■2014年8月25日発売「短歌」2014年9月号
連載 表現との格闘(12)馬場あき子
現代短歌の主流は 聞き手 穂村 弘
サド特集のユリイカ目当てで行った本屋で角川短歌9月号をたまたま立ち読みしたら、馬場さんと穂村さんの対談で馬場さんが僕の歌を大森さん光森さんと並べて「人間が前に出ていない、アイディア先行」と叱っているのを今更ながら発見し、いたたまれない気持ちになる。
2014-09-05 14:30:57僕はアイディア先行で歌を作るのが嫌いで、受賞作の中でも「訃報」の歌とか喪服ではしゃいでる歌とか「喪」の字に目がある歌とかは自分で好きじゃない、というか、こういう歌も入れないと賞はとれないよな、という打算から自己の信念に反して削らなかったので、褒められても叩かれてもしこりが残る。
2014-09-05 14:34:01ただアイディア先行の歌が嫌いなのとはまた別に、人間が前に出ていないというときあたかも自明の概念みたいに出てくる「人間」ってそもそも何なんだとか、それはあなた自身のことよ、なんて言われたって自分で自分が何者かなんてわかるはずないじゃないかとか、そういう気持ちもあるわけで。うじうじ。
2014-09-05 14:36:17どうでもいい日常の些事に目を向けた歌を「すぐれた発見」と褒める批評の常套句も不快なら、作者でも作中主体でもカッコ付きの「私」でもいいけど人間とかいう得体の知れない怪物を、まるでシャーペンの芯か何かのように簡単に前に出したり後ろにひっこめたりできるという前時代的な思い込みも不快だ。
2014-09-05 14:42:07■2014年「塔」2014年10月号
今、「人間」を差し出す苦しさ/大森 静佳
■2014年10月29日「しんぶん赤旗」
「人間」をめぐる問題/阿木津英
■2014年11月25日発売「短歌」2014年12月号
短歌時評 物語と人間 /黒瀬珂瀾
短歌って多かれ少なかれ作者が多かれ少なかれ己の人格を賭してやる表現なのだと理解しているのだけれど(〈私〉からは逃れえない)、それを評するときに人格批評を避けることがどの程度可能なのか、あるいはそうすることが果たしてどの程度誠実なのかというのにはすごく興味がある。
2014-12-05 12:59:00なんだろうな、魚料理を食べて感想を言うのに、素材としての魚の質には言及してはいけません! みたいな、そういう感じなんだろうか。
2014-12-05 13:00:14僕は(短歌に限らず)人格を賭して何かを表現している人間がその人格を評価の下に晒されるのは当然じゃないかというか、そうじゃないと作者と読者の間の関係性が等価にならないのじゃないかと思っている。その状況が健全かどうかはともかく。
2014-12-05 13:05:24人間人間というが「人間」を歌の前面に出せば常に「人間ならざるもの」という外部を作り出し、彼らを排除してしまうという意識が足りないのではないか。現代詩手帖の時評に少し書いたけど、人間が「人間」になる前や「人間」でなくなった後をも包含する歌集として例えば『ひだりききの機械』が読める。
2014-12-20 14:33:23歴史的概念としての「人間」なる虚構はいずれ波打ち際に描かれた顔のように消滅する…だろう…というのは勿論フーコーの『言葉と物』だけれど、そういう紋切り型以外にもドゥルーズの流れでもデリダの流れでもある時期以降、今に至るまで「動物」ということが言われているのも関係あるだろう。
2014-12-20 14:37:51■2015年3月14日発売「現代短歌」2015年4月号
特集 短歌と人間
対談:阿木津英・松村正直
今月の「短歌研究」4月号に短歌時評「ざぶとんを運ぶ時間、あとがきのあとの時間」を寄せています。担当最終回でほっとしています。「現代短歌」4月号の阿木津英さん松村正直さんの対談と多少は関連したトピックかもしれません。合わせてお読みくださいませ。
2015-03-23 16:00:52昨今の馬場さん穂村さん対談にしても、阿木津さん松村さん対談にしても、要するに、所謂「上の世代」が若手の短歌作品を批判する要因は、ただ一つ。文語口語とか上手い下手とか関係なくて、単純に「あんた、なんで短歌やってるの、他のじゃダメなの」かが見えないから、その一点でしょう。
2015-03-25 16:46:03短歌やってる根拠、なんてもん出せてる作家なんて、まあほとんどいないと思うけど。文学史上にも。
2015-03-25 16:56:53「現代短歌」4月号の松村さんと阿木津さんの座談会、おもしろい。〈作者像が浮かぶと言った時の「作者像」も、どのレベルを指して言っているのかわからないことが多い。〉という指摘は、若者たちがこぞって「作中主体」という用語を使うのと無関係ではないはず。
2015-03-27 14:54:29「現代短歌」4月号の阿木津英さんと松村正直さんの対談「短歌と人間」を読んでいるのだけれど、原本を読んでいないから阿木津さんの憤りの質感を今ひとつ把握しかねていて、春のうちに近代文学館に結社誌見に行かねば、と思っている。
2015-04-08 12:56:05『現代短歌』4月号の松村さんと阿木津英さんの対談がすごく面白かった一方で、すごく絶望的な気分になった。自作への批評が自作を通過して自分の生身に及んだり、自作という皿に自分を差し出すのって極めて野暮な現象だと思うんだけど、その野暮さが阿木津さんが本気でわかってない感じが。
2015-06-17 22:47:03①言葉を共有できない絶望ののちに、なぜ絶句することなく作品を言語化し続けるのか。(作者の磁場化ではないか) ②作者の発した言葉は必ずしも全てが作者の言葉であるわけではないのではないか。(作品への無意識の介入を暗に否定しているのではないか)
2015-07-03 22:34:21