斉藤淳先生(@junsaito0529)、糸畑要さん(@boreford)「日本近代外交史小編、小村寿太郎・松岡洋右を例に」

斉藤先生に本格的に返信送ったのはこれがはじめてだと思います。まあ大学専攻ですから話ができないとどうしょうもないのですが。松岡洋右の話で糸畑さんがいい話しを持ってきてくださいました。しかしいかんせん、真夜中でしたからね…。
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NHachiya @Khachaturian

じゃあ、あとは秘められたロマンスがあれば…。(笑) @24mizushima @Khachaturian 小村寿太郎は、多分史料は豊富にあるので、ドラマはできると思います。しかし、彼も長州で、外交交渉もさることながら国内交渉にも苦労やしがらみがあったと聴きます。

2011-02-04 03:12:45
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@junsaito0529 幣原喜重郎という外交官がいた。当時「軟弱外交」と言われた。今現在、幣原喜重郎みたいな外交をやったら、今の人々は「軟弱外交」と再び言うでしょう。そして、ということになります。

2011-02-04 03:14:11
NHachiya @Khachaturian

陸奥宗光や松岡洋右はいいとしても、ジャニーズに小村寿太郎のような人、いたかな…あ、なにも主役でなくてもいいのか。(笑)

2011-02-04 03:16:18
だんちょ @dancho3210

資質もある。松岡読みが悪い RT @bilderberg54: RT @24mizushima: @junsaito0529 松岡洋右はアメリカに留学したのにああなった。今の「帰国子女右翼」のパイオニアのような人。子孫のかたが最近まで参議院議員でした。長州だし、微妙なところです。

2011-02-04 03:17:17
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@Khachaturian ロマンスは適当に何とかなるはず…。「日英同盟」というタイトルで。ロシアを刺激するのがいけないのですかねえ。

2011-02-04 03:17:33
斉藤 淳 『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』 (SB新書) 発売中💙💛 @junsaito0529

大学時代にお世話になった先生の一人が松岡洋右を研究してました。ちょっと無理筋を追いかけた印象はありますね。 QT @dancho3210 資質もある。松岡読みが悪い

2011-02-04 03:20:42
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@junsaito0529 「松岡洋右は国際連盟を脱退して当初は意気消沈していた、空港の大歓迎で気が変わった」という出典は、坂本・秦・半藤・保坂『昭和史の論点』 文春新書092、2000(初出「諸君!」2000年2月・3月)の59ページ、保坂正康氏の発言からです。

2011-02-04 03:45:50
糸畑要 @boreford

@24mizushima @junsaito0529  松岡は浅間丸で帰ったのではなかったですかね。

2011-02-04 03:47:56
糸畑要 @boreford

保坂さんの松岡像と異なる松岡像を手元の新潮新書、井上寿一『昭和氏の逆説』からちょいと引き引きしてみますか。

2011-02-04 03:50:05
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

その通りです。私が「空港」と書いたのは誤りでした。申し訳ありません。保坂正康氏の出典は、松岡の随員だった土橋勇逸陸軍中将の手記によるものだそうです。RT @boreford: @junsaito0529 松岡は浅間丸で帰ったのではなかったですかね。

2011-02-04 03:52:07
糸畑要 @boreford

二月二十四日~日本代表団は、松岡とともに、議場後方の出口へと向かった。内田の指示のとおりだった。松岡は議場を立ち去りながら、独り言をつぶやいた「失敗した。失敗した。失敗した」。

2011-02-04 03:53:12
糸畑要 @boreford

四月二七日、松岡は帰国する。松岡を乗せた浅間丸が横浜港に近づく。岸壁は大群衆は埋めつくしていた。日の丸の小旗を振りながら、「万歳、万歳」の歓呼の声を上げていた。松岡は、当惑しながらも、船上から日の丸の小旗を振って応えた。

2011-02-04 03:57:06
糸畑要 @boreford

松岡は思いがけず国民的英雄となった。 松岡は五月一日にラジオを通して国民に帰国報告をする。報告は、国民的英雄に似つかわしくない、謝罪の言葉から始まっている。「少なくとも私は一つの点に於いては、完全に失敗して帰ったのであります。~

2011-02-04 04:01:33
糸畑要 @boreford

(略)松岡は、国民的英雄として迎えた世論に迎合することなく、脱退回避に失敗した責任を認めた。まちがったのは本国政府だけではなかった。松岡は全権の責務が果たせなかったことを悔いた。

2011-02-04 04:03:24
糸畑要 @boreford

この評価は、後世に公式の演説や報告書を見て捉えた歴史家の評価と、同時代の視線で松岡を見ていた人の評価は異なるということだろう。意気消沈したところを歓迎されて気が大きくならない人もなかろうし、公式文書には自ずから自制も働く。

2011-02-04 04:11:32
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@boreford なるほど、別の視点から眺めると、松岡洋右の人間像が深くなりますね。

2011-02-04 04:32:29
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@boreford まず、「松岡はなぜ、国民の前で謝ったのか」ですね。今現在でいう「遺憾の意」程度のものだったのか、後に話す「大成功」の前の盛り上げに必要な「枕」だったのか。それとも「ホンネ」だったのか。

2011-02-04 04:39:19
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

松岡は当然郷里の先輩小村寿太郎を意識しますから、小村ほど上手くはいかず「失敗」と思ったのか。内田康哉外務大臣も満州事変勃発当初は陸軍の行動に抵抗した(伊藤隆『昭和史をさぐる』朝日文庫、1991、p127)とあるので、あるいは外務省は、「なんとかしてやる」という気概があったか。

2011-02-04 04:44:10
糸畑要 @boreford

@24mizushima 資料を読み返すというのは、こういう所に歓びがあるのだなと再発見しました。『昭和史の逆説』は表題通り、通念への刺激があって面白いです。

2011-02-04 04:45:08
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@boreford 斉藤淳先生が「無理筋を追いかけた」とおっしゃっております。結論を先に準備して、史料や先行研究を無理に当てはめようとすること、だと思います。松岡洋右というと、「東京裁判記録読んだ?」ってなって撃沈、というのが歴史学の世界なので、ここは一旦引き上げたいと思います。

2011-02-04 04:52:44
斉藤 淳 『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』 (SB新書) 発売中💙💛 @junsaito0529

@24mizushima 僕は歴史家じゃないから、厳密に資料読み込んだら違う結論が出てくるでしょう。あくまで素人の印象論です。

2011-02-04 04:57:53
糸畑要 @boreford

連盟脱退を日本の主要アクターは望んでなかったし、松岡も連盟残留の為に交渉をしていた。しかし、最悪、満州問題が拗れても非難声明で終わると思っていたが、陸軍が同時期に熱河作戦やって、制裁もらいそうになったので、予め連盟を脱退して制裁を回避するために脱退の訓令が本国から来て失敗した。

2011-02-04 05:04:57
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

どこかで誰かが厳密に史料を読み込み、整った材料を社会科学のかたがたに渡さなければならない。そういう歴史屋に、私はなれなかったのが残念です。 RT @junsaito0529: 僕は歴史家じゃないから、厳密に資料読み込んだら違う結論が出てくるでしょう。あくまで素人の印象論です。

2011-02-04 05:06:14
糸畑要 @boreford

『昭和史の逆説』第三章「松岡洋右は国際連盟脱退に反対していた」を自分流に大雑把にまとめるとこういうストーリーである。イギリスの斡旋を蹴りつけて、イギリスを日本に厳しい東欧諸国側へと追いやって、連盟脱退にまで発展させてしまった本国と自分の能力を詫びているという流れ。

2011-02-04 05:14:18
笑っちゃうぜ!! @24mizushima

@junsaito0529 あ、違う、松岡洋右を研究していたかたのお話ですね。見当違い失礼しました。歴史屋でも「とにかく書かねばならん」というときは、史料完全読破とか言う前に、手持ちの知識と「理論」と「センス」で書いちゃって、あまり書くことに慣れていないから筋が悪くなる…。

2011-02-04 05:15:00