集団的自衛権の基礎の基礎―平和を考えるすべての人へ―

集団的自衛権の基礎中の基礎を解説します。右も左も保守もリベラルもない、すべての人に共有可能な議論です。これを理解しないうちに、集団的自衛権は語れないと思います。どうして国際社会で集団的自衛権は必要と考えられてるのか。日本の常識と世界の常識のずれとは?日本の未来のために、読んでほしいです。
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平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

国際社会から個別的・集団的自衛権がなくなるとすれば、それは各国の自衛の要請を常にきちんと把握し、不偏不党な形で機能する国際軍、つまり国内社会と同じ上位機関が国際社会に登場した時だ。そうじゃないと、不正から身を守り、不正を除去する手段を国家は失ってしまうよ。

2016-05-02 22:01:08
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

国際社会と国内社会では規模が桁違いだという人がいる。もちろん正しいよ。だから濫用がひとたび起これば桁違いの不幸が生まれるというのも正しいね。でも、それは裏を返せば、不正を犯す国から身を守る十分な手段がないまま攻撃をされれば、桁違いの不幸が生まれることも意味するのを忘れてはだめだ。

2016-05-02 22:01:55
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

国際社会は誰も不正を犯さないユートピア・理想郷ではないんだ。だから、濫用の問題は残るけど、不正から身を守る十分な手段を国家が持っておかなければ、ルールを破って不正を犯した者が得をし、ルールを守って正しいことをする者が不幸となる社会になる。しかもその不幸は桁違いになってしまう。

2016-05-02 22:02:52
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

こうした法律学的な基礎のもとに、国際社会において個別的・集団的自衛権はその存在を多くの国・学者によって肯定され、現在まで継続して国連憲章に規定があるんだ。でも、これって本当に正しいんだろうか。集団的自衛権って、本当に認められてしかるべきものなの?国際社会が誤ってる可能性はないの?

2016-05-02 22:03:18

(2)集団的自衛権の哲学的基礎

集団的自衛権は法律学だけじゃなくて、哲学にも基礎を置いている。それが功利主義だよ。

平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

(2)集団的自衛権の哲学的基礎 こういう正・不正を考えるのは哲学の役割だ。先の利点が集団的自衛権の制度にあること自体は疑いようがない。でもそれによって失われるものが大きすぎれば?それは不正な制度になるよね。いい面と悪い面を両方持ってるものの正・不正の判断は、功利主義の役割だ。

2016-05-02 22:03:54
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

功利主義とは、ある特定の制度・行動が社会に「もたらす幸福・減らす不幸」のほうが、制度・行動が「減らす幸福・もたらす不幸」よりも大きれば、その制度や行動は正しいものと評価する考え方をいうよ。個人が自己の利益を最大限に高めようとする個人的功利主義はロールズなどによって批判されるね。

2016-05-02 22:04:22
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

でも、先に説明した法理論の正当性を支えるのは、個人的功利主義じゃなくて社会功利主義だ。法律は社会のためのものだからね。社会功利主義は社会の平和・安全という幸福が最大化されることにその主眼を置くから、まずは制度が持つ抑止力が重要となるね。自衛権の「制度」はその意味で重要になる。

2016-05-02 22:04:53
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

また、不正を犯そうとしている者の幸福よりも、不正を犯してない者の幸福のほうが質的に勝る。質の高い幸福を守ることは社会全体の幸福の増加につながり、幸福低下の防止になる。社会において正当に保護される権利を各人が守れるようにしておくことには質の高い幸福を維持するという意味がある。

2016-05-02 22:05:50
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

集団的自衛権があれば必ず被害国が救われるか、というとそうではない。でも、制度としてその「可能性」を残しておくことが抑止力となり、また守ることが可能な場面に遭遇したとき、守られるべき質の高い幸福を守り、不正を除去する可能性を高めるができる。これが集団的自衛権のもたらす幸福だ。

2016-05-02 22:06:56
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

他方で、自力救済の権利を認めると濫用がまかり通ってしまう社会になる不幸を見過ごしてはならない、って反論が当然に考えられる。それは正しいよ。だから、集団的自衛権なんてとんでもない!悪の権利だ!!……とはならないよね。いい面悪い面があるんだから、一律に悪だなんて結論は軽々に出せない。

2016-05-02 22:07:41
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

国際社会は基本的に功利判断を基礎に、集団的自衛権の存在を肯定する。濫用可能性よりも集団的自衛権による幸福を評価し、それを前提に話をすすめるね。ただし、この功利計算が正しいのかどうかは議論の余地が大ありだ。

2016-05-02 22:08:27
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

ということは、集団的自衛権の制度の当否を考えるにあたっては①集団的自衛権によってもたらされる幸福とは具体的に何なのか(抑止力+不正の除去)、②濫用可能性をできる限り減らす、つまり「不幸を最小化する制度」である濫用防止制度がどの程度機能するのか、を確認しないといけない。

2016-05-02 22:09:20

(3)国連憲章における集団的自衛権・濫用防止の制度

国連憲章は集団的自衛権がもたらしてしまう最大の不幸=濫用をどう防止しようとしてるんだろう。

平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

(3)国連憲章における集団的自衛権・濫用防止の制度 国連憲章はまず第2条4項において武力行使を包括的に禁じているね。これは武力行使を用いた自力救済の権利の原則的な否定を意味する。つまり、国際法の制度上は国内社会と同様、力づくの自力救済の「原則」禁止が確立されてるってことだ。

2016-05-02 22:09:53
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

ただし、これも国内社会と同じで、自力救済の権利をすべて否定してしまうことはできない。とくに安保理がすべての場面で正常に機能しないことは国連憲章の制定過程でも想定済み。だから、「例外的に」自衛権(第51条)が認められることになった。

2016-05-02 22:10:39
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

国連憲章第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

2016-05-02 22:11:33
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

51条は「安保理が行動するまでの間」、自衛権を行使できるとしているね。国内社会と同じで、警察の機能を果たす安保理が行動するまで限定で、自衛権(正当防衛権)を行使できるんだ。また、急迫不正の侵害は「武力攻撃の発生」に限定されている。

2016-05-02 22:12:18
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

加えて条文解釈上、他に取る手段がないこと、これ以上の武力攻撃の発生を防止に必要な限りで認められること、被害国の武力攻撃発生の宣言、被害国による援助の要請、という厳格な要件が課せられる。国家が自由になんでもかんでも武力行使に訴えることは「制度設計上」できないことになっているよ。

2016-05-02 22:12:55
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

自力救済はこのように国連憲章の中で極めて限定的な位置づけを与えられている。集団的自衛権の濫用が起これば、各国は自衛権を行使し、また安保理が平和に対する脅威を認定して行動する制度にすることで権利の濫用を抑止し、かつ実際に起こった場合も濫用により発生した不正を除去することになる。

2016-05-02 22:13:49
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

集団的自衛権はアメリカが自分の都合のいいように挿入したもので、意味がないという人がいるけど、それは誤りだね。集団的自衛権を主張し続けたのは、力の弱いラテンアメリカの中小国だ。逆に大国のアメリカは安保理によらない武力行使をできるだけ小さくして、安保理の権力を高めようとした側だよ。

2016-05-02 22:14:49
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

ただし、こうした濫用防止の制度設計にも自ずと限界がある。当然、常任理事国は安保理において拒否権を行使できるから、常任理事国がNOといえば、集団的自衛権の恣意的解釈を行った濫用を防止する制度は機能しない。この点で濫用防止の制度の意義はかなり減じられているといえるね。

2016-05-02 22:15:51
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

しかし、だからと言って濫用防止の制度が全く機能していないのか?というとそうではないよ。常任理事国すべてが認めなさそうな集団的自衛権の濫用をすることは、国際社会の強国のほとんどすべてを敵に回すことを意味するからだ。だから安保理は抑止力の全くない存在というのは言い過ぎだよね。

2016-05-02 22:16:51
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

また、厳格な要件にしても、要件の充足を主張するのが明確に不可能な場合には、いかに大国といえども、集団的自衛権の濫用と非難される。特に、被害国の宣言や要請については、存在しないものを存在するということはできないね。ただし、「解釈」の範囲内と主張できる場合には、濫用が起こりうる。

2016-05-02 22:17:50
平和たん【手動休止中】 @heiwa_tan

でも、この濫用は国連憲章の制度に織り込み済みなんだよね。中小国は自分の平和を守るために集団的自衛権込みの制度設計を主張したけど、それは中小国が協力して、あるいは大国に守ってもらう可能性を残して自己の幸福を最大化しようとしたから。そのためなら濫用があっても仕方ない、って考えたんだ。

2016-05-02 22:18:48
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