歴史学をめぐる議論
- saisenreiha
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RT @tamanoirorg: まあ同様に、門外漢は言及しないが吉、みたいな問題はあって、例えば哲学系の奴が、歴史の問題は固有名の問題、とか言い出すと、あまりのことに笑いが止まらなくなって、この馬鹿にこの先何百ページか付き合う気力を失う訳だ。
2010-03-07 06:43:15RT @tamanoirorg: 立派な哲学者でもそういう問題はあって、まあためにする史観ヘーゲルはしょうがないとしても、フッサールとかベルグソンとかはその段階でもう、およそ真面目に相手にする気にさえならない訳だ。彼等がせめて、同時代の歴史研究がどうなっているかに多少でも関心を持っていたらねえ。
2010-03-07 06:43:16RT @tamanoirorg: RT @nagato_y @tamanoirorg 以前、歴史学と哲学の合同シンポジウムで歴史学者の方が「それはもうミシュレのときにやった問題です」と繰り返し言っていたのをおもいだしました。
2010-03-07 06:47:20連続RTは、専門用語のいい加減な流用という本題よりも、「哲学」と「歴史」のあいだのギャップに注目した切り出し。いろいろ府に落ちるような。だとすると、哲学科のなかでも、哲学の人と哲学史の人(歴史学的アプローチで哲学的テクストを研究する)のあいだには相当なギャップがあるのだろうか。
2010-03-07 06:58:40@tricycler …先程の問題にも重なりますが、思想とか哲学が共時的にものを考える(つまり、たまに過去が捨てられているのに対して、歴史はいろいろなものを通時的に考えるので、総てのことは既に起こったことの変奏であるように考えたくなることがあるのではないでしょうか。
2010-03-07 07:20:40@Cristoforou いやあ、みんなとまでは言えないんじゃないでしょうか。歴史の忘却あるいは無知という側面はでかいと思います。
2010-03-07 07:26:42@Cristoforou かぶりましたね。確かに、哲学と歴史では、物事の「歴史性」の認識の深さにギャップがあるのでは、と思うことがあります。端的には、時代錯誤の問題なのですが。
2010-03-07 07:33:07@tricycler まあたしかに歴史の人がみんな注意深いわけではないですね。しかし、以前表象の学会で東浩紀さんと川上未映子さんがケータイ小説是非論を始めた時に、「なんかグーテンベルクの時代みたいな議論してますねー」と言ったら周りにいた思想系の人たちに驚かれたもので…
2010-03-07 07:33:07@Cristoforou そうなんですよ。反復していることを知らずに反復している。だからといって、おまえら、これもこれも知っとけーみたいな、いまの高校までの歴史の教え方もなんだかなー、と。
2010-03-07 07:36:41@tricycler …しかしながら我々文学畑は歴史もダメ、思想もダメだったりするので、全く偉そうなことは言えないです。それでもルネサンス文学の人たちは現代文学の人たちよりは多少気をつけていると思うのですが…
2010-03-07 07:43:38@Cristoforou まあ、お互い個人的にするべきことをすればよいと思いますが、あえて歴史学の問題をいうと、歴史学には歴史学のバイアスがあって、例えば、伝統的にはintellectual history を軽視してきたことです。これを「精神史」と訳すべきか考え中ですが。
2010-03-07 08:12:47これはイギリスでもそうで、先日亡くなった John Burrow の obituary にもそういう話がありました。そういうわけで、最近出た『ミクロコスモス』は重要だと。
2010-03-07 08:18:01@tricycler 'intellectual history'を「精神史」だと、フランス語の'histoire des mentalités'「心性史」との混乱がいささか心配ですね。
2010-03-07 08:26:08哲学と哲学史を問題とし始めると日本国内的には泥沼という話を頂きました。「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない場合が少なくないと(経験的には)思」う。うーむ、やはり相当なギャップがありそう。
2010-03-07 08:46:53やっぱり根強い学校教育の影響。 「感想文を書いてるんだろう」と思われてる私たち(笑) RT @tricycler 哲学と哲学史を問題とし始めると日本国内的には泥沼という話を頂きました。「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない
2010-03-07 08:51:56「「哲学」と「歴史学」のあいだ、「哲学」と「哲学史」のあいだ」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/8338
2010-03-07 10:25:21他の学問分野の用語を使うときにはよく理解したうえで使うようにという話があったばかりなのだけれど、歴史学者などがいう「歴史性」というのは、経済学でいう「経路依存性」と重なる部分があると思う。重ならない部分もあると思うが。http://bit.ly/9HMvtH 識者のご意見を乞う。
2010-03-07 12:52:08とりあえずここでは、経路依存性 (path-dependence) とは、歴史的な経路によって現在下される決定が制約を受け、将来もその影響を受けるぐらいの広い意味で理解しています。wikipedia (en): http://bit.ly/aYbp4D
2010-03-07 13:02:18@tricycler 国際政治学者(冷戦史家)のJ・L・ギャディスが、歴史事象における因果関係の過度な単純化を戒める文脈で、「初期条件に敏感に依存すること」=「歴史的経路依存性」の重要性を説いていますね。『歴史の風景』103~106頁。
2010-03-07 13:04:05@na_kanoh ありがとうございます。僕は中世史学者なので疎いのだと思いますが、ギャディスのような国際政治学者や経済学部所属の経済史家はこうした、社会科学的な語彙をより使っていそうですね。
2010-03-07 13:14:05そんな哲学科教員には会ったことがないなぁ。 RT @tricycler: // 「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない場合が少なくないと(経験的には)思」う。//
2010-03-07 13:19:41「歴史性」の理解は歴史学者の間でもまちまちなような。 RT @tricycler 他の学問分野の用語を使うときにはよく理解したうえで使うようにという話があったばかりなのだけれど、歴史学者などがいう「歴史性」というのは、経済学でいう「経路依存性」と重なる部分があると思う。
2010-03-07 13:23:46