[中村政人個展]再考:90年前後の東京のアートシーン。そのとき何が起こっていたのか?[実況]

トークセッションの実況ツイートをとりいそぎまとめ。 ゲスト/出原 均(兵庫県立美術館学芸員)、黒沢伸(金沢湯涌創作の森所長)、小山登美夫(ギャラリスト) 聞き手/福住廉(美術評論家) 2015/10/18 (日)  15:00 - 17:00 続きを読む
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みそむーおでん @misoni_2013

黒沢「スタジオで作った作品が美術館に置くとつまらない。それなら作品をフレッシュでビビッドなまま出せば良い、と。

2015-10-18 16:18:33
みそむーおでん @misoni_2013

黒沢「ヤノベケンジの時はアーティスト・イン・レジデンスとタイトルをつけている。厳密には異なるがあえてそう言おうとした。

2015-10-18 16:18:39
みそむーおでん @misoni_2013

黒沢「若手の発表場所を作らないといけないと思った。貸画廊でなく。当時は小山登美夫ギャラリーのような場所はなかった。印象派がうって出た時には皆若かったはずだ。日本でそれをしないのか、と。若い人をナマモノとして同時に空間的にも体験しようと

2015-10-18 16:19:58
みそむーおでん @misoni_2013

黒沢「大学時代にはもの派のつまららなさを感じて・・・手の内みえるでしょう、と。楽しめるけどそれはリアリティに見えない。夜遊びもできるような時代だったし。 小沢のような、あの作るものないからって相談するとか、小さな牛乳箱を画廊っていうとか、ほんとに本気でやってしまった、と

2015-10-18 16:21:20
みそむーおでん @misoni_2013

福住「もの派とポストもの派の影響力の強さ、今の若い人には分かりにくい。その抑圧感があったからこそ、美術家どうかわからないギリギリな村上や中村が出てくる。 20年続くVOCAがあり、このフォーマリスティック絵画だが、これが諸悪の根源ほどでもないが、そこで絵画での抑圧は分かる。

2015-10-18 16:22:56
みそむーおでん @misoni_2013

福住「もの派ポストもの派は突破しないといけないと思うほど強大なもので抑圧だったか? 黒沢「美術は自由だが、ものをそこに置きそれを観賞することが正しいとなれば抑圧なのだけど、そうではない。ギンブラートなども事件がそこで起きておりそれが作品になったと変わったのではないか?

2015-10-18 16:24:59
みそむーおでん @misoni_2013

黒沢「新宿少年アートはライブ感覚。僕がバンドやっててライブやってたから事件として発生するその美術は共感できる。2月1日祭、同じ誕生日だからといってそれをアートイベントにしてしまうという、有象無象の若者がそこに集まり事件となる、それが美術になる。

2015-10-18 16:26:11
みそむーおでん @misoni_2013

黒沢「抑圧か、といえばそうでなく、違う方向に向かったといえる

2015-10-18 16:26:25
みそむーおでん @misoni_2013

筆者)新宿少年アートの画像をみています 福住「ベビーカーに乗っているのが黒沢。ギャラリーツアーをしている。この作品群の記録をしているのが中村。みな自分の身体を晒して表現をしている。ものをただ置くだけから自分の身体を晒す方向へ進んだともいえる

2015-10-18 16:27:49
みそむーおでん @misoni_2013

福住「肉体性・身体性から90年前後振り返ってどうか? 出原「アゲインストネイチャーまでの作家は、どのように作品作るかスタイルがはっきりしてて、後は画商に売ってもらうと。 ある画廊は海外から海外作家を持ち込み売り、ある画廊は国内の作家を国内(美術館)へ売る、と

2015-10-18 16:29:40
みそむーおでん @misoni_2013

出原「かなり意識高い村上と中村がおり、将来どうあるべきなのか考えていた。前の人はスタイルを作ることが必死だったが、日常的なことを出すことそれが新鮮で驚きで、制度を崩すために別の制度を出すの重さではなく、もっと日常的なことで軽く崩してしまう感じ

2015-10-18 16:31:27
みそむーおでん @misoni_2013

出原「村上の個展をやったのも制度から出て行く事をやってみたいな、と。 ふ

2015-10-18 16:32:03
みそむーおでん @misoni_2013

福住「ニューペインティングの話がないのでそれを。もの派は西洋主体でない東洋的主体を求める流れでもあるが、、、 出原「70年代は絵画・絵画の身振りが古いものだった。80年代から絵画が復権、ニューペインティング的な影響かもしれないが、私は彫刻中心に見てたが、辰野登恵子中心に盛上がる

2015-10-18 16:33:41
みそむーおでん @misoni_2013

出原「ニューペインティングによる復権で絵画もばんばん買われていた。 小山「確かにポストもの派亜流の人たちが居た。浜松の野外彫刻展もあって、すごい精力的だった。一方セゾンの見ることのアレゴリーがあった。そして絵だけは売れていた。中村一美も29歳で美術館に売れていたり

2015-10-18 16:35:04
みそむーおでん @misoni_2013

小山「藤枝晃雄の影響力が強かった。都現美もバンバン買ってたし。 でも同じことをしていたら駄目だ。見ることのアレゴリーで売れていたが、それは仮想的としていた。60年代頃の理論を彼らはずっとやってて、、、それと違うことするしかない、と僕らは思っていた

2015-10-18 16:36:14
みそむーおでん @misoni_2013

[修正] それは仮想的としていた。→仮想敵としていた。 twitter.com/misoni_2013/st…

2015-10-18 19:12:09
みそむーおでん @misoni_2013

福住「90年代はポストもの派との断絶がある。しかし美術館は歴史を更新しないといけない。そこで村上や中村が登場してきてでもコレクションされない。直線的でなくては良いとはいえ、正統的にそれらを収集し歴史化しないといけないが?

2015-10-18 16:37:31
みそむーおでん @misoni_2013

出原「会田誠の作品をコレクションしてるのが豊田、サムスン。でもペインティング。一番やばい作品はやはり持ってない。コレクションの考え方は色々だが公立の美術館で考えるのは保全されてるかどうか。 特別な意図を持ちある作家の全貌を集めるのは珍しい。無いならうちがやるとかあるけど

2015-10-18 16:39:23
みそむーおでん @misoni_2013

出原「だからどこかで保全されていたらいい。なので高橋コレクションでもいいし。なので一部持っておけばいいというのはある。 美術館同士でやりとりあるわけでもないが、あ、あの作品あの美術館にとられた、みたいなのあるけど、館長が良いとはいえ即断即決できず手続きに時間がかかる

2015-10-18 16:40:34
みそむーおでん @misoni_2013

小山「高松美術館、DOPくん系持ってるのはそこだけ。花はモノクロームは千葉、近美はポリリズム買った。きっと近美はポリリズムまでだと思う。DOPくんはマンガっぽい理由で買えないだろう。これだけは美術史にいれたくないという強い気持ちあるのでは?

2015-10-18 16:42:12
みそむーおでん @misoni_2013

花はモノクロームは千葉→花は21世紀美術館、モノクロームは千葉(筆者:千葉のどこか不明) twitter.com/misoni_2013/st…

2015-10-18 19:22:19
みそむーおでん @misoni_2013

出原「でも東近美にはチンポムがある。なので世代が変われば変わる。その時代の重要な作品にも手を出す。しかし予算がない。 古い作家・古い現代美術は若い学芸員には現代美術でなく分からない。なのでその点で収集が変わるのでは?

2015-10-18 16:43:37
みそむーおでん @misoni_2013

出原「我々の時代は50年代から美術の歴史とし収集が始めないといけない。美術館開館ブームになると印象派なども各地に買われるが、兵庫県美でやっと具体が買われたりして、、、中西夏之は圧倒的でペインティングは収蔵されていた

2015-10-18 16:45:00
みそむーおでん @misoni_2013

出原「広島市現代美術館が宮島達男のインスタレーション作品買ってて、当時としては画期的であった。ぽんと物を置くだけでなく設置が必要で相当大変。90年代後半には予算が無くなり手が出せなくなる。お金あるのは唯一国の美術館のみ

2015-10-18 16:46:15
みそむーおでん @misoni_2013

出原「20~30年のタイムラグがあった。80年代に50~60年の作品を買う。しかし今はもっとスパンは短い

2015-10-18 16:49:26
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