- saisenreiha
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三年後(だけ)を見据えればよいのなら、一年では取り組めない大きな史料に取り組めると思えた。(いまから考えると、日本でも同じようにできたはずだが、そうは考えられなかった)。
2010-03-18 15:01:56結局、博論提出には除籍になる寸前の四年と三ヵ月かかった(僕のいた大学は年限が厳しかった)。成果らしきもの(で日本で発表しても分かってもらえるものだと思えるもの)が出始めたのは三年目だった。
2010-03-18 15:09:08一点だけはっきりさせたいです。「向こう」で研究する道も「こっち」で研究する道も「同じ道」、つまりどちらもOKになればいいんです。その作業を、自らもまたはNPOでもするつもりRT @saisenreiha そうですか!ドイツで評価されて、向こうで研究するという道もありますね。
2010-03-18 15:16:20ともかく、イギリスの博論の「出口」がありがたかったのは、一発逆転がありうることだった。外部審査者にその分野の第一人者を呼んで、その人が高く評価すれば世界が一気に変わる。
2010-03-18 15:16:29北欧史で博論を書いた友人の審査は、スウェーデンかフィンランドから専門家を学科の費用で呼び寄せるかたちで(審査と)口頭試問を行った。
2010-03-18 15:19:53ちなみに、彼はクヌート王King Knut を King Cunt と一箇所綴っていたらしく、試問で指摘され、めっちゃ恥ずかしかったらしい。腹痛いぐらいわらった。
2010-03-18 15:23:33専門家の外部審査者が評価して、推薦状を書くと、結構すいすいと出版が決まる。(もちろん、出来が良くてもなかなか出版にいたらないケースもあるが。)
2010-03-18 15:26:31イギリスでは、ドイツのように必ず博論が「出版」されるわけではないので、逆に博論の価値が出版されるかどうかで測られるところがある。
2010-03-18 15:29:01口頭試問 viva (voce) には、僕の大学ではだが、指導教官は同席を許されるが、発言は完全に許されない。また、同席しなくてよい。僕はお願いして同席してもらった。
2010-03-18 15:32:54日本では指導教官と主査が同一であることがよくあるようだが、どういうわけでそうなのか理解していない。口頭試問は指導教官が暗黙裏に評価される場でもあると思うが。
2010-03-18 15:36:22プライベートにはいろんな人にいっていることだが、西洋史の場合、ある意味で現地の専門雑誌で書く方がやさしい。その意義を日本の西洋史学界にわかってもらえるように、もう少し広い意義付けを与えて、日本の査読誌で書く方がある意味で難しい。これは私の先生に教わったことでもあるが、同意する。
2010-03-18 16:42:12現地の人と同等に史料へアクセスできる環境が中長期間与えられた人にはそうだと思います。文脈の共通認識があれば実証のレベルが問われるだけだから。RT @tricycler: プライベートにはいろんな人にいっていることだが、西洋史の場合、ある意味で現地の専門雑誌で書く方がやさしい。
2010-03-18 17:06:57マイナー領域だと日本語で書く場合、時代状況やら対象やら研究史やらの説明だけで紙幅が尽きます。RT @tricycler: なぜなら、専門的な内容を書くだけで紙数が尽きてしまうのに、
2010-03-18 17:10:48私もイギリスで同じシステムを体験した RT @tricycler 口頭試問 viva (voce) には、僕の大学ではだが、指導教官は同席を許されるが、発言は完全に許されない。また、同席しなくてよい。… 口頭試問は指導教官が暗黙裏に評価される場でもある
2010-03-18 17:19:31一部のひとは、tricyclerさんのおっしゃることを曲解して、現地の研究レベルに達してないものを発表しているような印象がある。
2010-03-18 19:09:56査読誌論文はそれ単体で読まれるものというよりも、ある種のプレゼンツールのようなものだと考えるべきなのかな、と思いつつある。とくに日本語の査読誌は。
2010-03-19 11:28:28読者層によります。歴史学全般/地域/テーマというカテゴリがいろいろあるので。名刺にはなると思っています。RT @tricycler: 査読誌論文はそれ単体で読まれるものというよりも、ある種のプレゼンツールのようなものだと考えるべきなのかな、と思いつつある。
2010-03-19 11:34:09だから多くの読者がいる雑誌にちゃんと掲載しろとよく説教されています。RT @tricycler: 査読誌論文はそれ単体で読まれるものというよりも、ある種のプレゼンツールのようなものだと考えるべきなのかな、と思いつつある。とくに日本語の査読誌は。
2010-03-19 11:35:23事象説明や研究史整理などは紀要とかに纏めて、査読誌論文では「詳しくはそちらを参照」として要点だけ述べて,最もオリジナリティーの立つ部分だけを本論部分で展開し、「はじめに」と「おわりに」で日本の歴史学研究者にアピールする(!)意義付けを述べるといったプレゼンツール。
2010-03-19 11:37:20ただ学位取得のために査読何本とか論文何本とか規定がある場合、それをこなすための論文もありだし、大きな問題を取り扱うための理論的整理のための論文もありだと思っているし、後輩や院生には言っています。RT @tricycler: 査読誌論文はそれ単体で読まれるものというよりも、
2010-03-19 11:38:10語弊がある書き方をしたかもしれません。先ほどの査読誌論文で念頭に置いていたのは、『西洋史学』とか『史学雑誌』とか『歴史学研究』とかメジャー雑誌のことでした。
2010-03-19 11:47:29