南三陸町戸倉の資料修復状況報告:2016年3月

2011年7月から開始した津波被災資料(南三陸町の三浦さんよりお預かり)の修復作業について、2016年3月時点での進捗をご報告致します。 思い起こせば、事績調査のために青森の八甲田山麓へ行き、修復依頼のために京都と関東と現地の南三陸町を何度か往復した5年間でした。
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

お預かりした資料の束は、本当に奇跡的に残ったとしか言い様がない。まず津波を被ってしまったが、幸い海に流出はしなかった。ご家族が避難所にいる間に、事情を知らないボランティアが生活廃材として捨てそうになってしまっていた物もあった。そして、ツイッターで三浦さんと自分が知り合った事。

2016-03-13 11:38:36
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

歴史を振り返る作業は、たしかに災害は起きたし戦争はあったし、で辛い事ばかり。(災害の直後はなおさらそう思う。)それでも、今を生きねばならないし、落ち着いた時の回顧のためにこの資料が役立てれば良いのでは。 そんな話を先日、東京に出ている若い世代の三浦さんと餃子を食べながら、語った。

2016-03-13 11:42:46

おわりに

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今回の修復で作業をして頂いた(株)大入さんへのお支払額は、ご寄付と自己資金も含めて¥399,600でした。どうもありがとうございました まだまだ作業は続きます。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。折に触れ、またご報告いたします pic.twitter.com/VwTTEz4Q9Z

2016-03-13 11:57:56
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このまとめでは、ツイッターの制限字数上、一々のお名前の敬称を略しました。ご了承ください。