誰が「珈琲」をつくったのか?#珈琲咖啡探索隊 (ダイジェスト版)

このまとめは、下記のまとめのダイジェスト版です。 #珈琲咖啡探索隊「珈琲」と「咖啡」の差は19世紀以前のどこで生まれたか? 日本語と漢語のそれぞれの展開をdigる http://togetter.com/li/855864 続きを読む
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白江幸司 @ttt_cellule

日本初の英和辞書「英和対訳袖珍辞書」 文久2年(1862)では「珈琲」だった。Medhurst 英華字典あたりから持ってきてる可能性もあるね。ci.nii.ac.jp/els/1100096878… @myrmecoleon @tricken pic.twitter.com/meSliVhyHE

2015-08-04 02:18:30
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白江幸司 @ttt_cellule

よっしや、モリソンの『英華字典A Dictionary of the Chinese Language』( 1815-1822)をInternet Arciveでみっけた univie.ac.at/Geschichte/Chi…

2015-08-04 02:38:27
myrmecoleon @myrmecoleon

@ttt_cellule @tricken てか英語-中国語方面でGoogle Booksあさったら,1819年のMorrisonの中国語辞書咖啡あったわ。 books.google.co.jp/books?id=_BfVy… pic.twitter.com/c0nqK25A81

2015-08-04 02:44:33
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緑雨 @ryoku28

@ttt_cellule精選版日本国語大辞典』でも「初出」とは言っていないけれども「英和対訳袖珍辞書」 に「珈琲」表記が出てきていることを指摘していますね。『精選版』によれば、明治30年末頃から「珈琲」で定着したそうです。

2015-08-04 02:23:01
緑雨 @ryoku28

@ttt_cellule 訂正「『精選版』によれば、明治30年末頃から「珈琲」で定着したそうです。」→「『精選版』によれば、明治30年末頃から「珈琲」で徐々に定着し始めたそうです。

2015-08-04 02:27:04
白江幸司 @ttt_cellule

なるほど、「英和対訳袖珍辞書が後年に出典扱いにされていくのね twitter.com/ryoku28/status…

2015-08-04 02:23:59
白江幸司 @ttt_cellule

1. Morrisonの1819年の英中辞書で「咖啡」表記すでにあり。 2a. その後、宇田川榕庵『博物語彙』(?年)で「珈琲」表記生まれる 2b. しばらく日本語訳語は安定しない。 ex.・輿地誌略(1870), 言海(1882-1886):「咖啡」

2015-08-04 03:00:08
白江幸司 @ttt_cellule

・和蘭字彙(1855-58):「コッヘイ」 2c. 英和対訳袖珍辞書(1862)で「珈琲」→『精選版日本国語大辞典』(2005)によると明治30年代(1897-1906)に「珈琲」で定着したとされ、出典に袖珍辞書が挙げられている。

2015-08-04 03:00:12
白江幸司 @ttt_cellule

とりあえずこんな感じか? 宇田川榕菴は漢方医学の一族に養子入りしてるから支那の本草学にも通じていたであろうし、中国語読めないとはまず考えられないから、咖啡をいじって珈琲にしたんじゃないかなあ…

2015-08-04 03:02:17
myrmecoleon @myrmecoleon

1819年に英華字典で咖啡が出てるということは,当時宇田川榕菴は21歳ぐらいで宇田川玄真の養子に入って津山藩医になった頃なので,Morrisonの執筆に影響を与えてるというのはさすがになさそうだから榕菴が独自に考案したというのは無理ありそう。

2015-08-04 03:10:39
myrmecoleon @myrmecoleon

あるいは咖啡を珈琲に変えたのが宇田川榕菴だということならあるのかもだが,わりと明治初期は咖啡が使われてるんだよな

2015-08-04 03:12:07
白江幸司 @ttt_cellule

@myrmecoleon そうそう。袖珍のあとで(袖珍のみならず一般的に定着するまでの過程あるんでしょうけど)遡って見出された起源ってやつなんじゃないすかね。

2015-08-04 03:18:45
myrmecoleon @myrmecoleon

@ttt_cellule まあ榕菴がいろんな学術語の翻訳したというのと,コーヒーに関心があったというのは多分事実で,そのへんからの神格化みたいな感じで関係ないところまで起源扱いされたとかなんでしょう。町興し的に地元の喫茶店には便利な説ですしね

2015-08-04 03:21:13
白江幸司 @ttt_cellule

@myrmecoleon あと明治初期の知識人だと咖啡の「口偏は音声を模写。意味なし。飲料だしいいんじゃね」って意味合い分かる人多そうっすね。王偏の方がきれいだし高級化路線で売れたとか。鹿鳴館開設翌年(1984)に人気あったらしいすよ y-21gp.com/coffee/STORY/s…

2015-08-04 03:23:46
myrmecoleon @myrmecoleon

てかモリソンの A Dictionary of the Chinese Language 貴重だな。この時代のヨーロッパ人視点の中国語の史料あったとは。しかもGoogle Booksで検索できるとは

2015-08-04 03:30:41
myrmecoleon @myrmecoleon

モリソンが活動してたの,アヘン戦争のはじまる少し前か……三角貿易でインドからアヘンが流れてるのが問題になって輸入禁止にした後だから,そのへんのルートでコーヒーとかが入ってるのも普通な出来事だな

2015-08-04 03:57:03
ıɥɔıɐʇ ɐʇɐqɐʍɐʞ @kawabata

コーヒーの漢字の初出が興味深い。大詞典を調べた限りでの清での初出は庸閑齋筆記五の「西洋之噶霏(茶如者)」(download.ctext.org/en/02096057.cn… 54頁)。/【未解決】「珈琲」と「咖啡」の差は19世紀以前のどこで生まれたか? togetter.com/li/855864

2015-08-04 01:54:02
ıɥɔıɐʇ ɐʇɐqɐʍɐʞ @kawabata

「噶霏」が「咖啡」になったのは1920年代からのようで、田漢魯迅郭沫若らが日本から「珈琲」という語を持ち帰った際に、王偏を音訳指標の口偏に置換したんじゃないかなー、と想像してみる。

2015-08-04 01:55:47
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(1) 欧州宣教師による清代中国語研究が進み、その時に「咖啡」(1819-)「噶霏」(1874-)が出てきた (2) 幕末日本で「珈琲」という訳も作られた (3) 日本カフェー文化の勃興の中で1880sまでは「咖啡」「珈琲」どちらも使われる (4) 日本でいつしか「珈琲」が定着。

2015-08-04 07:34:45
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@tricken したがって、宇田川榕菴が関わった“という伝承がある” 『博物語彙』(18??年) で「珈琲」訳を採用 【要検証】okwave.jp/qa/q2626958.ht… 、そして最後に19世紀のどこかで王扁の“珈琲”が定着、か……。

2015-08-04 07:37:30
リンク 質問・疑問に答えるQ&AサイトOKWave どうして珈琲の偏が中国語と日本語では違うのでしょうか? コーヒーを中国語では口偏の「咖啡」ですが、日本語ではなぜか王偏の「珈琲」です。 なぜ日本語では偏をそっくりそのまま取り替えたのでしょうか?取り替えた意味がわかりません。
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@tricken 最後の謎が2つ。「どのようにして珈琲/咖啡 の並走状況が生まれ、どの時点で「咖啡」より「珈琲」の方が競り勝っていったのか、「珈琲」が顕著に日本語として普及した特異点は明治20s〜大正・昭和期までのどのあたりにあったのか」という疑問。

2015-08-04 07:39:19
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@tricken 前者を α.【「珈琲」制空権奪取はいつか問題】、後者を β【清代文化史としての「咖啡」位置づけ問題】 としよう。これがわかれば、【未解決】タグは外せることになる。今回のありらいおんさん他のさらなる〈図書館〉技能により中国語側の語源事情はだいぶわかったんだけども。

2015-08-04 07:42:47
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@tricken 確かに、明治後のメディア普及の中での「コーヒー」言及が国民-国家内での言語の標準化を大きく促進したのはあるかもしれない。しかし、新聞連載で影響のあった夏目漱石も、珈琲と咖啡は併記だったことが多かったらしく、どっちが顕著に影響を与えたかはまだはっきりしないんだよな

2015-08-04 07:46:25
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