午前0時の小説ラジオ メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」「生涯に一度しか文章を書かなかった老人の話」

「メイキングオブ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」」その1 文章で何かを伝える事を必要としなかった老婆が、生涯にただ一度だけ書いた文章。そこに込められた思いと意味の話。
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高橋源一郎 @takagengen

「文章」19・墓地のそばに木が立っているが、そのままでは畑の邪魔になるし、自分が入る墓の上にかぶさるのがイヤだから、切ってほしい。そう、センは書いている。そして文末では歌うような調子に変わる。センは(というか、多くの農婦たちは)、苦しい労働の合間に、「和讃」と呼ばれる歌を歌った。

2011-02-15 00:54:53
高橋源一郎 @takagengen

「文章」20・それはたとえば、「されども荼毘の時至り 栴檀薪を積みしかば 自ら胸より火をいだし 霞と共になりたまふ その時大衆もろともに 煙り漸く絶えしかば 泣々なみだを抑えつつ 舎利を分かてかへりにき 釈尊滅後二千余 我等が悲しみ深きかな」といったものだ。

2011-02-15 00:58:47
高橋源一郎 @takagengen

「文章」21・ぼくは「和讃」のことは知らない。だが、字も知らず、読めない農民たちは、それを耳で覚え、口で囃した。中身は、「この世は虚しい、やがて人は死ぬ」といったものだ。それをこころの支えに、貧しい農民たちは生きたのである。ぼくは「和讃」を聞いた時、似たものがあることに気づいた。

2011-02-15 01:01:38
高橋源一郎 @takagengen

「文章」22・「黒人霊歌」だ。たとえば、「深い川」の歌詞は、木村センの遺書に出てくる「じょど」の世界を歌っているようだ。「深い川よ わたしの故郷、カナンはヨルダン川の向こうにある/深い川よ 神さま、わたしは川を渡って集いの地へ行きたい/ああ、あの祝福された宴へ行きたくはないか?」

2011-02-15 01:04:55
高橋源一郎 @takagengen

「文章」23・「あの約束の地、穏やかな安住の地へ/ああ、深い川よ、神さま、わたしは川をわたって集いの地へ行きたいのです」。苦しい労働に従事しながら、黒人奴隷たちは、この歌を歌った。暗い歌だ。だが、この暗さを通過しなければ、彼らは生きる力を持つことができなかったのだ。

2011-02-15 01:07:31
高橋源一郎 @takagengen

「文章」24・ここからは、センの「文章」について、あるいは、センの行為について、ぼくが考えたことをつぶやいてみたい。たとえば、センの、この自殺は「悲劇」だろうか。「老い」と「病」が、センを死に追いやったのだ、といえるだろうか。ぼくには、そうは思えないのである。

2011-02-15 01:10:31
高橋源一郎 @takagengen

「文章」25・家族たちは、センを深く愛していた。四十五年もの長い間、センは働き続け、家族を養った。センの子どもたちは「もう、十分に働いたんだ。あとはゆっくり休みなさい」といっていた。誰も、センを邪魔者扱いはしなかった。それなのに、センは、ひとりで行ってしまったのだ。

2011-02-15 01:13:29
高橋源一郎 @takagengen

「文章」26・センが文章を残さず、黙って死んでしまったら、家族たちは悲しむだけではなく、とまどったろう。おばあちゃんには、わたしたちの知らない悩みがあったのだろうか、と困惑しただろう。センは、家族をそんな目に会わせたくなかった。そのためには、書き残しておくべきことがあったのだ。

2011-02-15 01:16:29
高橋源一郎 @takagengen

「文章」27・センは、働けなくない自分を許せなかった。家族が、働かなくてもいいと考えても、センはそう考えなかった。センにとって、「家族」とは、そのために死ぬことのできる、至上の共同体だったからだ。もちろん、豊かではなかったが、働けぬセンひとりを養うことは難しいことではなかった。

2011-02-15 01:20:33
高橋源一郎 @takagengen

「文章」28・センは働き続けた。「労働」を家族に捧げたのである。だが、やがて働けなくなると、彼女が持っていた最後の財産、「愛」を捧げた。だから、センの死は、断じて「悲劇」ではないはずだ。

2011-02-15 01:24:25
高橋源一郎 @takagengen

「文章」29・朝倉さんは、センは自分の仕事を「天職」と考えていたのではないかと考えている。日々の労働は苦しい。「和讃」を歌わねば耐えられぬほどに。だが、その労働は「無意味」ではなかった。彼女には守るべき家族があったからだ。家族を守りながら、同時にセンは守られていたのかもしれない。

2011-02-15 01:27:49
高橋源一郎 @takagengen

「文章」30・いまも、センは、故郷の畑のすぐそばの墓に眠っている。センが亡くなってから半世紀以上が過ぎたのに、センの思い出はいまも鮮烈で、家族たちは忘れてはいない。センがイヤがった木は、切られて、センの墓からは、山野がよく見える。

2011-02-15 01:30:35
高橋源一郎 @takagengen

「文章」31・我々はどうだろう。祖父や祖母を、亡くなるとすぐに忘れてしまうわないだろうか。「老い」を恐れ、目につかぬところに追いやろうとしてはいないだろうか。センの「文章」に守られ、まるでセンがつい最近まで生きていたように感じる、センの家族のことを考える時、ある感慨に襲われる。

2011-02-15 01:34:50
高橋源一郎 @takagengen

「文章」32・センの未熟な「文章」には、圧倒的な何かが存在している。もし、ぼくたちが字を知らず、文章を書いたことがないとして、そのためにだけ字を覚えようとするメッセージがあるだろうか。あるいはそれを伝えたい相手がいるだろか。その相手のためにだったら死んでもいい思えるような誰かが。

2011-02-15 01:37:24
高橋源一郎 @takagengen

「文章」33・ぼくは、そんな「文章」を書きたいと思う。生涯、一度も文章を書かず、書こうと思いたった時、まっすぐそれを目指した、センのような文章をこそ書きたいと思うのである。その文章を送り届けたい相手がいるのならば。以上です。雪の夜、深夜まで聞いてくださってありがとう。お休みなさい

2011-02-15 01:40:12