最近流行のエスノグラフィー:歴史・知識・方法について
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久しぶりに本屋に行き、目についた“幻のアフリカ”(ミシェル・レリス)を購入。みんなが大好きな民族誌(笑)だからではなく、文庫で1000頁強という存在感に惹かれたから。お値段も2,800円と文庫では破格。
2010-08-22 13:24:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「幻のアフリカ」の冒頭を少し読む。ビジネスエスノの殆どが観察対象者の利便/利益ために共感形成して調査するのに対して、エスノは自らの深層を知るために、表面的には喪われてしまった何かを保持している真逆の存在を尊敬のまなざしで観察していたことに思い当たり愕然とした。
2010-08-22 21:18:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
(承前)もちろん対象のために観察することを否定するわけではないし、そこからリヴァース・イノヴェーションすら生まれるのだけど、エスノと人間中心の考えかたは、実はそもそも真逆にあったわけだ。
2010-08-22 21:24:53![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
すみません突然・・もしよろしければもう少し詳しく説明していただけるとうれしいですRT @i_atavis: (承前)だから例えば、エクストリームユーザーインタヴューのほうが、本来のエスノに近いのかもしれない。
2010-08-22 21:37:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@n_akiya 移動中&酔っぱらい中なので、後ほどつぶやかさせていただきます。あと私は学究の徒ではないので、色々といい加減です。
2010-08-22 21:45:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@i_atavis ありがとうございます!お時間あるときにお願いします!あと、私は学問的なただしさというよりは、異分野のものが結びつけて語られるとき、その「結びついている」とされる諸々が何で、またどのように結びつけられているのかを知りたいわけです。お手数おかけします
2010-08-22 21:51:06![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
.@n_akiyaさんから突っ込みがあったので、ちょっとつぶやきます。きっかけは“幻のアフリカ”(ミシェル・レリス)を読んだことです。かれはシュルレアリスム運動-バタイユ-カイヨワ-サルトルに繋がる作家・民族学者です。僕は彼のことをまったく知らず本書を購入しました。
2010-08-22 23:08:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
民族学,民族誌学,エスノグラフィ、あるいは文化人類学とは何かという、根本的な定義は学者ではないので割愛します。ただその手法のひとつとして、(未開の)特定の民族と生活を共にして、その表層的&深層的な行動を記述するというやりかたがあると思っています。
2010-08-22 23:11:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そうした観察は一体何のためかといえば、エキゾチシズム欲求を満たすだけでなく、行動,社会,心理等の普遍的構造の探求にあったと思うのです。つまり観察に出かけていった側が、普遍的な真理を欲していたからだと思うわけです。
2010-08-22 23:16:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
したがっていわゆるエスノグラフィにおいては、観察対象者の課題を解決しようという視点はなく、むしろ観察対象者から普遍的な真実を学ぼうという姿勢が色濃かったのではないでしょうか。
2010-08-22 23:18:04![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
翻って、今日のデザイン思考や人間中心のデザインでは、対象者の既知/未知の課題を解決するために、観察をおこなうことが主流となり、それをビジネスエスノとかエスノグラフィカルリサーチと称しています。
2010-08-22 23:20:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
つまり本来、観察者の内省のために行われていた観察という手法が、ビジネスの現場では、被観察者の益のためのための観察に逆転していると思うのです。もちろん被観察者の益とは観察者の益に通じますが、そこには観察者自身の内省のためという視点は抜け落ち、経済活動が重視されます。
2010-08-22 23:22:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
被観察者(あるいは問題解決の対象となる人々)の未知のニーズを探るための観察を否定するつもりはありません。ただ問題解決の直接の対象となる人々を観察してそこから気づきを得るのは、ちょっと直接的すぎるかもしれないなぁとも思ったわけです。
2010-08-22 23:26:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ここで抜け落ちているのは植民地主義の影響という点だと思います。それを抜きにしては文化人類学およびエスグラフィの歴史は語れない。RT @i_atavis: そうした観察は一体何のためかといえば、エキゾチシズム欲求を満たすだけでなく、行動,社会,心理等の普遍的構造の探求にあったと
2010-08-22 23:30:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だからせめて、エクストリームユーザーのような極端な人々、つまり問題解決を必要としている人々から違うレベルにいる人々を調べて、それを日常レベルで問題を抱えている人たちに、抽象化というフィルターを通して還元するほうが、いわゆる民族誌的方法論に近いかなぁと直覚した次第です。
2010-08-22 23:30:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
文化人類学というのは少なくとも私がうけた大学院教育の中では、まず自分の分野の歴史をがっつり反省的に批判しまくるところから始まった。だが、文化人類学の手法がほかの分野に導入され使われていくとき、もしかしたらそこの部分はすこんと抜けて導入されていっている?
2010-08-22 23:33:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
もともと深い考えなしにつぶやいたことなので、かなりいい加減ですが、民族学で行われる観察調査と、ビジネスエスノあるいは商品開発等で行われている観察調査が、かなり真逆の視点で対象者を見ていたのが面白いなぁと思った次第です。(了)
2010-08-22 23:36:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あっ、それはわかります。植民地政策を円滑に行うための対象者理解という側面も重要だと思います。 RT @yamtom ここで抜け落ちているのは植民地主義の影響という点だと思います。それを抜きにしては文化人類学およびエスグラフィの歴史は語れない。
2010-08-22 23:39:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あと私がだいぶ昔にアメリカでのビジネススクールの授業にもぐったとき、そこで文化人類学的な知見が議論されていたりはしたけど、その内容はひどく大昔の人類学だった。今はどうなっているのだろう。
2010-08-22 23:42:11![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
円滑な植民地政策のための文化人類学と、BOPビジネスのためのエスノグラフィカルな観察調査の違いは、ある意味では研究者/リサーチャーの倫理観にも近づいてくるので、よく考えてみたいと思います。
2010-08-22 23:42:55