関ケ原で思い出すこと

わいいつもこの話で泣いてまう
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島の人Part2 @simasyodes

朝から関ヶ原の話(今年は特に真田丸関連で)がチラホラ出てるがいつもこの逸話を思い出す。

2016-09-15 19:47:57
島の人Part2 @simasyodes

慶長5年(1600)9月15日関ヶ原 午前8時から東西軍が激突する中、昼過ぎに西軍の一角だった松尾山の小早川秀秋は裏切り、大谷刑部の陣に殺到した。(つづく)

2016-09-15 19:48:11
島の人Part2 @simasyodes

刑部は小早川に「疑念」があり、「備えていた」(布陣は小早川と対峙してた)とも言う。三倍近くの小早川軍を二度押し返す奮戦を見せた(つづく)

2016-09-15 19:49:07
島の人Part2 @simasyodes

しかし西軍側だった脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保も裏切り大谷軍の側面を突く形になり勝敗は決した(つづく)

2016-09-15 19:49:23
島の人Part2 @simasyodes

敗北を察した刑部は自刃することを決め、近臣の湯浅五助が介錯することになった。(つづく)

2016-09-15 19:50:01
島の人Part2 @simasyodes

刑部は一説にはハンセン病を患い、鼻がもげたり爛れたりする顔が首実験で「晒される」ことを嫌い、五助に首を隠すことを命じて自害した。(つづく)

2016-09-15 19:50:24
島の人Part2 @simasyodes

五助は「亡き主君」の遺命に従い、介錯した首を埋めた。そこへ東軍の藤堂高虎の軍にいた藤堂高刑(高虎の甥)が現れた。(つづく)

2016-09-15 19:50:41
島の人Part2 @simasyodes

名のある武将と認めた高刑は一騎討ちを求めた。五助は先ほどの「遺命」を高刑に伝えた。五助「他言しないことを約束するなら勝負に応じる」(つづく)

2016-09-15 19:51:14
島の人Part2 @simasyodes

高刑「心得た」 二人は刃を交えて高刑は五助を討ち取った。戦は終わり、勝った東軍は西軍諸将の首実験を行った。(つづく)

2016-09-15 19:51:41
島の人Part2 @simasyodes

西軍諸将で有力な武将大谷刑部の首はやはり探されたがなかなか見つからない。(つづく)

2016-09-15 19:52:15
島の人Part2 @simasyodes

藤堂高虎は甥の高刑が剛勇で知られる湯浅五助を討ち取ったことを喜んだ。刑部の近臣である五助を討ち取った高刑ならなにか知ってるかもしれない。(つづく)

2016-09-15 19:52:31
島の人Part2 @simasyodes

高刑は「知っている」と答えたが五助との「約束」があり、けして場所を明かそうとしない。このことは徳川家康の耳にも入り、高刑は家康に呼ばれた。(つづく)

2016-09-15 20:56:01
島の人Part2 @simasyodes

家康に問い質されても高刑は五助との「約束」を盾に場所を明かさない。高刑「もし、ご不満ならお手討ちにしてください」遂に家康は立ち上がり、手元の槍を持った。(つづく)

2016-09-15 20:58:28
島の人Part2 @simasyodes

高刑(もはやこれまで) 家康「その心意気、忘れるでないぞ」 家康は槍と刀を高刑に取らせた。 私はこの話読んだ時に(ワッー)となって泣いていまこれを書いてる時も目頭が熱くなった。

2016-09-15 20:58:54