渡邊芳之先生ynabe39の「昔は「貧乏な家に生まれても教育を受ければ貧乏から抜け出せる」というのが「環境論」だったのが「貧乏な環境に生まれたら教育も受けられない」のが「環境論」になってしまった。」
@ynabe39 大塚英志は80年代からそうシフトしたと主張してました。それを実践してヒットさせたのが「魍魎戦記MADARA」です。
2016-02-22 22:00:03努力することにみんなが疲れてるのかもしれませんね。「さんざん努力してもうまくいかないし、環境も変わらない。努力の価値を信じられない」みたいな RT @muhonnocream そのままの自分を認めて欲しいといふ欲求が根底にはあるのでせうね。
2016-02-22 22:01:38@ynabe39 私は学生時代に熱心な大塚英志の読者だったんで、彼がデビュー当時から何度もはっきり口にして批評を書いてることは保証しますよ。80年代の初期の批評にそのものずばり、努力から血統へという指摘何度もあります。
2016-02-22 22:06:55@ynabe39 そうした「努力から血統」「世界観だけが先走る消費構図」という大塚英志の屁理屈は89年に「物語消費論」としてまとめられ、2000年に東浩紀が「動物化するポストモダン」で再度スポットを当てましたね。この間に仰る大震災があり、感覚が一定共有されたのかなと。
2016-02-22 22:24:52@ynabe39 「ハリウッド映画の傾向」に関しても、数年前に町山智弘氏が批評してましたね。作中にトレーニングシーンのある作品が減ってきて、逆に「突然神の力が宿る」みたいな設定が増えてきてる。日本でもアメリカでも、「努力で目的が達成される」ことのリアリティが日常から消えてるのか。
2016-02-22 22:50:31@ozapro18 @ynabe39 【φ(‥)メモ】 大学受験の50年史 tmaita77.blogspot.jp/2016/01/50.html
2016-02-23 08:41:00そういう意味では1962年生まれの自分にとっては1965年頃から1990年頃までの世界が「物心ついてからずっとそうだった世界」「ずっと変わらない世界」だったのだ。それが自分が30歳になるくらいの頃からあれよあれよという間に変わっていった。
2016-02-23 08:43:48じっさい1990年に28歳だった自分にとって1970年というのは「ものすごく昔」だった。しかしいま53歳の自分にとって1995年は「ついこの間」である。
2016-02-23 08:46:2730年前の社会の授業で、既に貧乏の悪循環と言う図式で説明を受けた事がありますよ。貧乏な家庭に生まれたら、悪循環により貧乏は遺伝する、と言う話。昔からそうだったと思いますけど。 twitter.com/ynabe39/status…
2016-02-23 08:53:50まさにこれ。昔は「貧乏な家に生まれても教育を受ければ貧乏から抜け出せる」というのが「環境論」だったのが「貧乏な環境に生まれたら教育も受けられない」のが「環境論」になってしまった。
2016-02-22 21:33:49@ynabe39 わたしがちょうど小学校に上がる頃にバブルがはじけたんですけど、露骨に景気が悪くなったのは90年代後半です。長崎は造船の町だったから、造船会社の倒産が相次いだのは私が高校生の頃です。その上愚弟が勉強しないし、父が働く会社も青色吐息でした。国
2016-02-23 08:59:09全学の卒業式はそうです。席がありません。声さえもかからないですね。学部学科に移動して行われる式の方には、席に余裕があるためか、いちおう声がかかりますね。 twitter.com/ynabe39/status…
2016-02-23 09:02:51@ynabe39 アラサーですが20年前はついこの間という感じがしますし、その前の20年とはずいぶん感覚が違うんだろうなとも思います。
2016-02-23 09:04:35そういう循環を「悪循環であり、変えられるもの、変えるべきもの」「環境なのだから変えられるはず」と捉えたか「変わらない前提」と捉えるかもこの30年で大きく変わった。現状の環境が「前提」にしかならないなら環境を考えることに夢はないよね。
2016-02-23 09:16:13「現場の問題の認識」が「現状が悪いから変えるべき」にではなく「現状がそうなんだからしかたない」につながるのがデフォルトになったのも大きな変化。だから現場の問題点を客観的に述べるだけでも「それを肯定している」と勘違いされるようになった。
2016-02-23 09:24:20