歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?

本スレッド(歴史学をめぐる議論 http://togetter.com/li/8653 intellectual history をめぐる書き込み http://togetter.com/li/8507 )から派生したもので、基本的にodg1967が自分のための覚えとしてまとめたものです。問題の所在を明示するためにodg1967の判断で重要なツイットに色を付けてあります。続きは「思想史の中の history と theory、ときどき nature...」 http://togetter.com/li/9514
37
前へ 1 ・・ 4 5 次へ
Adam Takahashi @adamtakahashi

例えば、「内部の勢力」を記述する際に、統計的な手法を用いるのか、もっと叙述的な形で行くのか、統計を活用する際には、何の史料が有益なのか無益なのか、少し広げてどうしてドイツなのか、都市なのか、宗教改革の都市と農村では、そんなに違いがあるのか・・・。

2010-03-12 00:23:42
Adam Takahashi @adamtakahashi

こういうこと全部が、少なくとも私の理解では歴史学の「理論と方法」であって、別に敵対するものでも、格闘するものでもないと思います。ここにも、既に幾つかのパラメーターが存在していることは十分に理解できるので、それらが相互に共有されて活用されれば、とても有益な議論になると思います。

2010-03-12 00:25:28
Adam Takahashi @adamtakahashi

こういうことを言うと、「それは多くの健全な歴史研究者は共有している」というご意見をいただきました。でも、そうは伝わっていないのではないか、というのが私の最初の率直な印象でした。

2010-03-12 00:26:44
Adam Takahashi @adamtakahashi

@shishin51 今日のやり取りで、「理論(や方法)」は「歴史学」に常に内在したものであって(というのも、何を論点として選択し、分析するかということだけでも、十分に何らかの理論ですよ・・・)、そこから乖離したものではないのではないか、という結論に至ったつもりです。

2010-03-12 00:53:12
Toshio Ohnuki @t_ohnuki

大変分かりやすいまとめで、勉強になりました。ありがとうございます。自分も論文書きに戻ります。 @adamtakahashi 今朝頂いたご質問への回答を試みました。さらに、ご指摘やご質問がございましたら、仰っていただければ幸いです。 @contractio @saisenreiha

2010-03-12 01:02:27
河野至恩 / Shion Kono @shionkono

「歴史学をめぐる議論」のまとめを読んだ。歴史学研究を実践するうえで踏まえておくべき史学史とか歴史哲学の問題とは別に、「理論」という言葉が引き起こすある種の連想と(時にはアレルギー的な)反応の問題がある気がした。文学でも似た状況はあるので、わかる。

2010-03-12 01:32:42
@odg1967

@shionkono 小森陽一さんは80年代の終わり頃に、文学理論というのは、読みのプロセスを可視化するものだとどこかで書いてました。読んでなるほどなと思った記憶があります。

2010-03-12 01:46:41
Adam Takahashi @adamtakahashi

RT: @shionkono 異なる分野の間でも話が通じた方がいいでしょ、と思うのも私のトレーニングが比較文学だからかもしれないが…。でも、これからは海外の研究者ともコミュニケーションする必要があるし、一般への説明責任もある。自分の分野の前提は言語化できた方がよいと思う。

2010-03-12 01:48:34
河野至恩 / Shion Kono @shionkono

@odg1967 はい。そして「読みのプロセスを可視化」するものとしての「文学理論」への過剰な期待が、逆にディシプリンの側からの「文学理論」へのアレルギー反応を生んだ面もあるのではないかと。うまく言えませんが。

2010-03-12 02:06:23
@odg1967

@shionkono そうですね。明らかに過剰でした。そのぐらいひとびとは飢えていたのかもしれませんが。

2010-03-12 02:07:57
Adam Takahashi @adamtakahashi

異分野間で差異があるのは当たり前。扱う史料も違うし研究史も違う。ただ、そこで差異や隔たりだけを強調して終わるのではなく(そして単に話して楽しかったということで済ますのではなく)、時代や地域を共有しているのだから、今後の研究に繋げるためのコンセンサスを幾つか得るように努めること。

2010-03-12 22:46:59
Adam Takahashi @adamtakahashi

歴史学の「理論と方法」ということで議論になった時に、自分が強調していたのは、論文としてアウトプットする際に、それが効果的に(同業者を含む)読者に読まれて、シェアされて批判されて引用されるといった点などを含めて「理論と方法」なのではないか?ということを目指していたのだと思う。

2010-03-13 07:21:54
Adam Takahashi @adamtakahashi

それは論文の小手先の技術ということではなくて、結局どういう史料に対してどういうアプローチを取るのか、その際の技法とは何かというインプットにもかかわってくるのは言うまでもないのだけれど。

2010-03-13 07:24:12
@odg1967

「歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?」ですが、現在「作業用ツイット」をやり直し中です。歴史学に「何かを理解し、世の中の流れを掴み、生き方を考える」という人文社会科学のべたべたな基本があるということを確認するためにまとめたリストだったのですが、もはや原型が……。

2010-03-14 08:57:21
@odg1967

#以下「歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?」 http://togetter.com/li/9176 への補足。

2010-03-14 09:22:57
@odg1967

RT @contractio 「思想が歴史的文脈を超えて持ちうる力」云々というのは、「他人の人生は私の参考になるか」という話に似ているんじゃないかと思うのだがどうだろうか。 http://twitter.com/contractio/status/10251598773

2010-03-14 09:29:29
@odg1967

RT @contractio で、このなぞらえの延長線上でいうと、「歴史的コンテクストの検討をほとんど経ないでホッブズやマキアヴェッリを読む」というのは、サラリーマンが司馬遼太郎を読むのに似ている気がする。 http://j.mp/cSBZeH

2010-03-14 09:32:47
@odg1967

これについては、おそらく単なる感覚の問題なので、わかってもらえなかったらそれで終わりなんですけど、18世紀のフランスでルソーがホッブズとかマキアヴェリを読むのと、21世紀の日本でサラリーマンが司馬遼太郎を読むのが似てるとは、ぼくには思えないのです。

2010-03-14 09:33:51
@odg1967

電波呼ばわりされることを覚悟で申し上げますが、読むという行為は、歴史的制約を非常に大きく受ける行為だと思います。偉大な書物はいつ誰に読まれるかを選ぶといってもいいかもしれません。(だからもちろん、サラリーマンが司馬遼太郎を読むことで何かが起こる瞬間もあるのかもしれません。)

2010-03-14 09:34:19
@odg1967

これもぼくの感覚に過ぎませんけど(つまり明確な根拠は示せないということです)、ひとりの人間に限定しても、ある本をいつ、どのようなときに読むかということは決定的に重要であるような気がします。よかったら昔のエントリですが、これも参照して下さい。 http://j.mp/9KSVGi

2010-03-14 09:35:13
@odg1967

まあ、思想が歴史的文脈を超えて力を持ってしまうなんてことは、なかなか検証することができないことですし、半ば信仰の問題ですから、わかんなかったらそれで終わりですよ。だから繰り返し電波と呼ばれることを覚悟でと申し上げているのです。

2010-03-14 09:35:40
@odg1967

続いて、@adamtakahashi さんは「理論」に論文をどう書くかというようなことまで含めているのですけど、ぼくこれよくわからないんです。政治学だとこういうのは、パースペクティブとかナラティヴとか(非常に浅薄な意味での)レトリックという扱いで、理論というよりは実践の話。

2010-03-14 09:38:35
@odg1967

観点についての理論も、物語についての理論も、レトリックについての理論もあると思いますが、ぼくの感覚では観点は理論ではないし、物語も理論ではない、レトリックも理論だとは思えない。(そういうものを理論として扱うと、論文執筆時の衣食住のあれこれも「理論」ということになりかねない。)

2010-03-14 09:40:57
@odg1967

もちろん、「理想的な論文を書くための朝食レシピ集」とか、「査読に強くなるこの秋のワンピース着こなし術」という理論があってもいいのだけど……。(そして実際、研究者志望の学部生が院試対策と称してアナウンサー学校で美しいしゃべり方を学んだという事例も知っているのだけど……。)

2010-03-14 09:44:28
@odg1967

しかし、ぼくの理解では、理論というのは、個別的な事象の背後に規範とか法則といった普遍的な何かを見ることを意味する言葉で、政治学でいえば、個別的な事象を規制する規範を見出すのが規範理論、個別的な事象で検証すべき法則を見出すのが実証理論……というのが、一般的な理解であるような気が。

2010-03-14 09:47:09
前へ 1 ・・ 4 5 次へ