ヘイトスピーチ規制と表現の自由について(借金玉氏・ystk氏・青識亜論)

ヘイトスピーチと表現の自由を巡る議論のまとめです。
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借金玉 @syakkin_dama

まぁ、それはそうだろうなぁと思ってた。

2016-02-21 00:50:41
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

むしろ、刑法175条を合憲としながら、論理的整合性を保ちつつ表現規制反対論を展開できるのか、というところに疑問がありますね。

2016-02-21 00:51:46
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue ええ、青識さんの立場はある程度理解しているつもりですし、そう仰るのはわかります。ただ論理構成の問題として、「個人の権利侵害」基準を立てれば概ね排斥できるわいせつ等の規制と、同基準を前提としてもその当てはめにおいて意見の対立が大きいHS規制は

2016-02-21 01:02:56
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue 問題状況が異なりますし、そうすると「個人の権利侵害」基準の有用性は(少なくとも量の概念を導入しない限り)限定的なのではという指摘をしたかったわけです。

2016-02-21 01:04:19
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

@lawkus 政治的デモについて、その主張内容が不愉快であるということを「個人の権利侵害」として量的な(つまり功利主義的な)裁定の対象としてしまうと、マスメディアに表出しない少数意見を主張する場というデモの役割を否定してしまうように思います。

2016-02-21 01:06:41
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

@lawkus それは、マイノリティの権利を擁護するHS規制派の論理と整合的であるとは思えません。例えば、国旗や天皇制などを否定するデモや、同性愛などのマイノリティの権利を擁護するデモが、仮に「多数者の不快感」を生むとして、それはそのことを理由に規制されるべきでしょうか。

2016-02-21 01:08:22
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue あ、量的というのは言い方が紛らわしかったかもしれませんが、功利主義的な社会全体の利益を考慮に入れる意味ではなくて、被侵害利益の重みとか侵害の程度とかの話です。

2016-02-21 01:16:32
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue まず結論的にはノーです。そして、さっきから微妙にこの点だけ話が通じていない気がするのですが、そこは侵害される利益の要保護性がどれだけあるかという規範的議論であって、感情だから一律に同じということにはならないという話をずっとしているつもりです。

2016-02-21 01:22:10
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

@lawkus 「要保護性がどれだけあるかという規範的議論」は、基本的に多数者の同意をどれだけ取り付けられるかというパワーゲームだと思うのですが、表現の自由をそういうパワーゲームの景品に供して良いのか? というところが私の疑問点です。

2016-02-21 01:25:19
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue 極端に単純化すると、 青識「感情だから保護すべきでない」 俺「いや感情でも現に保護されてる場合があるし保護されるべき場合もあり得るでしょ」 青識「では感情全てを保護しろというのか」 という図式の議論になってしまっているように思います。

2016-02-21 01:24:25
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue で、HS規制を個人法益の観点から見ると、民族的マイノリティの民族的アイデンティティという主観的利益が、それに対する差別煽動的表現という態様の侵害からの保護に値するかという問題ですよね。それとは別に国家・社会法益の側面も考えられますが措くとして。

2016-02-21 01:30:10
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue これは違うと思いますよ。規範的議論そのものはパワーゲームじゃないですよね。現実に通用する規範がどう決まるかという意味では(民主主義国家ですし)パワーゲームですが、理論的には次元の異なる話ですよね。

2016-02-21 01:33:19
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

@lawkus 理論的には様々なスキームが考えられると思いますが……リベラリズム、功利主義、コミュニタリアニズム、あるいは素朴なナショナリズム、それぞれで異なる結論になると思いますが、どれが説得的であるかは結果としてパワーゲームにならざるを得ないのでは?

2016-02-21 01:37:32
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue で、この問題に対し、保護法益と被制約利益それぞれの重み付け、侵害の程度の認識など様々なので結論は異なり得ます。例えば規制反対論から「人種差別言説だからこそ政治性が強いから要保護性が高い」という議論すらあり得る。

2016-02-21 01:37:48
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

@lawkus そうですね。実際、ポルノに関する議論でも、マッキノンの「ポルノは政治的である」という言説に対して、ストロッセンは「政治的だからこそ保護されるべきである」と応じていますから、そうした逆説はあり得る話です。

2016-02-21 01:39:38
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue 結論はいずれにしても、この場合個人の利益をめぐる議論になってること自体は間違いないので、「個人の利益侵害が必要だ」という基準そのものは答えにならないという、それだけの話ですよ。元々俺が指摘した基準の有用性云々は。例えば、ホームベースの上を通った

2016-02-21 01:40:14
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue 投球がストライクであることを前提に特定の投球がホームベース上を通過したかが争いになっているとき「ホームベースの上を通過した投球がストライクだ」と言い立てても意味がないように。

2016-02-21 01:42:45
青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 @BlauerSeelowe

@lawkus それを「個人の利益侵害」としてHS規制派が認めるか、ということをテストすることは、依然として有効だと思いますが、.

2016-02-21 01:42:00
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue ええ、その意味では依然有用です。ただその基準自体は前提としつつそれを充たすか否かの争いになると、おそらく究極的には双方決定的な論理的根拠はないので、仰る表現ならパワーゲームになるだろうと思いますね。それが、最初の方に俺が述べた社会通念の可変性の話

2016-02-21 01:48:49
ystk @lawkus

@dokuninjin_blue 承前)でもありますし、プライバシーとかセクハラパワハラとかも、もっといえば表現の自由もそういうパワーゲームの中で生成発展してきたわけで、俺はなぜ青識さんがそういうパワーゲームを否定しなければならないのか掴みかねています。

2016-02-21 01:51:31
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