野のフェミニストから、既存の「量的」手法についての批判の歴史はかなり大きなものがあるはずなので。RT @contractio:
2010-12-26 07:45:15@naokimed @contractio 方法論議論は分厚いものがありますよ。フェミニズムの立場からの社会科学批判としてそこは外せないところかと。院とかでフェミニズム系社会科学やるとカリキュラムの中に方法論議論のコースは組まれていることが多いと思うし。
2010-12-26 07:48:44@contractio @naokimed 日本語...となるとハードルが高いぞ。とくに書籍とかだと、もしやないのではなかろうかという...
2010-12-26 07:54:18@naokimed @contractio ひえええ私にまわってきてしまったwまあ実際のところは、社会学さんに書いていただいたほうがよさそうではありますが....
2010-12-26 08:00:45私の大昔の指導教官(別分野で修士やってた頃の)はフェミニスト社会学者で、「フェミニズムと方法論」的なところにこだわりがあった人だったのよね。
2010-12-26 08:02:21@yamtom SSM調査(階層)だとこれですね。序論に概説があったはずです。 http://ow.ly/3unle @contractio @naokimed
2010-12-26 07:58:53