- karitoshi2011
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1【戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅】chugainippoh.co.jp/editorial/2016… 60年安保の頃から実存主義と共に思潮を二分した反体制の機運は、やがて学園紛争となって吹き荒れたが、この時期の世にはまだ思想と変革への関心が見られ、日本の将来に希望を抱く人がいたようである。
2016-11-06 09:28:23戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅
2016年10月21日付 中外日報(社説)
http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2016/1021.html
2【戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅】10/21中外日報「 他方、ほぼ同時に始まった経済の高度成長は全国民の関心を奪った。田中角栄首相の日本列島改造論が一つのきっかけとなって始まった土地バブルの狂騒は、90年代初めにあえなく終わりを告げ、長い不況の時期に入る。」
2016-11-06 09:28:543【戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅】chugainippoh.co.jp/editorial/2016…この頃から人々の改革への意欲が色あせてきたように思われる。管理が強化された社会の外に出て気ままに生きる風来坊の寅さんの、無欲で人情に厚い楽天的な生きざまが多くの人を引き付けたのであろう。
2016-11-06 09:29:254【戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅】中外「リンゴの唄」と「男はつらいよ」を比べてみると、世相の違いが浮かび上がる。後者では素朴で明るい希望が消えて、実家を出た寂しがり屋が、自らの家庭生活をつくろうとしては失敗し、それでもめげないという、失望と楽天性のないまぜが見られる。
2016-11-06 09:29:585【戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅】中外日報 chugainippoh.co.jp/editorial/2016…「リンゴの唄」は家族的なリンゴ摘みの労働歌だった。他方、寅さんは「労働者」ではない。生き残るために必死の競争に熱中する社会からはじき出され、そこで自由と人情を生きているのである。
2016-11-06 09:30:356【戦後の希望の崩壊 経済中心社会への幻滅】10/21中外日報「むしろ、人間らしさはそこにしかない、と言っているようにさえ見える。今にして思えば、それは経済中心の管理社会に対する戦後世代の幻滅の始まりだったのではないか。幻滅は今も社会の深層で進んでいるようだ。」この論説は卓抜。
2016-11-06 09:31:46