無隣館若手自主企画 小林企画『アンダーグラウンド』と“観客参加型演劇”について
- chaghatai_khan
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@ryuseiasahina 朝比奈くんのせいでは全くないんだけど俺の気持ちが萎えてしまったのでTwitterではもうこの話はやめようと思います。PACのときの埋め合わせのつもりでもあったので最後までちゃんとやろうと思ってたんだけど。また直接会ったときにでも。申し訳ない。
2016-10-11 18:21:35「対話とは説得ではない。 分かり合えないことを前提として、 どこが分かり合えないのか、より精密に検討することである」
2016-10-12 10:02:19「俺らにとって、不快だから、そんな発言をするな」 というのは、多様な意見を尊重する対話の精神に反するもので、 一歩、間違えれば、ファシズムにもつながりうる考えかもしれません。 対話は、わかりあえないことを前提に、傷つくこと、悲しさ、寂しさを受け入れることかと。
2016-10-12 10:05:31僕は劇場で公開される作品は、公共に開かれたものであり、 その公共的価値を公共の場で問うことは正しいと思ってました。 まして、無隣館自主企画は、こまばアゴラ劇場を通して、助成金を受けているのですから。 (助成金の有無だけで、公共性の有無の判断をするのは違うと思いますが)
2016-10-12 10:08:25殴るのが悪いのは、痛みを相手に与えるからなのかなぁ、と。 痛みを伴わない殴りなど、フリであり、 今のところ、僕にとって小林企画は「殴るのが痛いのを伝えるため、殴るフリ」をしたのではないか、と。 現実の差別は、もっと苛烈では?
2016-10-12 10:10:56実際に、不快に思ってしまった人もいるかもしれない。 また、(状況で変動する) やってはいけないライン(バナ学事件は僕はNG)はある。 けど、 小林企画はそれを超えてないのかと。 だとすれば、サンプルを観て「下品だ」と不快に感じるのと同じことでは? と僕は思いました。
2016-10-12 10:14:14僕にとっての、 今のところの小林企画の評価は、 小劇場の作品には珍しい、社会的批評性、演劇史的批評性を持ち、 ユニークな経験を与える、という形式面でも優れた作品では?と。
2016-10-12 10:18:32逃げ道がない、 というのは、 エレベーター内という舞台設定上、それが可能であることを説明するのは難しいのですが、 あってもよかったかも、と思いますが。 「ご気分のすぐれない方は別室にご案内します」 など、言えばいいのかなぁ? これでも十分でない気もするけど。
2016-10-12 10:20:45「殴るのが痛いのを伝えるために殴るのはダメ」という倫理観?、あるいは、少なくとも下品である、という批判が妥当だとしても、 今の僕にとって、バナ学事件がそうであるように、 「あってはならない」レベルではないかと。 「あってはならない」として、変に自主規制して欲しくはない、かなぁ。
2016-10-12 10:45:41いやー、人の劇評を読んで別の視点から自分の観たもののことをぼんやりと考えるのが好きなんでね、このまとめもすごく興味深く読ませてもらったんですね。 いやー、でも、面白い作品を作っても、学校にいる段階とかお構い無しにこんなボコボコに殴ってくる劇評が飛んでくるって、エンゲキって怖い。
2016-10-12 19:18:34参加型演劇、デラシネラのダンスも客席に着いているが参加型だったのと、とても演劇的に思えた。個別の役割をもらえば貰うほど、自分の中の熱いものが飛躍的に伸びた。 あの殺人を比喩したキャベツを渡したのは私だった!。。と 寺山修司の参加型演劇の誘惑もこんな感じだったかもしれない。
2016-10-13 16:36:16参加型演劇の誘惑は、夢から醒める瞬間が大事なのかもしれない。お客を日常に正常に、戻すこと。 『アンダーグラウンド』の神話、物語はそんなに変わったものじゃなかったけど、誘惑を発火させる言葉や俳優の声の響きや体は見ていて心地よかった。心地よいだけではダメだ、という思考・意志にも共感。
2016-10-13 16:43:48参加型演劇の可能性を探る、その試みは有機的で良かったとして、では扱われたテーマは演劇的だったか。 テーマってなんだったんだろう??
2016-10-13 16:51:519日マチネにアトリエ春風舎で小林企画「アンダーグラウンド」、最初の図工的なことにはワクワクとなんじゃこりゃとおもったし、最初は世界の態の作り方に多少戸惑いもあったが、恣意的に絶妙に描かれる段取りの危うさやオフレコ的な部分のつぶやきで物語を観る側に浸潤させるやり方がとてもしたたか。
2016-10-15 10:44:00小林企画「アンダーグラウンド」続、観客の動かし方や扱い、役者達のキャラクターの背負い方やほどき方、さらには世界の開示の仕方なども、場に対して崩れることのない柔軟さと確かさを内包して作りこまれていたように思う。終盤には観客と役者が混然と全体の物語の顛末とその風景に導かれる。
2016-10-15 10:46:03小林企画「アンダーグラウンド』余談1、こうして観客を動かし世界の内に取り込むやり方は先日の鳥公園やNYで観た『No More Sleep』などでも体験しているのだが、それらから訪れる世界の歩みだし方のベクトルが悉くことなるのも面白い。たとえば鳥公園からは体感的な街の広がりが訪れる
2016-10-15 10:48:04小林企画「アンダーグラウンド』余談2、『No More Sleep』では散らばった観客が其々の観たものを抱きながら戯曲に寄り添った物語の流れに束ねられるし、今回の作品は、閉塞した世界に物語が醸される。仮面(的なもの)も鳥公園には存在せず他の2作品では空間の中でよく機能していた。
2016-10-15 10:52:08小林企画「アンダーグラウンド』余談3、一方で仮面のない鳥公園や以前に舘そらみ作劇が春風舎全体教室にしたものでは、観客自体がその世界のミザンスとして供される感覚から訪れる世界への共振があった。参加型というか観客を空間に対峙させるのではなく取り込む表現の広がりに思い至る。
2016-10-15 10:54:05小林企画「アンダーグラウンド』余談4、東京デスロックの『東京ノート』でも、2月にアゴラで観たあごうさとし作品でも、異なる空間の作りこみから新たな世界が訪れそれぞれに強く惹かれた。そういう中で今回の小林企画もこれまでの諸作品とは異なる新たな質感を編む魅力的な踏み出しに思えた
2016-10-15 10:56:04