「後宮楽園球場」2巻野球ネタ解説まとめ
p82「それはボヤキ戦術ってやつよ」前巻の特典SSにも登場した、話しかけて打者の集中力を乱すささやき戦術のこと。また自ら「ボヤき」と語る野村克也をも指すと思われる。
2015-06-28 23:10:30p83「さすがレギュラー陣はものが違う」元広島の達川光男が選手を誉めるさいにしばしば「ものが違いますね」と語ることからか。以前は「モノが違いますね」というブログを運営していた。
2015-06-28 23:12:17p84「一番二塁、一発合格」、「『吠舎の弱点探して』とスパイ指令を出す者もいた。」2009年、阪神に入団したメンチについてサンケイスポーツが書いた記事につけられた見出し。ネット上ではメンチコピペとして知られる。 wikiwiki.jp/livejupiter/?%…
2015-06-28 23:12:53p86「三無主義」は東映フライヤーズのうちだした方針「私以外は全員トレード要員」は川上哲治の「ON(王貞治と長嶋茂雄)以外は全員トレード要因」、として「ピスタチオの背比べ」の元ネタはなんだろう。
2015-06-28 23:13:22p87、木の葉を口にくわえた蜜芍。漫画「ドカベン」の登場人物、岩鬼正美のトレードマークでおなじみ。 twitter.com/megyumi/status… #ハリーグ
2015-07-12 18:27:17@kisadalog ヤッター あとは博品が蜜芍のモデルは岩鬼ですとか言い出さないのを祈るのみです(葉っぱくわえてる描写から目をそらしながら
2015-06-30 22:18:25同「真珠乙女隊」近鉄バファローズが設立当初「近鉄パールス」だったことに由来。現実とは逆に、彼女たちは猛牛から真珠へと華麗に変身する。そういえば香燻は素手で真珠さわってた気がするけど大丈夫なのかい?
2015-06-28 23:15:00p95「常に紳士たれ」読売ジャイアンツにたいし、オーナー正力松太郎の遺訓のひとつ。またセリカン帝国のモデルオスマン・トルコではイエニチェリという改宗奴隷兵隊が存在したが作中では常勝軍団とあり、さらにこのスローガン。よもや彼らのチームは「金の鵄団」?
2015-06-28 23:15:52p96「お友達人事」星野仙一が2008年五輪代表監督となった際、コーチとして長年の友人である山本浩二・田淵幸一を選んだことからか。他にも例はあるかもしれないが。
2015-06-28 23:16:07p106、セカンドライナーと思った打球が外野手の見送るスリーランに。元西鉄の中西太が1958年9月28日、南海の杉浦から打ったホームランか(実際にはショート方向への打球)。
2015-06-28 23:17:42p107、蒔羅のバッティングフォーム。現在独立リーグの石川ミリオンスターズで選手兼任監督としてプレーするフリオ・フランコがモデルと思われる。(バッティング」で画像検索したらそのまんまの写真が出てきた)
2015-06-28 23:18:19p114「紅巾褸(あかへる)軍団」広島カープの異名、赤ヘル軍団から。浄鏡殿のチームカラーは「銀」らしいが近鉄や広島といった紅いチームを連想させる逸話が多い気がする。
2015-06-28 23:19:18同「一本足打法」言わずと知れた王貞治のバッティングフォームである。 すこしページが下ってp140には「振り子打法」こちらはイチローのバッティングフォーム。
2015-06-28 23:20:29p115「ひさびさの実戦」「試合勘が鈍っていた」「シーズン後半に向けて尻あがりに調子を上げていきたい」そうだね(棒読み)。怪我などで二軍にいた選手が久々に一軍復帰。しかし散々な成績だった際よく聞かれるフレーズ。 #ハリーグ
2015-07-12 18:28:47p118「皇太后様はある時期から素振りをやめて、構えるだけの練習をはじめたの。」元大毎、榎本喜八の練習方法。曰く「要はボールを最短距離でミート出来る位置にバットのヘッドがあるかどうかが重要なのであって、それを確認するのにスイングする必要は無い」。
2015-06-28 23:21:05同「バットを持たずに打席に入り、みごと四球を選んだのよ。」長嶋茂雄は敬遠攻めに抗議の意を示そうと、1968年5月11日バットを持たずに打席に立った。
2015-06-28 23:22:06皇太后の現役時代について語るこの一連の場面、阿丹が新人とは思えぬほど後宮の歴史に通じていることが知れる。伏線と強弁することもできようが…。
2015-06-28 23:22:40同「年四十四試合で安打五十本以上を十年連続で記録した天才打者」一試合につき打席が3として年間132打席。単純計算でも打率.378となる(…よね?)。実際には四死球などで打数はこれより少ないわけだからおそろしやおそろしや。
2015-06-28 23:23:48p133「ワタシ流」プロ入り時、その打撃フォームを各評論家から酷評され、当時の監督山内一弘の指導とも合わなかった落合博満が我流を貫いたことを「オレ流」と称されたことから。
2015-06-28 23:24:08