中ザワヒデキ文献研究 「還元主義から新表現主義へ」「東京直接表現小史」 2015年度第11回 2015年11月11日(水)[実況] #文献研究
- misonikomioden
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松澤宥の物質否定はプラトンのイデア論と同型だが強烈な東洋的思想的背景がある。 しかしモダニズムの帰結としての還元主義の否定、はそのまま超現実主義な現実逃避に直結するものだ。 ハンパク的な意味ももつ「人類よ消滅しよう行こう行こう(ギャテイギャテイ)」、「またニルヴァーナ(涅槃)」
2015-11-11 19:48:07欧米のコンセプチュアルアートは松澤宥より一年後に始めた人がいる。 普通コンセプチュアルアートといえば松澤宥でなく彼を言う。 ジョセフ・コスース。彼が論文を書いたのはまだ若く20歳の頃だった。
2015-11-11 19:49:18コスース。 アートアフターフィロソフィー。哲学以後の美術。これが論文で、 そして一つと3つの椅子という作品を作った。 つまり美術とは美術の定義であるということで、つまりこれは同語反復となる。
2015-11-11 19:50:24しかし、コンセプチュアルアートは今はコスースでなくオノ・ヨーコのほうが取り上げられている。そのためオノ・ヨーコそしてフルクサスがコンセプチュアルアートとして取り上げられる。
2015-11-11 19:51:11コスースの一つと3つの椅子は、それもやはり言葉を扱っている。辞書で定義しているから。 松澤宥は(ハガキには何も書かれていないが)見よここに白色円形根本絵画というように詩になっている。 またオノ・ヨーコは指示書。指示書という形式は音楽から来ているのでフルクサス的
2015-11-11 19:55:41美術とは何かを問う時に、絵画や彫刻でなく、それすら取り去った時に残るものは何か、ということでコスースも松澤宥もオノ・ヨーコも同様かもしれない。 精神性が定義に向かうか感情の方向に行くかの違いがあるが、ものを取り去っても美術として何が残るか。 中身すら捨て去ったのがミニマリズム。
2015-11-11 19:57:03万博芸術は進歩主義モダニズムとしての美術が流れ込んだ。 一つには実験工房。 一方、物質から概念を排除するものとしてもの派。 リーウーファン、高松次郎門下など
2015-11-11 19:57:57もの派のもおは物質でないと指摘されるが、世界と出会う表現と言うのは超現実主義的要素にもみえる。 また関根が概念性や名詞性の埃を払ってみるというのは物質性への還元と言える
2015-11-11 19:58:52また峯村敏明が<もの派>についてという論考をBTへ寄稿しているが、万博芸術は何も生まなかったと一蹴している。この態度が面白い
2015-11-11 19:59:37もの自体の呪物性やフェティッシュが出てくると、シュルレアスティックに見える。 つまり李禹煥のいう「出会い」とはガラスの上に石を置く作品であり「デペイズマン」。その出会いに今までと違う何かが生まれるという期待。シュルレアリズム。ものをものとして置いただけでない。
2015-11-11 20:01:16で、本文に戻るが、 峯村敏明が万博芸術を無視する態度は千葉成夫にも受け継がれる。 菅章や椹木野衣は聖戦美術と万博芸術の同型性・同質性は戦争に美術が加担した歴史(藤田嗣治]が抹殺されたように、万博に美術が加担した歴史(岡本太郎)も同様抹殺された。
2015-11-11 20:10:57タブーとするのは誰だったのか。 明快に誰とは言えない。 確かに峯村敏明は断定的に否定しているが、、、 公平に見れば万博芸術もハンパク芸術も面白い。 しかしそのハンパク芸術も無視されている。 いずれにせよ日本概念派が日本の美術の主流となる
2015-11-11 20:13:11美共闘の彦坂尚嘉は彼=美術家と呼ばれてるか自明でない一市民の家である空間がラテックスで脅かされる作品をつくり、もの派と日本概念派を観念的な神秘主義として退けた。美共闘は逆説的に還元主義(モダニズムの同語反復的帰結として)の正当な継承者となった。
2015-11-11 20:16:131970年行こうは多様性に向かい、 松澤宥は超現実的傾向をみせ、人間と物質展でも、もの派というより、やや趣が異なる作家が多く出ていた。
2015-11-11 20:19:23物質性や概念性への還元つまり物質についての美術がもの派、概念が概念についての美術だったのが、ポストもの派となるとものを用いた美術、ポスト概念派は概念を用いた美術となり、マイナスのベクトルがプラスのベクトルへ移行する。
2015-11-11 20:19:3770年代行こうは日本列島改造論がある一方、公害問題・石油危機。 浅間山荘事件、米ソ核開発、日本沈没、ノストラダムスの大予言などイズム後退によるノンポリとしらけ。
2015-11-11 20:20:46安全保障というタブーにふれさえしなければ核の傘に守られた聖域が出現したように、タブーを定立させた美術も同様に美術内美術の出現となり多様性の時代となる
2015-11-11 20:23:26峯村敏明が歴史を一言で絡め取ろうとたポストもの派、彦坂や千葉が使用したポスト概念派を対置させ、それぞれ物質を用いた美術と概念を用いた美術として図式化した方がわかりやすい
2015-11-11 20:27:35李禹煥のキャンバス回帰はその意味で保守反動ではなかったか、と つまり分析的キュビズムのピカソやストラヴィンスキーも春の祭典など調性の破壊した音楽家のような歴史の破壊者が突然新古典主義作風や調性回帰をしたのだが、その点で循環史観的に似た役回り。
2015-11-11 20:30:30