歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?

本スレッド(歴史学をめぐる議論 http://togetter.com/li/8653 intellectual history をめぐる書き込み http://togetter.com/li/8507 )から派生したもので、基本的にodg1967が自分のための覚えとしてまとめたものです。問題の所在を明示するためにodg1967の判断で重要なツイットに色を付けてあります。続きは「思想史の中の history と theory、ときどき nature...」 http://togetter.com/li/9514
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縮限 @contractio

まぁ、似てなかったらごめんなさい。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:40:41
縮限 @contractio

リアクションしにくいネタだと思うので、返事は無理にしなくてよいですw。.odg1967 .@adamtakahashi

2010-03-10 11:40:53
@odg1967

@contractio ご質問の多さに対し、ぼくの応答意欲が圧倒的に乏しいので、どうかご勘弁下さい。

2010-03-10 11:45:14
縮限 @contractio

.@odg1967 質問二つしかしてないけどいいです。

2010-03-10 11:46:27
縮限 @contractio

.@odg1967 まぁ、おおむね似たような疑問を、先日紹介していただいた合理性論争論文についても感じたので、そのうちそちらに即してでもまた。

2010-03-10 11:47:40
縮限 @contractio

.@odg1967 いや、しかし、少なくとも──質問の前者──「理論」と「方法」についてくらいは答えてくれてもバチはあたらんのでは? もちろん無理強いはしませんが。

2010-03-10 11:51:30
@odg1967

@contractio たとえば丸山眞男の本業(江戸と明治の政治思想史)と方法論の関係。後者は事後的な回想なので両者の間にはズレがあって、後者に従えば必ず前者が出てくるわけではない。後者からわかるのは丸山の問題意識のごく一側面だけ。そもそも方法だけを抜き出すことが無理な相談。

2010-03-10 17:45:27
@odg1967

@contractio 思想史家自身が方法論と呼んで提示しているのは自分の問題意識のごく一部を不十分なかたちで切り取った疑似方法論。疑似方法論は思想史家の仕事の特徴を掴む上で有益な場合もあるが、どうしても不十分なものになる。――こんなところでしょうか。

2010-03-10 17:48:15
縮限 @contractio

よかった…単一の理論として押しつけられる迷惑な方法論なんてなかったんだ。 RT .@odg1967: @*** 思想史家自身が方法論と呼んで提示しているのは自分の問題意識のごく一部を不十分なかたちで切り取った疑似方法論。***

2010-03-10 17:56:42
縮限 @contractio

@odg1967 返答ありがとうございました。

2010-03-10 17:56:51
Adam Takahashi @adamtakahashi

問題となっていたのは、①intellectual history とは何か?②哲学と哲学史の関係とは何か?それを超えて③ history とは何か?と、おそらくこの(計り知れないほど大きな・・・)三つが問題になって、かつ錯綜した形でやり取りが成されていたと思います。

2010-03-10 21:03:57
Adam Takahashi @adamtakahashi

自分としては、③の大きな問題の前に、①と②に一応限定して、話をしたつもりでした。端的に自分の主張を繰り返すと、近代以前の哲学・科学者の残したテキスト・史料を「我らが同時代人」という観点で読むのではなくて、その同時代の歴史的コンテキストのなかで解明しよう、という穏当なものです。

2010-03-10 21:08:28
Adam Takahashi @adamtakahashi

それを言うために、具体例が挙げられないで議論がなされていたので、『思想史とは何か』という翻訳もあるクエンティン・スキナーに言及しつつ、「我らが同時代人」としてホッブズを読むのではなくて、あくまで当時のコンテキストの中で読むことが前提として重要だ、ということを確認したつもりです。

2010-03-10 21:10:42
Adam Takahashi @adamtakahashi

逆に言うと、スキナーに言及したのは、同時代の歴史的コンテキストの重要さを強調するためだけであって、彼の「方法論」を金科玉条のごとく守りましょうとか、そういうことを意図して述べたのではありません。その点については、何度かコメントを頂いたので、再度ここで念を押しておきたいと思います。

2010-03-10 21:12:19
Adam Takahashi @adamtakahashi

テキストをコンテキストの中で読むというのは歴史学の人から見れば言うまでもなく当たり前だと思われるかもしれないですが、哲学の場合だと、例えばドゥルーズが言及しているからスピノザを読む、とか現代の形而上学的観点から中世の唯名論を読みなおすとか、そういうのもありふれているし、それは

2010-03-10 21:15:06
Adam Takahashi @adamtakahashi

それで結果的に面白ければ良いと思うので、「我らが同時代人」的な観点から古典的なテキストを読み直すこと、それ自体を否定する気も、私にはありません。ただ、その現代的な読みを優先するものとは違って、intellectual history というものが他方ではあって、そこでは単に現代的

2010-03-10 21:16:35
Adam Takahashi @adamtakahashi

観点から見たら、疑似科学と思われるものとか、理論的に甘いと思われるものとかも含めて、どうして、思想的なテキストが数ある歴史的可能性の中から、そのように生まれてきたのかをコンテキストに沿って解明するという学問もあります、と。

2010-03-10 21:19:23
Adam Takahashi @adamtakahashi

BH 的に言うと「個々の文学や芸術作品などの背景にひそむ文化的・知的コスモスを探る作業」ということです。

2010-03-10 21:20:38
Adam Takahashi @adamtakahashi

ここまでは自分でも予想していたことですし、特別に何かの「方法」が云々ということを声高に主張しているつもりもなかったのですが、歴史学の O さんのコメントをお聞きするうちに、氏が考えている「方法」や「理論」というものでイメージしているものが、私が意図しているものとは違うのではないか

2010-03-10 21:24:50
Adam Takahashi @adamtakahashi

と思い始めました。というのも、ご本人は「史料中心の歴史学の手法」が大事だという当然のことを伝えたいだけだと思うのですが、それに付け加える形で「歴史研究者が原始的で職人的な心性に基いて研究するのは相当自明」とか「理論化の作業」が別にある、と仰っている。

2010-03-10 21:27:55
Adam Takahashi @adamtakahashi

「理論化」ということで何を仰っているのか?または「原始的で職人的」であるというのは、何をもって「自明」なのか?それぞれが全く自明ではないからです。

2010-03-10 21:29:55
Adam Takahashi @adamtakahashi

まず、「理論化」の方ですが、(史料批判という歴史学の「方法」の重要性は踏まえるとして)例えば歴史学でも初期のアナール派は社会学・人類学から影響を受けたとか、60年代は言語行為論から、その後は・・・みたいに外付けのグランド・セオリーを受容して歴史学が活性化したものがあると思う。

2010-03-10 21:33:06
Adam Takahashi @adamtakahashi

で、そういうグランド・セオリーが重要とか、もしくは「職人的」な歴史記述とは別にある「理論」なるものを導出しようとか(もしくはそれを踏まえて歴史を書こうとか)、そういうことを、少なくとも僕は主張しているわけではないのです。たとえば、ということで、昨日も少し上げましたが、

2010-03-10 21:35:42
Adam Takahashi @adamtakahashi

American Historical Review の書評欄には、毎号「特集」の次に「理論と方法」という特別な枠が設置してあって、そこで幾つかの本が書評されていると思うのですが、ではそこであげられている本が何かグランドセオリーや「職人的」な歴史記述を超えた「理論」なるものを提起

2010-03-10 21:38:02
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