「細胞内共生説」という考え方がある。かつて細菌として、独立した生命体として 自由に動き回っていたはずのミトコンドリアや葉緑体の先祖は ある時を境に細胞核を有する別の単細胞生物の体内に取り込まれ 遺伝情報の重要な部分を持ち去られ 自己複製の頻度とタイミングをコントロールされ
2016-10-03 23:55:49いつしか宿主となる細胞の生存を助けるためだけに存在する一部品と成り果てた というものである 自らの行動の根幹を、外界の他者に牛耳られている彼らに 我々は自我を見出すことはできないし
2016-10-05 08:14:20彼らのために用意された細胞内「小器官」という定義が表すように それを一つの生命として扱うこともないであろう。 最近を熱除去することにすら抵抗を覚える生命至上主義者であれ、 自らの細胞から取られたミトコンドリアを滅ぼすことに良心をいためることはないものと思われる。
2016-10-04 00:20:03自我に唯一無二の価値を見出す人間の視点からすれば ミトコンドリアはすでに生物としての体裁を失っている。 生命体から非生命への格下げを受けたその哀れなを見るに 彼らと宿主との関係は「共生」などではなく 一方的な搾取にも感じられる
2016-10-04 00:44:50しかし進化生物学では ミトコンドリアや葉緑体の元となった細菌は細胞小器官という部品に成り果ててなお、 自分たちの遺伝情報を核と言うより安全強固な倉庫に保管させてもらえるため、 自己保存という生命体最大のセオリーを満たす上であくまで利があるとしている
2016-10-05 08:16:00このおぞましい理念の究極は、ウィルスという存在に結実している。ウィルスは自分自身の遺伝子と、この遺伝子を他の生物の細胞に翻訳してもらうための酵素、そしてその二つとを守るための殻だけという、 最小限度の自己複製機能を持った「物質」であると定義されている。
2016-10-04 01:23:02極めて生物的な要素を併せ持ったこの存在が しかしながら生物として扱われないのは、 現代において、生物という存在を規定する二代要素 「自己保存」と「自己代謝」のうち 「自己代謝」の機能を彼らが有していないためである
2016-10-04 01:28:22必要な生命現象を自らの体内で完結させる「自己代謝」は 他に依存しない独立した主体性を有する者ならではの振る舞いであり 自我の足場とも言える活動である 自らは代謝を行わず、己の遺伝情報を他者に機械的にコピーさせるだけの
2016-10-04 09:17:36情報おばけと化したウィルスに我々はやはり自我を見出さないであろう しかしながらこのウィルスも元々は生物で 自己保存を行うため以外のあらゆる余分な機能、構造を切り捨てる 一種の進化を続けた結果、今の形に落ち着いた、とする考え方がある。
2016-10-04 11:54:46生命の存在上の命題があくまで遺伝情報を介した自己保存だけにあり、 なおかつ他者にその労働を請け負わせることができるのであれば、 何も自分自身が代謝を行う必要性はないという方向へ彼らはなだれ込んだのである。その上で彼らは主体性とそれに乗っかる自我を捨てることも省みなかった。
2016-10-04 12:03:06それはある意味生命体としての幸福にかなった選択であったと評価することができるかもしれないが ウィルスやミトコンドリア達のこのような在り方は 自我至上主義者である人間の価値観とは全く相容れない
2016-10-04 12:44:03ただこれは裏を返せば 生命現象そのものが見据える目的と 人間が生に見出す期待とが根本的にずれている事実の表出であり この乖離の結果我々は往々にして裏切られ続けることとなる
2016-10-04 12:44:38