歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?

本スレッド(歴史学をめぐる議論 http://togetter.com/li/8653 intellectual history をめぐる書き込み http://togetter.com/li/8507 )から派生したもので、基本的にodg1967が自分のための覚えとしてまとめたものです。問題の所在を明示するためにodg1967の判断で重要なツイットに色を付けてあります。続きは「思想史の中の history と theory、ときどき nature...」 http://togetter.com/li/9514
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@odg1967

歴史学方法論とか思想史方法論を単一の理論として押しつけられることは非常に迷惑ではあるのですが、歴史主義(この言葉の意味を説明できるひとはそんなにいないと思います)の考え方とかウィッグ史観批判とか歴史学方法論の多様性についての理解を共有する試みは有益だと考えています。

2010-03-10 02:00:06
@odg1967

@adamtakahashi スキナーが言ってること(≠やってること)は「思想家の意図の解明以上のことを求めてはならない」(大意) http://j.mp/bxoD1B ということなんですけど、こういう発想は history of ideas の発想とは相容れないと思います。

2010-03-10 02:40:49
@odg1967

@adamtakahashi 思想がコンテクストに依存してるという議論はいいんですけど「思想の歴史からわれわれ自身の直接的な問題への解決を求めることは、方法論的な誤謬を犯すだけではなく、道徳的な誤りとでも言うべきものを犯すことである」とか言われると何だかなあという気がします。

2010-03-10 03:46:26
@odg1967

@adamtakahashi 思想史において様々な文脈を踏まえなければならないということは、別にスキナーが言いだしたことではないと思うのですが……。ぼくがわからないのは、コンテクストを踏まえた思想史研究から現代的な知見を導き出すことを厳しく戒める、あのヘンテコな禁欲主義です。

2010-03-10 03:49:54
@odg1967

でも、たとえばルソーは歴史的コンテクストの検討をほとんど経ないでホッブズやマキアヴェッリを読んだわけですけども、そういう読みをアナクロニズムとして退ける気にはなれないのです。電波系と罵られることを覚悟しつつも、ぼくは思想が歴史的文脈を超えて持ちうる力に魅力を感じています。

2010-03-10 04:03:25
@odg1967

いままでの議論を吹き飛ばすような発言になりますが、歴史家の方法論ってつまらないのです。歴史家としての本業である歴史研究そのものを読む方が面白いに決まっている。有能な歴史家が方法論の問題に拘泥しない最大の理由はこの辺りにありそうです。

2010-03-10 04:16:50
縮限 @contractio

.@odg1967 議論にコミットするだけの教養がないので黙って(楽しく)拝見はしていたんですが。ちょっと素朴なギモンをば。

2010-03-10 09:42:13
縮限 @contractio

.@odg1967 「歴史家の方法論」と「本業である歴史研究」とを比較して、どっちが楽しいかを云々する意味が 私には わかんないです。

2010-03-10 09:42:25
縮限 @contractio

.@odg1967 方法(論)てのは「やりかた(についての議論)」であって、「本業」について、「どういうやり方をしたか(or すべきか)」「そのやり方でいいのか(どこがなぜいいのか)」などなどを云々するものじゃないんですかね。

2010-03-10 09:43:27
縮限 @contractio

.@odg1967 他方、研究者の「本業」というのは「(真なる)知見の獲得と提示」ではないかと思うのですね。それと「そのやり方」を面白さで比較する、というのが私にはよくわかんない、ということなんですが。

2010-03-10 09:43:37
縮限 @contractio

.@odg1967 ひょっとしたら私のこういう見方が間違ってるのかもしれませんが、いずれにしても、odgwさんが「歴史家(or 研究者)の本業」と「方法(論)」についてどう考えてるか知りたいところ。

2010-03-10 09:46:27
縮限 @contractio

.@odg1967 おなじ理由でこっちにも疑問が。http://bit.ly/dtCkjY<「歴史学方法論とか思想史方法論を単一の理論として押しつけられることは非常に迷惑」

2010-03-10 09:59:47
縮限 @contractio

.@odg1967 「単一の理論」として提出された「研究をどんなふうにすればよいかについての議論(=研究方法論)」というのを私は知らないので、疑問の半分は、私の無教養によるのだろうとは思うのですが。

2010-03-10 09:59:57
縮限 @contractio

.@odg1967 「(研究の)方法」という概念は、「(研究における)真理」の概念と結びついているはずなので、

2010-03-10 10:00:55
縮限 @contractio

.@odg1967 言い直すと、「私の提示する知見はこれです」と「この知見は こういうやり方で獲得しました」とがペアになっていればいいだけじゃね?と思うのですよ。

2010-03-10 10:01:21
縮限 @contractio

.@odg1967 なので、「迷惑」とか「押し付け」という言葉が出てくる感覚がわからない。

2010-03-10 10:01:31
縮限 @contractio

.@odg1967 想像が働かないので、なんか「迷惑だった例」を挙げてもらえると嬉しいんですが無理かw。

2010-03-10 10:01:42
縮限 @contractio

・・・と いうところまでで、本業に戻りますよ。

2010-03-10 10:02:31
縮限 @contractio

私はスキナーのこういう(http://bit.ly/aSkv4K)主張をみて、とりあえずは「そりゃそうだよな」と思うだけなので、odgwさんとはめちゃめちゃに距離があるのかもしれないんだけど。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:38:57
縮限 @contractio

・・という前置きのもとで 素朴な話をもう一つ。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:39:10
縮限 @contractio

「思想が歴史的文脈を超えて持ちうる力」云々というのは、「他人の人生は私の参考になるか」という話に似ているんじゃないかと思うのだがどうだろうか。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:39:26
縮限 @contractio

で、この件については、直感的には、「基本的にはベタ参考にはならないが、たまに参考になることもある」くらいのことしか一般的には言えないだろう、という気がする。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:39:37
縮限 @contractio

で、このなぞらえの延長線上でいうと、「歴史的コンテクストの検討をほとんど経ないでホッブズやマキアヴェッリを読む」というのは、サラリーマンが司馬遼太郎を読むのに似ている気がする。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:39:47
縮限 @contractio

で、「参考になるか」ということでいえば、きっと「参考にしちゃってる」か、あるいは少なくとも本人たちとしては「参考にしたい」と思って読んでるんだろう。というか、「参考にしたいんですっ!」と言われたら、「そうですか」とか返すしかないw。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:40:22
縮限 @contractio

(でも「他人の人生を参考にすること」は、やり方によっては倫理的問題を生じさせうるし、それをさておいても・少なくとも、)「それは何をしていることになるの?」と問いたくなるような気はする。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:40:32
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