視覚 知覚 思考 境界 やがて光

写真でものを「見る」ことはできるのか 『去りにし日々、今ひとたびの幻』から『ウォルトンの写真論』へ @at_akada @sakstyle @conchucame @shinimai @taninen @arata1002 (敬称略・登場順)ほかのtweetsより 「見る」とは?「知覚する」とは? 概念の小旅行記を見ているような気持ちがしました 続きを読む
8
切り取り線 @kiri_tori

✄------------ 2/9(水) ------------✄

2011-02-09 00:00:00
at_akada @at_akada

ボブ・ショウの『去りにし日々、今ひとたびの幻』すばらしかった。スローガラスというガジェットだけの小説だとしてもかまわんと思って読んだがまったく期待以上だった

2011-02-09 20:52:53
at_akada @at_akada

写真でものを「見る」ことはできる のか、という問題がある。目で見ることはできる、メガネで見ることはできる。では写真は? 写真に写ったものを見ることは「カメラごしに」見ることなのか。

2011-02-09 22:51:35
at_akada @at_akada

スローガラスはメガネと写真の中間くらいのものなので、おもしろいなーと思ってたのだが、今回小説を読んできづいたが、スローガラスは「光をゆっくり通す」のではなく、「光を圧力に変換してたくわえる」んだな。すると写真と変わらない気もする

2011-02-09 22:58:15
シノハラユウキ @sakstyle

素朴に考えれば写真「を」見ているのであって、写真「で」見ているわけではないと思うけど。(続く) RT @at_akada: 写真でものを「見る」ことはできる のか、という問題がある。目で見ることはできる、メガネで見ることはできる。では写真は?

2011-02-09 22:58:12
シノハラユウキ @sakstyle

電子顕微鏡とか電波望遠鏡とかのデータをもとに作られた画像を見るとき、その画像「を」見ているというよりは、顕微鏡なり望遠鏡なり「で」対象を見ているというはず。

2011-02-09 23:01:12
at_akada @at_akada

個人的には、因果関係があれば顕微鏡もカメラも「見る」でいいんじゃないか派。たぶんそれだと「見る」の範囲が広くなりすぎるんで、境界画定が難しいが QT: @sakstyle 素朴に考えれば写真「を」見ているのであって、写真「で」見ているわけではないと思うけど。(続く) RT

2011-02-09 23:14:27
森功次/MORI Norihide @conchucame

@at_akada そんなあなたに Kendall Walton (1984) "Transparent Pictures." Critical Inquiry 11: 246-77. あと清塚先生の論文、http://ci.nii.ac.jp/naid/110006952100

2011-02-09 23:20:09
at_akada @at_akada

ありがとうございます。もとはといえば、清塚さんの紹介でウォルトンの写真論を知って、そこから気になってるんですよねー。QT @conchucame at_akada そんなあなたに Kendall Walton (1984) "Transparent Pictures."

2011-02-09 23:22:52
森功次/MORI Norihide @conchucame

@at_akada まぁ僕としては、ウォルトンの写真論は、無理があると考えてます。写真でみるのと、メガネで見るのは、光の因果関係がかなり異なるので。

2011-02-09 23:25:53
at_akada @at_akada

@conchucame うーん、結論がどっちであれ、少なくとも、写真というメディアの重要な側面はそこにあるような気もするんですよね。その辺がこの問題にひかれる理由です。

2011-02-09 23:30:52
シノハラユウキ @sakstyle

もともとの目的の違いで区別できるのではないかと思ったが、それはそれで難しそうだ RT @at_akada: 個人的には、因果関係があれば顕微鏡もカメラも「見る」でいいんじゃないか派。たぶんそれだと「見る」の範囲が広くなりすぎるんで、境界画定が難しいが

2011-02-09 23:28:37
シノハラユウキ @sakstyle

Wikipediaでカメラや写真を見てみた。絵画の延長としての写真と観察の延長としての電子顕微鏡と区別できれば、と思ったのだが、カメラ・写真はその誕生当初から、美術からも科学からも近い距離にあったようだ。カメラ・オブスクラは絵を描くための補助道具としても天体観測にも使われている

2011-02-09 23:31:44
sci-fi blue @scifiblue

@at_akada 「写真」が現在進行形で次々更新されてくのをオンタイムで眺め続けるのなら「写真で見る」が成立するのかなー、などとぼんやり考えてました

2011-02-09 23:28:51
at_akada @at_akada

@scifiblue テレビとか映画はそれに近いメディアですね。リアルタイムな方が「見る」と言いたくなる傾向がつよいようです

2011-02-09 23:31:24
sci-fi blue @scifiblue

@at_akada 「カメラごしに見てる」うちはまだ「写真」になってない状態かなー、とも思いました

2011-02-09 23:31:28
at_akada @at_akada

@scifiblue でもリアルタイムじゃなくても「その絵なら写真で見たことある」って言いそうじゃないですか?

2011-02-09 23:32:23
シノハラユウキ @sakstyle

この言い方は確かにする。クリティカルだ。 RT @at_akada: @scifiblue でもリアルタイムじゃなくても「その絵なら写真で見たことある」って言いそうじゃないですか?

2011-02-09 23:34:51
sci-fi blue @scifiblue

@at_akada ですね、厳密には「絵そのものじゃないけど写真でなら見たことある」なんでしょうね

2011-02-09 23:39:32
sci-fi blue @scifiblue

「ある物の写真」は「ある物」になりうるかどうか、ていう話にかわっていっちゃうなー、けどわたしがすごく惹かれたのは『写真でものを「見る」ことはできるのか』ていうことば http://twitter.com/at_akada/status/35335000987533312

2011-02-09 23:42:31
sci-fi blue @scifiblue

視覚が時空を旅してく

2011-02-09 23:46:13
シノハラユウキ @sakstyle

「その人を写真で見たことがある」というのはありで、「その人を絵で見たことがある」というのはなさそう。しかし、写真のない時代だったら、「絵で見る」というのもあっただろう。

2011-02-09 23:45:28
sci-fi blue @scifiblue

@sakstyle ですなー、ベラスケスのマルガリータなんてどれもお見合い写真のよーなものだし

2011-02-09 23:48:53
1 ・・ 5 次へ