ぼくたちはすでにアバターたる主人公の呪縛を逃れ、それぞれの登場人物に感情移入できる一方で、その所有の道を閉ざされつつある、などということを「ef」に感じるなう
2009-11-17 00:07:18そもそもなにゆえエロゲーで主人公のキャラを立ち上げるということが特別な意味をもって語られるかといえばヒロインばっかり立ちがちであるからで。特にポストFate的な問題意識としての主人公立ち上げ論はヒロインに依存した構造を前提とするものとして考えるべきかと
2009-11-17 00:07:20@catfist むしろ暴言するとタカヒロは上手いストーリーとかあんま書けないんじゃないですかね。ワン子シナリオのラスト、「今までが無駄になっていなかった」という描写を、天変地異を起こして強引に組み込んでるところ(そこまでのエピソードに自然に組み込めなかった)とかみると。
2009-11-17 00:07:40@nasio そういう資質をもった人の手管としてヒロインの存在を特別に重くしないというのが出てくると。そこはそれなりに有意な論点かと思います
2009-11-17 00:08:52ほんで逆の方法論としてそもそもヒロインに依存した構造を採用しないというのがあり実のところこっちのが主流。てとて然りるい智然りまじこい然り
2009-11-17 00:11:15ここにおいて主人公とヒロインはある状況における完全にフラットなプレイヤーであり、「読者」の感情移入対象はPCとしての主人公、あるいは悲劇の主人公であるヒロインに必ずしも縛られない、であるとか。例えばユキ@まじこい
2009-11-17 00:13:28@hachimasa いやほら、俺らヒロインにも感情移入するでしょ。それは所有じゃなくて共感として。まあこの共感ってのが曲者で、自分に似た存在である/自分の憧れの存在である/自分より劣る存在であるがゆえに、的バリエーションがあって、その一部はレイプファンタジーに近接するのだけど。
2009-11-17 00:13:37@crow_henmi プレイヤーは登場人物みんなに共感するんだぜ小説みたいな感じで、ということですかね。/メタがどうこうといったのは、最近のエロゲーは主人公がキャラ立ちしすぎたせいで、別にプレイヤーのアバターが設定されることがあるからです。11eyesやるい智やてとてトライオン
2009-11-17 00:18:01実は聖杯戦争というフェスティバルもそうした主人公とヒロインがフラットに参加しうる状況としてのポテンシャルを持っている。そのように運用されなかっただけで。ホロウはそうした祝祭としての聖杯戦争を改めて立ち上げているといえる。
2009-11-17 00:19:09ヒロインの問題・トラウマを主人公が解決することによって、ヒロインが主人公にどうしようもなく依存する・支配される(クッションの綴じ目的な)っていうものがない。Kanon問題とか起こりえない。とりあえずタカヒロにおいては、東浩紀さんいわくの「父になる」という奴は存在しない。
2009-11-17 00:19:50@catfist 所有と共感というところで差異を見出せるかなーと。所有できない少女に共感するということは己の一端をキャラクターに預けるということであって、その少女が助けられるということはレイプファンタジーではなく被レイプファンタジーなのだとか云う感じで。
2009-11-17 00:20:11@nasio その観点から姉しよはどのように評価されるのですか、とミサカはミサカは答えの返らない問いを投げかけてみたり!
2009-11-17 00:20:53@hachimasa 俺が2003年ごろに設計していたプランでは、アバターは決定的に無力な傍観者であることが必要とされていたんだけど、そこまで徹底してるかな?
2009-11-17 00:21:10@catfist 主人公が主人公しすぎているジャンプ症候群、というものがFateにおけるフラットさの阻害としてあったんじゃないでしょうか。群像劇的に描いていくならありでしょう。しかしそれをしてはならない必然性というのがFateにあって、つまりはどこまでも衛宮の物語ということです。
2009-11-17 00:24:24@catfist うん、だから決定的なシーンで「悪い方向に」決定的なアクションをしてしまう。ということを考えていました。なぜならそのときのプランは悲劇であり不可能性の物語だったからです。これだよ。
2009-11-17 00:25:56街という巨大なコミュニティに加えてまさに祝祭をタイトルに持ってきた『Festa!!』ってスッゲェー気になる作品なんだよな。
2009-11-17 00:27:50