「今、電気が必要かな?」と声をかけること、子どもに自分で考えるように促すこと★続編★
実は「今電気必要」の話題のとき、ちょうどその数日前に「その鋏使わないよね?」って言ったばかりだったんで、多大にどきーーーーーーーーっとしたんだが、よく考えたらそこに至る過程違うし、当該児童は「使うかもー」と言いやがったので「そんとき出せば?」「そうだねー」ってやりとりだったしw
2016-02-28 11:09:17ちなみに「使うの?」って聞いたのは、ほんとに使うつもりだったら悪いなって思ったからです。「使わないだろ」って決めつけられなくて。その子、たまに、ほんとにこちらが想像しない意図で謎行動取るから。
2016-02-28 11:19:49前にも、何だかよくわからんことを授業中にしていたので、素で「え?何してるの?」って聞いたら、素で「こうだからこうしてる」って返ってきて、それが、へえ、なるほどねえ、と思うようなことだったっていうのが何度かあってな。
2016-02-28 11:21:52えっと、「今はそれはしまいます」「使わないならしまいます」「使い終わったらしまいます」みたいな声かけをほぼ毎日しているので、その延長線上にあるやりとりなのです。「なんか…鋏出てるよー!?w」「ほんとだー!w」ってバージョンもありますw
2016-02-28 11:31:43「何やってるの!」は典型的な「考えさせない疑問形叱責」だけど、とりあえず止めさせたいのにぱっと言葉が出てこなかった若い頃はちょくちょく口から出てたな。「降ります」「歩きます」「跳びません」て、開口一番出てくるようになるのに、けっこう時間かかった。
2016-02-28 11:36:08違うな。「使わないよね」と「使うの」は違うね。「使わないんじゃないか」というこちらの考えを含んでるね。でも、何か決めつけることに忌避感がある。「使わないでしょ!」って言われるのが嫌だったからかな? どっちみち相手によるけど。 twitter.com/yutaro_today/s…
2016-02-28 11:43:44「今は遊ぶ時間かな?」「違いまーす」「何をする時間だっけ?」「掃除でーす」みたいなやり取りはあるよね。 でもこれだって「自分で考えて欲しい」とかそういう狙いではないと思う。 掃除して欲しいだけ。
2016-02-28 11:29:10誘導が一律で全部駄目というわけではなく、誘導しているのにその自覚もなしに「考えてもらうための一手間」と思ってるところがマズイ。
2016-02-28 11:32:31自分が今電気を要らないと思ってるけど「逆のことを思ってる人もいるかもしれない」から出てくる「今電気要るかな?」なら、ストレートな問答に慣れてる人やそれが許される関係なら「私は要る」と返答できるので問題なかったろう。→
2016-02-28 11:47:51暖かい日に着込んでる子がいたら「暑くないの?」って聞くのは嫌味でもなんでもない。「うん、暑くない」って答えてもいいし、言われて「……暑い!w」って気付く子もいるし。問いかけて考えさせることの全てが不適切だっていう話ではないと思う。
2016-02-28 13:01:59自分の中に答えを用意しておいて質問して、子どもの答えが用意したものと違うと怒り出す、っていう大人が多いんだよね。それを繰り返されると、子どもは「考える」ようになるのではなく、「考えないように」なる。そこだよなあ、と。
2016-02-28 13:06:22まあ、あまり適切じゃないとしても、よく聞く表現をまるっと借りて叱ったとする。疑問形とか。そこまではまだ、悲劇じゃない。それに対して子どもが予想外の反応したときに、「お、おう」って飲み込んで、「この子にはこの表現はわかりにくかった」と気付いて大人の方が修正できるといいんだよね。
2016-02-28 13:11:01子どもに伝わらない指導の仕方や、子どもが傷つく指導の仕方をしちゃったとき、分かっていない子や傷ついている子を目の前にして、「考えが足りない」「弱い子だ」と子どものせいにしちゃいけないよ。指導を改めるべきなんだよ。それから、なぜそれが腹立たしいのか、自分と向き合う必要もあるんだよ。
2016-02-28 13:27:10「それじゃあ明日も、笑って-?」『いいともー!!』 みたいに、お互い答えが分かってる前提で勢いをつけるためにおこなう「掛け合い」もありますし。 場合によるんですよ本当に…(^_^;)
2016-02-28 13:16:49特に学校で照明をつける、つけないの基準は割と明確で、時にはルールとして明文化されてるくらいに自由度が低いものなので「それをいちいち"考える力"のために一手間かけて聞くか?」っていう違和感は残り続けるけどね。
2016-02-28 13:35:16疑問形で子どもに答えを導く方法が合う子は確かに存在するのだよね。たとえそれが質問者が誘導したいためであっても。支援級で担任がよくこの方法を使っていて、それに喜んで答えて褒めてもらうことでルールやマナーを学ぶ子どもはいた。(中学生)息子は疑問形でこられると固まるか全否定→
2016-02-28 14:55:35→担任二年目には「馬鹿にされてる」と自己否定しだして大変だった(のちそれが怒りに変換して事故肯定感を取り戻したけど)。同じ発達障害児でも一人一人違う。この担任は長く知的障害の子どもたちを担任していたのでその方法でうまく行く結果をたくさん見てきたからだと思う。疑問形が好きな子は→
2016-02-28 14:58:32→軽度の知的な障害を持つ子だった。(たぶんわかりやすいのだと思う、自分で考えることもできるし、簡単なクイズみたいな感じなのかな?)でも全員じゃないと思う。その子その子にあった方法で導かないと、子どもの心はすぐ崩れる。教育者にはこの個々の違いにもっともっと注目してほしいと思う。
2016-02-28 15:01:36知的障害のあるうちの子と、住宅街を歩く。小さい頃、「道の端を歩く」を徹底して、今は習慣づいている。さて、車が来たときどうするか。道幅があるなら、そのまま歩いていても大丈夫。でも、すごく狭い道だったら、壁にはりついたり、よそんちの門先やガレージにちょっと上がらせてもらって→
2016-02-28 15:50:01→車に通ってもらったほうが安全。「習慣」だけでは済まない、その場その場に応じた、「考え、判断する」要素が入ってくる。 ワタシにとって、「自分で考え、判断させる」ということは、とても重くて、大事なことなのだ。
2016-02-28 15:56:24→「車が来たよ。さあどうする?」と子どもに問いかけ、「道の端に寄ります」と返ってくる。それは第一段階。「そこの門先にちょっと入れてもらう」「さっきの道幅の広いところまで戻る」etc……..。習慣から、「考える、判断する」へのステップアップ。
2016-02-28 16:03:38