- jrt_junior_
- 48564
- 316
- 22
- 213
@suzy_itak 確かに「ニヴフ的な処理」としてはそこかもしれませんね。個人的な印象では、1大量に食べる2細かく切る3伝統的には味が薄い(キヒも使わない人が多かったらしい)4炭水化物と一緒に食べないというあたりが現代日本の刺身との違いという感じです。
2015-12-10 15:11:24もちろん「日本料理」「フランス料理」「アイヌ料理」「ニヴフ料理」などは、あまり意味がある分類ではないし、研究者は使わない用語。「固有の料理」なんてあやふやなものだから。そういうのはあんまり真面目になると定義厨になってしまう。無駄な議論。
2015-12-10 10:11:46ニヴフ
樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住む少数民族。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニヴフ
@shinshukeshiiku 近代的で大規模にジャガイモを栽培したのは北海道開拓使によるものだろうけど、それを「北海道で初のジャガイモ栽培」とするのは雑過ぎる。
2015-12-09 15:49:58@shinshukeshiiku 日本へのジャガイモ伝来は確か安土桃山時代だったと思うし、江戸後期には東北から蝦夷地で飢餓対策としての奨励栽培が行われてたと聞く。そう言う意味では北海道で開拓使以前にアイヌ(&和人)がジャガイモを家庭菜園程度の規模で耕作してたとしてもおかしくない。
2015-12-09 16:31:08@shinshukeshiiku 「ジャガイモ使ったアイヌ料理」がおかしいなら「ジャガイモ使った和食」も「ジャガイモ使った中華料理」もおかしくない?、だってジャガイモって南米アンデス原産なんだぜ。
2015-12-09 16:33:09@shinshukeshiiku ポッチェイモとかが変なら肉じゃがだって変だしフィッシュアンドチップスなんかありえないって事になるけど、それは人類の食に対する情熱への冒涜では無いのか?
2015-12-09 17:04:19岩波から山本紀夫『ジャガイモのきた道-文明・飢饉・戦争』(2008)ちう本が出てるズラ。持ってるのに出てこないズラ(つд⊂)。内容はうろ覚えだけどエモが北海道にきたのは確か18世紀。樺太ではヌチャトマ(ロシア人のトマ)ちうから、もうちょっと定着おそいかもしれんズラ。
2015-12-09 16:46:35@asiriitakku 先の本によればエモの栽培は18世紀の初めか末頃。なぜそんな幅があるかというと、18世紀はじめにイモ栽培が記録されてるけども、同じ名称で違う品種を指してる可能性があると。確実なのは18世紀末。何にせよ、北海道に来て百数十年ですっかり定着して愛されまくりズラ
2015-12-09 16:50:20@asiriitakku 本州には見られない、北海道ならではの保存法(ポッチェイモ・ペネイモ・ムニンイモ)が生まれてる辺りにも定着ぶりが表れてるズラねえ。
2015-12-09 16:51:53@asiriitakku もちろん、記録されたものが人々の暮らしのすべてなんてことはないから、もっと遡ってもおかしくないズラ。
2015-12-09 17:04:04munin-imo 腐れる・イモ pene-imo どろどろになった・イモ potce-imo どろどろになった・イモ その他アイヌの間では 「しばれイモ」とか「腐れイモ」の名で呼ばれる
2015-12-09 13:44:03前年堀残しのジャガイモが冬の間に雪の中で熟成されどろどろになったものを春になってから加工し食糧にするもので、かつては貧乏料理のイメージもあったようだが、今ではわざわざしばれイモを作ったり、販売されたりしている。
2015-12-09 13:52:09しばれイモに限らず、ponesapaなどアイヌにとってはご馳走であったが、それを食せぬ和人が馬鹿にするもんだから、ある年齢の年寄には「貧乏料理」という印象を植え付けたと思う。
2015-12-09 13:55:38今になって和人も盛んに ponesapa を食べるようになった時に、年寄りたちが「今じゃシャモも美味しい美味しいってponesapa食べてるな。時代は変わったもんだ。」としみじみ言っていたのが忘れられない。
2015-12-09 13:59:35ジャガイモについて言えば道南部は入って来たのも早い。 八雲にもイモ堀のウポポがある。 イモモシリカタヤンケホレウクワヌカラン! イモを地上に引き上げ、さあ、取ってみなさい!
2015-12-09 14:08:49@la_pacchia 骨付き肉というか、肉を外した後にまだ肉がわずかに付いている骨とか内臓類をまとめて旭川で「ポネサパ」と呼んでいました。昔は和人が牛馬豚などつぶしても、まだそういった部分はあまり食べる人もいなかったので安く買えたと言います。
2015-12-13 17:42:14そうですね。内臓をお汁にするって和人はあまりしないと思いますが、昔の人は喜びましたね。アイヌでも和人の食生活を送ってると、三食こういうお汁が出てもさすがに前日深酒した朝はつらかったなんて話も聞いてます。年寄りは平気なんだけどね。 twitter.com/la_pacchia/sta…
2015-12-13 17:54:07ポネサパは骨だけではなく内臓類まで含めて、つまり今なら「骨付き」とか「ホルモン」と言われるものを指して使われていた。年寄りと焼肉屋に行ってもアイヌ語でそう言っていた。ただ骨に関してはお肉たっぷりの今のものを想像してはダメなのかもしれない。
2015-12-13 18:05:07「アイヌ世界におけるジャガイモの伝播には北方(ロシア)と南方(日本)、2つのルートが存在したことが伺える。」 アイヌ料理 - Wikipedia - ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2…
2015-12-09 15:58:09