はじめに
今回、青森市の資料館を訪れた理由は、南三陸町でレスキューした津波被災資料の中に八甲田山雪中行軍で遭難死した方の葬儀記録があったことでした。この事件に巻き込まれた方の当時の記録がないものか、確認と墓参を兼ねて訪問しました。関連するまとめは、以下の2つです。ご参照いただければ幸いです。
「南三陸町戸倉の資料の修復記」
「津波被災史料の修復について(中間報告)」
八甲田山雪中行軍遭難資料館を訪問
昨日、八甲田山雪中行軍遭難資料館に行った理由は、南三陸町(戸倉村)出身の三浦十吉上等兵に関する情報を調べるため。11年の津波で被災した史料の中に、三浦上等兵の葬儀記録や陸軍関係の遺品があったことがご縁。詳しくは togetter.com/li/801609 をご参照いただければ。
2015-09-16 06:47:59資料館では、遭難事件に関する歴史方面の先行研究をサーベイすることが目的で、それは十分だったが、三浦上等兵の遭難地を確定することはできなかった。当時の救援記録には、生存者と士官クラスの発見場所しか残されておらず、兵卒一人一人の情報はなかった。追加調査が必要。
2015-09-16 07:27:40資料館内には、資料・写真の残っている限り、行軍参加者の顔写真展示がありました。三浦上等兵の写真もありましたが、軍装ではなく和服姿だったので、遺族から後日提供されたものだろうと想像。後で、三浦さんにお聞きしようと思います。(写真現物は津波で流されてしまった可能性もあるかな。。。)
2015-09-16 08:54:17旧陸軍墓地の様子
三浦上等兵の墓標はこの中にあった。あらかじめ、館長さんから位置を教えてもらっていたのですぐに分かった。 p.twipple.jp/9209g
2015-09-16 07:12:30敷地の中には幾つかの慰霊碑や仏像などが建立されていた。この安置堂もその一つ。中には仏像の他に、遭難した210名の姿を模した木像も安置されている。 p.twipple.jp/gFCwc
2015-09-16 07:42:41堂の前に置かれた狛犬は、救援に参加したアイヌ犬2頭を象ったものと説明書きがあった。 p.twipple.jp/6ECMq
2015-09-16 07:44:31堂内の左右に、こんな感じで210名の木像がずらりと。三浦上等兵の像はどこかな、と目で追ったら、一番最初に目に入った像がまさに三浦上等兵のものだった。運が良かった。 p.twipple.jp/VDJ1a
2015-09-16 07:46:44三浦上等兵の木造はこんな感じ。文字がかすれた木像も結構あったし、隠れて見えない木像もあったので、探し当てられて良かった。木像は想像で彫られているものと思うが。 p.twipple.jp/Bq1oB
2015-09-16 07:48:23墓地を裏手から。この後、陽が落ちる前に、生存者・後藤伍長の発見された場所に建てられている銅像を見に行くことにした。この墓地から山道を登ること12kmほど。 p.twipple.jp/1GOQR
2015-09-16 07:58:14後藤伍長の銅像を目指して
12kmの山道を車で15分ほど走って着いたのがこの場所。現在は公園化され、土産物屋などもある。酸ヶ湯温泉へ行く途中。ここに来るまでの道を第五連隊は4日間も彷徨し力尽きたことを思うと、15分で易々と来たことには本当に申し訳ない。。。 p.twipple.jp/gRMNn
2015-09-16 08:05:21反対側を見ると八甲田連峰。この付近は今でこそ雑木が鬱蒼と繁っているが、遭難事件当時は付近の村が薪炭のために伐採して禿げ山だったとのこと。それでなおさら、風雪から身を守る場所が無かったらしい。 p.twipple.jp/3j9GP
2015-09-16 08:08:13