茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1942回「保坂和志さんの『カフカ式練習帳』から、記憶の曖昧さについて考える」
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保坂和志さんの『カフカ練習帳』の中に、カフカのどこかに「数日前から私の家の台所の片隅に官吏がすわっている」という文章があったはずなのだけれども、いくら探しても見つからない、という話が書いてある。これが、本当に面白いと思った。
2016-11-09 06:05:06![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
記憶の中に、鮮明に何かがあって、それがあったことは間違いないのに、探しても見つからない、ということが時々ある。そのような時、その記憶は、果たして自分の中で生まれてしまったのか、それとも外部の現実なのかが曖昧になる。
2016-11-09 06:05:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
大学生の頃、畏友の塩谷賢と新宿の雑踏を延々と歩いていた。ある時、ふたりとも、このあたりに「銀のなんとか」とかいう店があったはずだ、と思っていっしょに探したが、いくら探しても見つからない。あれは不思議だった。ふたりとも確信していたのに。
2016-11-09 06:07:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
高校の時、畏友の和仁陽が、「知の探求とは、女神さまの着ている服の裾をさわろうとするものだ」というようなことを言って、それが誰かの引用で、強く印象付けられた。ところが、数年前に和仁に会ってそのことを聞いたら、知らない、記憶にないという。あの会話は、本当にあったのだろうか。
2016-11-09 06:08:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
私が三十半ばの時に書いたエッセイ『生きて死ぬ私』には、大学生の生意気盛りの私が「人間なんて死んだら無だ」と言って、母が「私が死んでも墓に入れてくれない気だ」と茹でた海老のように身体を曲げて泣いたという話が出てくるが、母にはその記憶がないという。本当にあの出来事はあったのだろうか。
2016-11-09 06:09:56![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
記憶というのは確かなようで曖昧で、その曖昧な領域の中で、あったのか、なかったのか、よくわからないものの方が、かえって何かの真実を照らしているような気もして、そのような曖昧な記憶こそが、「原石」のように思えてしまう。
2016-11-09 06:10:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
文章を書く時に、客観的事実を外部の情報で確認してそれに基づいて記すのも一つのやり方だが、自分の曖昧な記憶のままに、それが自分の記憶に基づくと断って書くと、かえって味わいが出ることがある。校閲は校閲の仕事をするだろうけど、記憶の曖昧さには、固有の文体と、リズムがある。
2016-11-09 06:12:07![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
以上連続ツイート1942回、「保坂和志さんの『カフカ式練習帳』から、記憶の曖昧さについて考える」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。
2016-11-09 06:13:15