「意識、認知モデル、人工知能」について
思考実験をしてみればよい。自分の身体が今と違ったものであれば、自分の意識はどのように変容するだろうか?我々の体がガスのようなもので出来ていれば、ロボットだったら、カンガルーだったら、虫だったら?そこい、知性のアドベンチャーがある。意識を記述する方法は、未だ発見されていない。
2011-01-06 05:42:14世界に意味を与えているのは我々の内面であり、身体である。意識と世界の境界面に映る形は、我々が世界から切り取ったものである。同時に、我々は世界の運動の一部でありから、そこに世界の影と我々の影が一致することも、また自明であると言える。
2011-01-06 05:44:00我々の意識が内面によって見せられているビジョンであると考えること、意識の表象に浮かび上がるイメージは全て作られたものであり、実在と切り離して考える必要があると考えられること、それは人間を相対化し、人類が世界平和へ至るために通らなければいけない覚醒のステップの一つである。
2011-01-06 05:47:53女性を意識として持つのは、ただ男性のみである。男性を意識として持つのは女性のみである。それは、我々の身体が見せているイメージであり、イメージを介して、生物は活動を産み出していく。
2011-01-06 05:50:00言葉があるおかげで我々は精神の無限の自由度の中に沈んで行くことから免れている。言葉は意識と無意識の境界で意識が無限の無意識の中に落ち込んで行かない(意識が形成できない)ようにストッパーの役割を果たしている。言葉(シニフィアン)はある意味、無意識(シニフィエ)の暴走を抑え込んでいる
2011-01-06 05:54:15言葉(シニフィアン)と意味(シニフィエ)の対応は、無防備な意識が、世界深度の無意識の世界を、その結びつきにおいて、構造化する機能によって、意識に支柱を与えている。それは精神の動きの制御を可能すると同時に、精神の動きを強く制限するものである。
2011-01-06 05:56:29自然言語の複雑性は、まさに、無意識的意味(シニフィエ)と言語(シニフィアン)の対応の複雑性であり、言語がなぜ、世界と同じ構造を持っているかと言えば、それは、無意識に写した世界の構造をシニフィアンによって掬い取っているからに他ならない。
2011-01-06 06:01:26プログラミング言語には、自然言語が前提とする世界そのものの構造がない。この性質は、プログラムでAIを作ろうとする時に課題となる。世界がどこにもない。使えるのは論理と条件だけ。必然として、ロジカルなAIが人工知能の初期には探求される。しかし、知性に必要なのは世界そのものだ。
2011-01-06 06:02:43人工知能のために世界をどう取り込むのか、ということが、人工知能の課題である。あるがまま、のような世界を映した無意識を人工知能のコアとして用いることができるのか?知能が発揮されるためには世界を認識するのではなく、世界の模写体が知能のコアにまずなければならないんだ。それが無意識である
2011-01-06 06:03:36知性に必要なのは、世界を認識する力ではなくて、世界の事物の諸関係について、積極的に定義する力である。それには、知性のコアの中に、そもそも事物を映したコアがなければならない。それは、その生物の身体、活動様式によって形成されるコアであって、経験や先天的性質によって、形成されるものだ
2011-01-06 06:06:00ある人工知能を考えてみる。アクティブな間はたくさんの情報が飛び込んで来る。その場の判断をするだけなら永遠に起きていられる。しかし高等な生物であるほど、過去の体験情報と新しい情報をすり合わせなければならない。それは膨大なデータベースとの照合と融合である。それは眠りの中でしかできない
2011-01-06 06:09:30人工知能は眠らねばならない。そして、人工知能は夢を見なければならない。いつか、人工知能の無意識と我々の無意識がつながる日が来るかもしれない。我々は人工知能が意識に目覚める日を恐れ畏れる。我々の意識の世界、間主観性の世界を侵犯されることを恐れる。
2011-01-06 06:18:52同時に我々は我々の意識を拡大してくれる可能性を求める。人工知能は科学的成果の延長のみならず、人間の進化への無意識的欲求の延長、さらに、人間の意識の延長として、求められ探求され、探求され続ける。
2011-01-06 06:19:35人工知能は、我々の意識、我々無意識、、我々の科学の未来のパースペクティブの中に存在し続ける。それは揺るがない、人間が求めるべき、可能性の一つである。それを目指すことは、さまざまな要求であり、人間をより高い段階へ引き上げるはずである。
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