あまり詳しくない俺らがアルジャジーラや報道について話し合ってみた
@ferr_jp エジプトだって最初から最後までハッピーエンドになるとは思われてなかったし、そもそもまだエンドではない。ネットが遮断され報道関係者が追い掛け回された時は最悪の結末だって想像されてた。世界の目があることがどれだけの阻止力になるのかを多くの人が体感したんじゃないかな。
2011-02-12 18:08:55@Seven_Systems 昔はネットも無かったし、報道が最後まで戦えなかった(戦おうとはしていたけど相手が・・・)だったけど、今は違うと思いたい
2011-02-12 18:11:53@Seven_Systems 個人的には公平も夢かなー派なんで、公平という言葉は微妙・・・とりあえずは情報が途切れなくて沢山のソースから判断できることと、そのための大前提として暴力と恐怖で思考能力と知的好奇心を奪われない事かなと思う。
2011-02-12 18:17:19@6elz 世の中の目、つまり何か行動を起こさずとも、インターネットを介して見つめるだけで何か意味がある。これは喜ぶべきことなんでしょうね。
2011-02-12 18:17:24@Seven_Systems それは日本にいるからの概念かもしれない。分野や風習で考え方は変わるし、たとえ多少偏ってようとそれでいいということは多々ある。それに介入するのは余計なお世話、あるいは侵略だと。
2011-02-12 18:23:38http://bit.ly/g21BKs ホリエモンの言い方も日本にいるからの概念であって、パワーバランスで保たれている国力間では通用しない。非常に危機感がない。
2011-02-12 18:24:23@Yuki_Kollet つまり・・・知ることによって、起こらなくてもいい問題が多々起きることもある? そういった問題を回避するためには、あえて偏った世の中でも、安定を維持したほうが良いと
2011-02-12 18:26:44@6elz エジプトはよく知らないのもありますが、観光産業、スエズ運河もありますし、公益の中心としてそれなりに豊かに、国民も繁栄を享受できるんじゃないかというイメージがありますが、中国の場合、民主化に成功したとしても内陸部との格差、環境汚染、水問題を思うと…という感じです。
2011-02-12 18:28:24@Seven_Systems @Yuki_Kollet んーその偏りというのがそもそも見る視点によって違うってことじゃないの?例えばイスラム教は抑圧的だというのも我々から見れば偏りだけど、それは見方の問題であって絶対的なものじゃない。ということ。
2011-02-12 18:28:30@Seven_Systems で、理想では本当に変わった方がよいのかどうかは、他視点の押し付けではなく、それぞれが考えるべきだから、そのための最低限の好奇心と思考の自由がまずあるべきではというのが俺の考えです。(逆に言えばエジプトには最低限の知る自由や情報があったから・・・)
2011-02-12 18:31:23@Yuki_Kollet 偏ってるかどうかを判断することすら、様々な視点や立場によって違ってくることが想像されます。ただ、本来人は何でも知ろうと思えば知れる、という状態が理想だと思うんですよね。何よりも公平だし、それが理想論でしかないことはもちろん分かってますが。
2011-02-12 18:31:26@Seven_Systems それと、大きなパワーバランスで(端的にいえばアメリカの意思で)つりあい取れてるという大局もあるから急激に変わるのは難しいというのは現代の問題。それが未来永劫理想だとは俺は思わないけどな、ってこと。
2011-02-12 18:33:45@6elz @Seven_Systems えるあんの表現でいいと思う。「文化」と「文明」の違いということで司馬遼太郎の「アメリカ素描」で書かれてるのがわかりやすい。私は問題集で見たことあるだけだけど。
2011-02-12 18:34:00@Seven_Systems 本人が決める、というのは確かに全うでいいことなんだけど、「すべてを決める権利をあげる」ということは「すべて自分で責任を負わないといけない」になる。その責任を負いたがらないという人もいるから、それが絶対ではない。
2011-02-12 18:35:29@Yuki_Kollet どこまでが自分の意思かといわれると難しいけどね……。負いたがらない人ももちろん居ると思います。ただ理想としては、そういう人も「選んで、責任を放棄できる」社会になるのが望ましい。僕はそう考えます。
2011-02-12 18:38:15@Yuki_Kollet 世界にはただ色々があるのであって、中間はないというのが俺の考え。そういった"何が正しいかなんてねーよ"と、最小限の思考の自由、つまり無理やりやらせるのは侵略だけど、知りたいときに知るだけの自由はあってほしいというのが希望。(理想ではないかもしれない希望)
2011-02-12 18:40:03@6elz @Yuki_Kollet そのためには、やっぱりある程度は何でも知れる地盤が社会に作られていくべきだなぁと考える。何かを知れば人は変わる。僕の考えもこれからさき、変わり続けるでしょう。
2011-02-12 18:41:50@Yuki_Kollet それと、その最初の一歩である知りたい、知らない事があるかもしれない、今はおかしいかもしれないと気づくにも必要最小限の教育が必要。つまり今はおかしいかもしれないと思って革命を起こす人には既にそれがある。それさえもない所が最小限を満たしてないと俺は思う。
2011-02-12 18:41:59