- ou_fujiwara4
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泰衡「さて、昨日は毛越寺の二十日夜祭を案内しましたが、途中で一騒動起きたこともあり、厄年男女の松明行列と蘇民袋争奪の話しかできませんでしたので、今夜は常行堂での一連の儀式について案内します」hiraizumifan.jp/events/63456/
2016-01-18 22:58:02泰衡「昨日も言った通り、いまの蘇民祭的なものは明治に導入されたものです。しかし二十日夜祭は一月十四日から続く毛越寺の秘神摩多羅神(またらじん)の祭礼の結願の夜であり、常行堂で行われる常行三昧や延年の舞こそ古くから続いてきたものであり、祭の核と言えます」
2016-01-18 23:02:36泰衡「で、そもそも摩多羅神とは何か? ですが、これがよく分からないことが多くて……」 清衡「ある程度分っていることと言えば、天台宗系寺院の常行堂によく祀らえていた神で、しかも阿弥陀如来などの本尊の後ろに厳重に秘されるため『後戸(うしろど)の神』『奥殿の神』とも呼ばれる」
2016-01-18 23:08:04清衡「この神は自ら障り神を名のり、己を敬わねば往生の願いを遂げることはできぬ、と告げた。荒神的性格を持つが、その神通力により、念仏修行で忘我の境地にあり魔につけ入れやすくなっている僧を守る『念仏修行の守護神』ともなった」
2016-01-18 23:15:41基衡「跳ねて踊る神でもあるから猿楽とか芸能民の神にもなったりしたよな」 泰衡「延年の舞自体が摩多羅神に奉納するための舞とも言われますし、そこまで断言できなくてもこの神の祭祀と深く関係するのは確かですね」
2016-01-18 23:22:26泰衡「そして平泉ではいつの頃からか作物の神として信仰されるようにもなりました」 秀衡「摩多羅神祭期間である十五日に毛越寺常行堂で今年の作物の作柄や天候を占う『作様(さくだまし)』があったがこれもそれと関係してのことじゃな」 facebook.com/hikafufm/posts…
2016-01-18 23:26:42清衡「かつては天台系の寺に多く祀られていたが、今では摩多羅神祭を行う寺は数えるほどになった。毛越寺の常行堂の本尊は阿弥陀如来であるが、摩多羅神の像はその後戸に隠されている。三十三年に一度の御開帳以外は姿を見てはならぬものだ」 泰衡「ちなみに前回の御開帳は2000年でした」
2016-01-18 23:29:45泰衡「さて、二十日夜祭の常行堂ですが、まず15時から本尊阿弥陀如来に花をその後ろの摩多羅神に野菜を奉納する献膳式があります。その後、古式常行三昧と後夜作法が長時間続きます」
2016-01-18 23:33:24清衡「常行三昧供は阿弥陀仏の周りを歩きながら仏の名を唱え続ける行法のことだ」 泰衡「毛越寺のものは開山以来1200年以上続けられている古式のもので、国の重要無形文化財にも指定されています」
2016-01-18 23:36:15泰衡「松明行列と蘇民袋争奪も終わった20時頃から厄祓いの大護摩供祈祷が行われ、21時から夜中の12時まで延年の舞の奉納が行われて祭祀は終了となります」 基衡「こん時の延年の舞も本尊の阿弥陀如来に向かって踊っているように見えるが、本当はその後ろの摩多羅神に奉げているんだよな」
2016-01-18 23:38:05清衡「摩多羅神自体は我々の時代にも祀られていたはずだが、このような形態の祭祀がいつからかは不明だ。しかし18世紀後半に菅江真澄が『かすむ駒形』に記した毛越寺二十日夜祭の記録によれば、少なくともこの頃には今とほぼ同じ形が整っていたようだ」
2016-01-18 23:40:23泰衡「最後になりましたが、一連の常行堂での儀式は誰でも見学することができます。……ただ、とてつもなく寒いです……。ご覧になりたい方は防寒対策と……覚悟を持っていらしていただければ、と。あ、この時の延年の舞は普段と違い撮影できないようですよ」
2016-01-18 23:43:04基衡「常行堂は浄土庭園の一角にある。常行堂の写真と藤原まつりの時の延年の舞の写真を置いておくぜ」 pic.twitter.com/k8ZoJqGyR4
2016-01-18 23:48:13毛越寺二十日夜祭と摩多羅神についてさらに知りたい人向け書籍
『闇の摩多羅神 : 変幻する異神の謎を追う』(川村湊/河出書房新社/2008.11)
『毛越寺の延年の舞』(文:本田安次 ; 写真:萩原秀三郎/毛越寺/ 1972)
『菅江真澄全集第一巻』(未来社/1971)
※この本に収録された菅江真澄(1754-1829)の紀行文『かすむこまがた』には1786年の毛越寺二十日夜祭の様子が詳細に記されている。