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エノラ・ゲイ乗組員、セオドア・ヴァン・カーク(Theodore Van Kirk 2014没)の証言。 ・広島に投下された原爆は一度もテストされた事はなかった。 ・今の日本人は良い人々だが、戦時中の日本人は良い人々ではなかった。 youtube.com/watch?v=MDaiQ9…
2016-05-25 15:01:40#オバマ大統領広島訪問記念 【要約】「全く同じ状況下で同じ命令があれば自ら志願して原爆投下に携わっていただろう」と語るエノラ・ゲイ最後の搭乗員ヴァン=カーク航法士の最新インタビュー動画(2010.08.06作成) tkatsumi06j.tumblr.com/post/144899104… #あの日を忘れない
2016-05-25 17:37:57【はじめに】以下は、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ号搭乗員の最後の生存者である故セオドア・ヴァン=カーク(Theodore Van Kirk)航法士に対するRT(ロシア・トゥデイ)の インタビューへの応答を、動画を流しながら意訳したものである。
2016-05-25 18:12:30続き。決して、一語一句が正確なスクリプト翻訳ではなく、正確な英文スクリプトを起こしたのちに和訳したものではない。カーク航法士の語った内容の要約に近いものなので、そのことを承知のうえで読み進んで頂きたい。
2016-05-25 18:13:021. ―搭乗した後はどのような気持ちでしたか。 「何もかもが予定通りだったので気軽だった。あとは投下の瞬間を待つだけだった。投下したときは機体が飛び上がったが無理もなかった。あとは旋回して現場を離脱するだけだった。」
2016-05-25 18:14:232. 「その時一番心配だったのは、この爆弾が本当に機能するかどうかだった。なぜなら、この爆弾は一度もテストされたことのないシロモノだったからだ(実際にテストされたのはプルトニウム爆弾だった)。これを確認するのに45秒かかった。」
2016-05-25 18:15:033. 「激しい閃光がほとばしり、その瞬間爆弾が機能したことを確認したんだ。最後の疑問は、爆発が機体にどんな影響を及ぼすのかということだった。そのすぐ後に、最初の衝撃波に見舞われ、機体が激しく揺さぶられた。」
2016-05-25 18:15:474. 「3.5G位あったかな。戦闘機のパイロットにすれば大したことないかもしれないが、高度3万フィート のB29重爆撃機で感じる衝撃は凄まじいものだったよ。」
2016-05-25 18:16:395. 「衝撃波が収まったことを確認して、われわれは眼下の広島に目をやった。広島市は完全に煙や灰燼に覆われていた。その灰燼の奥がどのようになっているか、視認はできなかったがどれほどの破壊がなされていたのかは感じ取ることができた。」
2016-05-25 18:17:196. ― ニューメキシコで最初の原爆実験が行われたときのことを、マンハッタン計画の責任者であるオッペンハイマー博士はその手記でこう振り返っています。 「ほとんどの人が無言で、涙を流した人はわずかだった」。原爆が起爆したとき、あなたはどのように感じられましたか?
2016-05-25 18:18:107. 「まず、うまく起爆できたことが嬉しかったよ。それが第一だね。 長い戦争だったし、当時は酷いことをしてた日本人に一矢報いることができた。私の隣人は戦争捕虜として囚われていたから私よりもこのことを実感している。「バターンの死の行進」やソロモン諸島での死闘などあったからね。」
2016-05-25 18:19:268. 「合衆国政府の当時の方針は、日本という国家を制圧(subdue)することだった。そのために私にできることがあれば、何でもする覚悟だった。つまり、日本を制圧することは私自身の方針でもあった。 だが、ここでひとこと言わせてもらいたい。」
2016-05-25 18:20:179. 「現代の日本人は、第二次世界大戦でわれわれが戦った日本人とは違う。現代の日本人は、良い人たちだ。私のカリフォルニアの実家では、日本人の学生たちを何年もホームステイさせたこともある。彼らには全く問題はなかった。」
2016-05-25 18:20:5610. 「だが二次大戦中の日本人は、そんなに良い人たちではなかった。当時の日本人については、それだけは言っておきたい。」
2016-05-25 18:21:5811. ― 広島と長崎にこれほどの破壊をもたらしたアメリカ人を、日本の人びとは心から許せるようになると思いますか?
2016-05-25 18:22:2812. 「そんなことはわからないよ。もし私が当時広島や長崎に住んでいたら、私も許さないだろう。彼らは非常な苦しみを味わったからだ。だが、このことを彼らが受け入れるか否かにかかわらず、原爆投下は我々アメリカ人を守ると同時に、彼らも、日本人も守ることに繋がったのだ。」
2016-05-25 18:23:1313. 「もしわれわれが日本に侵攻していたら、日本人の犠牲ははるかに多かっただろう。われわれの側の犠牲もだ。」
2016-05-25 18:24:5014. 「実は、この侵攻作戦に参加した兵士に授与する予定だったパープルハート勲章が未だに実在し、授与されし続けているんだよ。知っていたかい?」
2016-05-25 18:25:1915. 「ひじょうに凄惨な戦争だった。 5000万人が亡くなった大戦争だったんだ。 あの戦争を悪く語る話はいくらで出てくるよ。」
2016-05-25 18:25:4816. ―原爆投下と同じ目的を達成するために、原爆投下を敢えてを避ける選択肢はあったと思いますか?
2016-05-25 18:26:1517. 「選択肢は3つあった。 ひとつは、日本を包囲して兵糧攻めして、日本人を飢え死にさせること。しかし、一日わずか1000カロリーで生活している日本人をどうやって飢え死にさせられるのか。できるわけがない。」
2016-05-25 18:27:0918. 「残りの二つの選択肢は、日本に原爆を投下するか、日本に全面侵攻するかのどちらかだった。 原爆投下なら全体的な犠牲を抑えることができたが、全面侵攻となると――どの兵士に訊いてみても、彼らは原爆を選んだだろう。」
2016-05-25 18:28:0019. 「私が原爆を落としたことを知った私の隣人は、朝6時に私を叩き起こして『あなたがしたことを今日初めて知ったよ。あなたは命の恩人だ!』と言われた。大平洋に展開していた兵士は誰もが、私に『命の恩人だ』と言ってくれるよ。」
2016-05-25 18:29:0320. ― 史上初めての原爆投下となった、あの任務に参加したことを後悔していますか?
2016-05-25 18:29:4221. 「まず投下任務が必要だったことを残念に思うよ。すべての投下任務について後悔はしているよ。ヨーロッパでも沢山爆弾を落として多くの人々(一般人を含む)を犠牲にしてきたからね。 だが、原爆投下任務を後悔しているかといえば、投下する必然に迫られたことは残念に思う。」
2016-05-25 18:30:24