「大観伝」近藤啓太郎著 引用と考察
「大観は自分に都合の悪いことはさっぱりと忘れることの出来る異常な性質の人間とでも解するよりほか仕方なかった」大観伝 第四章より。(再引用) ワガママに生きてきた人は、このくらい快活な感じに老成して欲しいです。
2015-06-24 23:45:01図書館で画集の解説読んでても、やっぱり多少婉曲に表現してます。 コンタさんの歯に衣着せぬ人格否定、良いな。「大観伝」の見所は岡倉天心さんの山師っぷり。 こんな人に付いて行って大丈夫なんかて、ハラハラします。
2015-06-24 23:56:57「先生は、皆が売れそうなものを、売れそうなものをと作っているから、売れないので、売れないものを作って見よ、必ず売れるようになるといわれたので、一同は大喜びで帰った」 「勿論売れやしません。それで(中略)揃って売って戴きたいと先生に頼みに往ったものです」
2015-06-25 14:55:09「そうすると先生は果して怒って、全部買い上げた上、みんなを呼んで、その面前で買い上げたものを庭に積み上げて焼いてやろうと思ったなどと言われた」「先生にはやりかねない事です」 大観伝より、「日本美術院史」集録の平櫛田中談。
2015-06-25 14:55:43映画「天心」公式サイト eiga-tenshin.com 有識者コメントからすると、ちゃんとしてるみたいですね、破天荒なとこが。 Amazonの動画配信にもあったので、余裕出来たらKindleタブレットで見てみます。
2015-06-26 00:24:47娘達、中々寝てくれなくて、「天心」途中なんですけど。天心さんが酔うと好んで唄ってたという「堂々男子は死んでもよい」の節回しが分かってスッキリしています。映像化はこういうのが肝心。
2015-07-02 23:44:08「大観伝」の方が面白くて為になるのは、まあ仕方ない。人物描写のユーモアセンスが土台から違うんやから。特に近藤啓太郎さんは政治的なもんとか世渡りを気にしてない爽やかさがある。 映像のお陰で視覚的に補完されて、「大観伝」がより楽しめます。物足りないけど、見て良かった。
2015-07-03 03:11:18教養があれば、底の浅い勘違いした人間に何を言われようと、自尊心は傷付かない。 そう思うのですが、天心さんのように大風呂敷広げては飽きて丸投げして逃げるような人に振り回されることは、打算で生きていれば防げるんちゃうか、という気もします。
2015-07-03 10:53:27「「近代日本美術史」は、戦後続々とつくられた美術館の展覧会事業の中で形成された。展覧会で選出された作品と作家が、くり返し展示され、マスメディアやジャーナリズムで社会周知されることで、アッという間に近代の"名作"と"大家"が選出されたのである。」
2015-06-24 11:08:41「「近代日本美術史」は、民主主義国家として再出発した戦後の日本が、国家主義の戦前の日本を否定し、過去化する中で形成されたものだった」
2015-07-05 23:42:46「切り落とされたのが、近代天皇制の中枢・宮内庁をバックにした旧派系の美術であり、ピックアップされたのが、文部省をバックに西洋化を進めてきた新派系の美術だった」
2015-07-05 23:43:35戦後の民主主義の論理で宮内庁寄りの旧派が淘汰され、日本を代表する画家となったのが「明治時代の水戸人なので元来尊皇の念は強い」大観さん。
2015-07-05 23:58:29引用文は「」で括ってます。自分の稚拙な言葉と混同されては申し訳ないので。 今、この点が引っ掛かっているので、引き続き調べものを続けているんです。
2015-07-06 00:02:02日本画の様式が形骸化して廃れていったという経緯は、分かるのですが、 私くらいの世代では小さい頃から、猫も杓子も"独創性"ということを言われていて、そこに"教育ママの浅ましさ"のようなものを感じてしまうんです。もの考えも大した努力もなくチヤホヤされたいというような。
2015-07-08 01:44:43独創性を伸ばすとかいうの教育の方が形骸化してへんかと思います。 先人が何をやっているかを知らずに新しい事は出来ないというのに、足枷になるから余計なことは知らなくて良いとか、鍛練の手段であっても真似をしてはいけないとか。
2015-07-08 01:52:57絵に限らず、"血の通ったもんを作ろう"ゆう事なんやと思うのですが、稚拙であっても良い、幼稚であっても良いという事では決してない筈やのに、自分が受けてきた教育からは、文明に毒されてない原始的なものを独創性と呼びたがってるような節があると感じてます。
2015-07-08 02:06:10バレエのレッスン見てても思ったけど、基礎を学ぶのは"より自由闊達な表現手段"を得たいからで、個性を身に付けるためにハナから基礎に目を瞑れゆうのは頭おかしいとすら思います。
2015-04-17 19:33:05コンタさんの日本画論を反芻しています。 "無から有を造り出せ"みたいな無理のある独創性偏重の教育を受けるより、近藤啓太郎さんに筋道立った絵画論を習った方が、余程、個性を伸ばす事ができると思う。
2015-06-26 23:39:01コンタさんが常々訴えておられたような、古画を模写する学習方なんかも廃れていってますし、 形骸化した"型"だけでも伝え続けてくれていれば、後の研究者は随分助かったやろうなとは思います。
2015-07-13 10:52:07生き残る為、変化してゆく環境に適応して進化をしなくてはいけないという時に、種の保存を訴えるのが、伝統文化というもんかな、 と引き続き芸術家と職人について考えています。
2015-07-13 10:48:36「ファッショの恐ろしさは、大観が若い頃から反抗しつづけてきた官権の圧力とは次元が違う。過去の権力は、日本美術院創立のための寄付に圧力をかけたり、大観を文展審査員から追放したりする程度のことであったが、今度のは直接生命を脅かす性質を持った権力であった」大観伝第九章より。
2015-07-18 13:52:37「戦勝気分の開戦当初から、大観は疎開先を探すくらいに日本の敗戦を見透かしていた。そのくせ、戦争に反対する勇気はなかった。時の流れに対して一個人の反対など無力なのだから」「右顧左眄すべきではなく、むしろ積極的に協力すべきだとして、大観は指導者として狂奔したといえる」大観伝第十章より
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